キリスト教神学中級講座 「フリッチェとの対話」第4回 神学総論4 神学と宗教学

▼バックナンバー 一覧 2020 年 7 月 27 日 佐藤 優

 フリッチェは、「神と神的事柄の問題」「聖書学としての神学」「宗教学としての神学」「教会宣教の業の理論としての神学」という4つの大問題があると考える。第3の問題は「宗教学としての神学」である。宗教学と神学には重複する部分があるが、神学を宗教学に還元することはできない。また、宗教学を神学に還元することもできない。フリッチェは、総合大学の神学部において、神学が宗教学に転換してしまうことに危惧を表明する。

<(3)神学が教会と教会信仰によってよりは、総合大学 universitas litterarum によって規定される場合には、神学をまったく別様に理解することが再浮揚してくる。その場合には、部分をもって全体を表すpars pro toto、すなわち、宗教学が神学と同一視される。一部は宗教《知識》としての神学であり、また一部は宗教《哲学》としての神学であるが、何れにしても《宗教学としての神学》と見なされる。この種の神学は当然のことながら教会にとっては有用であり、重要でもある。しかし、それぞれの従属的立場、もしくは上下の立場では単なる同様の論題の利害が現れるのみであり、しかもきわめて一般的な仕方で現れる。教会との結びつきは、まずは研究者と聖職者の重複にある。神学はその一般的な文化的関係を強調し、キリスト教は(例えばスウェーデンにおいてと同様に)神学にとっては単なるありのままの文化遺産としての興味でしかない>(Hans-Georg Fritzsche, Lehrbuch der Dogmatik: Teil1: Prinzipienlehre Grundlagen und Wesen des christlichen Glaubens, Evangelische Verlagsanstalt Berlin. (Ost)Berlin, 1982, S.20-21)

 日本のプロテスタント神学部に関して、東京神学大学は教会教職者の養成を主たる任務とする。これに対して、同志社大学神学部と関西学院大学神学部は、日本基督教団(*1)の認可神学校である要素と総合大学の宗教学部的な要素を併せ持つ。東西冷戦下、西側の総合大学神学部が宗教学部としての傾向を強めていったのに対し、東ドイツの総合大学神学部は教会教職者と神学者の養成機関としての機能を果たしていた。フリッチェは、「教会宣教の業の理論としての神学」の重要性を強調する。

<(4)しかしこの神学を一般文化的に理解することは、常に神学者を総合大学における大きな学術団体の中で詳しく見る代わりに、神学者を再び教会に組み入れるような全く相反する理解を引き起こすことになる。これは神学をこの目的のための精神的兵器であり、理論武装を含めた《教会の宣教の業の理論としての神学》と理解することである。大学神学が比較的中立的な宗教学として前述のような理解に執心する場合には、教会も自ら四番目の意味における神学研究の中心を構成する。すなわち現実的に迫っている問題を、具体的実践的に処理するものとしての神学、確かに〈基本的研究〉は欠かさないが、いずれにしても《教会の機能》として、シュライエルマハー(*2)が言うところの〈神学研究の端的な表現〉の意味における〈実証主義的学問〉としてである(第二節、第六点参照)。疑念がこの理念に対して当然のことながら湧き上がっては来る。一神学者は常に何がしかの実践的な欲求をする〈理論家〉以上の存在であろうと欲しなければならず、また常に外面的な意味で教会と対抗する立場を保つ必要もある>

 シュライエルマハーが「実証主義的学問」と言うときの実証的とは、眼前にある教会を指す。神学は教会のための学問であるというシュライエルマハーの立場をフリッチェも継承している。

 これまでに述べた神学の4つの大問題に関連して、フリッチェは、神学には4つの構造が重層的に存在していると考える。この重層性が神学という学問の理解を難しくしている。4つの構造とは、「教義学の学術的理念」「教義学の批判的理念」「より高い立脚点」「組織的教会の理念」である。

<神学全般について〈De theologia in genere〉というテーマは、『神学の構造タイプ』ベルリン‐ゲッティンゲン、一九六〇年、第二版一九六一年、で出版された拙著の対象である。この本の思想プロセスには現時点では以下の点が見て取れる。

 四つの構造タイプが時間的に重層し、そのために今日では現実的な意味で神学の内面的緊張と安定状態を成すような仕方で区別される。

 (1)歴史的に最初に存在するのは、キリスト教信仰を固定化、公式化し、その内容と本質を現実的な面で聖書テキストに方向付けられた区分の代わりに表現し、明確化する目的を備えた《教義学の学術的理念》である。今日までこの課題はいわゆる原理的理解において通用している。それが問題となるのは、信仰内容の公式化と確定が《法律的》な仕方で行われ(テリトリアヌス(*3)の場合のように)、本当の、ではなく法律に基づいた信仰について問われ、正教信仰の基準が単なる職位後任における年齢と継承に過ぎない場合である。更に問題となるのはこの神学理解が聖書の基盤に裏打ちされる必要のない論理的帰結によって信仰を拡大し、教義を明確にし、それと同時に信仰本質を見せかけ上は内容的に充実させ、広範な公理―定理―組織学を手に入れようとする(トマス・フォン・アクィナス(*4))ことを本来的な理念と見做す場合である>

 教義学の学術的理念とは、ユダヤ的神概念をギリシア哲学の専門用語によって表現することである。しかし、神学を哲学に還元することはできない。信仰告白は、知的ゲームではなく、救済を求める人間のために記されたのである。

 ところで、学問においては理性が重要な位置を示す。神学も、学問である以上、理性の行使による批判から免れることはできない。フリッチェは、中世スコラ学に対する批判に着目し、こう述べる。

<(2)これの妨げとなるのは全く別個の第二の学術的理念である《批判的》理念である。それは法律的論理的教義学的な学術理念に対する対立と反撃である。それはスコラ学と権威信仰(例えばロレンツォ・ヴァッラ(*5))に対する抵抗に至り、宗教改革世紀には独自の教義学的な、何れにしても神学的論証と結び付き、啓蒙の合理主義においては一九世紀にまで及ぶ頂点に達する>

 合理的精神は啓蒙主義において頂点に達した。その後、啓蒙主義の限界を克服する「より高い立脚点」を求める動きが18世紀末から19世紀初めに強まった。ここで重要なのがヘーゲルの弁証法的思考である。

<(3)しかし教義学の批判的学術理念が対比された後では第三理念の〈より高い立脚点〉に至る。それを主張して問題視しようとするのではなく、理解し、記述し、《説明》し、確認するのか、若しくは基本的な面に立ち戻ることである。これにより神学は歴史学、若しくは宗教学と宗教哲学に至る。哲学的神学と実証主義的神学はこの学術理解内では対置している。即ち、明確な体系(ヘーゲル時代のような)とその一つが他者に対する抵抗であるところの歴史的方法を知るための個別知識の寄せ集めである>

 ヘーゲルの弁証法では、絶対精神の働きにより歴史が自律的に進んでいく。これは、最初の第一撃だけが神の力で、その後は法則に従って運動するという理神論と同じ考え方にんる。これでは、個別具体的な歴史に関与する神の働きがわからなくなる。だからフリッチェは、ヘーゲルの方法について「歴史的方法を知るための個別知識の寄せ集め」に過ぎないと批判するのである。

 ヘーゲルの限界を乗りこえようとしたのがシュライエルマハーだ。シュライエルマハーは、『神学通論』で神学を実証的学問と規定した。前にも述べたように「実証的」とは眼前にあるという意味だ。現時点で目の前にある教会に奉仕するのが神学なのである。シュライエルマハーの時代、それはプロイセンの国教会を意味した。そうなると、神学は既存の体制に組み込まれた保守的性格を帯びることになる。フリッチェにとって、眼前にある教会とは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)福音主義教会同盟ということになる。この教会は、東ドイツ政府と良好な関係を維持している。そこから、東ドイツ国家に対するフリッチェの姿勢は肯定的になる。神学的に保守的構成をとるが故に眼前にある東ドイツを肯定的に評価するのである。現実に存在するものは合理的であるという発想だ。これをシュライエルマハーの神学を用いることでフリッチェは正当化しようとする。

<(4)教会課題のための個々の知識を新たに組織すること(シュライエルマハーの『神学通論』)、各システムとしての教会告知課題の特殊面と一般文化的人文主義的分類を躊躇いながら対比させること、この両者はともに第四の学術理念である世界の知識一切を告知課題の下に置こうとする《組織的教会》の理念に至る>

 フリッチェによれば、これら4つの構造は、時系列的にはこの順番で発展してきた。そしてこの4つの構造が、重層的に存在しているのである。

 この視座からフリッチェは、西ドイツの神学を一般的な学知に還元する試みに異議を唱える。具体的には、パネンベルク(*6)とザウター(*7)の方法論を批判する。

<それが我々の現在からどれ程離れているのかが過小評価されるべきではない。第二次大戦後に神学の多くの事柄がそれに対して復古的に影響し、パネンベルクの『学術理論と神学』(フランクフルト、一九七三年)のような学術理論の意識は、神学に固有に内在する発展傾向に留意して今日提起されたものの結論から演繹する代わりに、神学の学術性を一般的な方法論的思案と問題から、さらに一般的な傾向と現代現象から理解する態度において構想されている。ゲアハルト・ザウターによって出版された全集である『神学の学術理論的批判』も、まず第一に、たぶん彼の周囲において目下のところ《議論》されている実際には一般的に《通用》している学術的方法論への神学の関与の問題を提示している。それは ―― しかしまさにこれが啓発的なのだが ―― 学術としての神学のまったく別な、公約数のない側面を、一般的に通用するモデルとして提示している。もちろん両著作は神についての教会の話において神学の特殊面を注視している。しかし、神学の学術的研究内と神学の内在的学術史の結果としての如何なる内面的矛盾が、今日において解決を必要としているのかを提示する試みとはまったく別である>

 神学において、信仰によって救われるという内在的論理が第一義的に重要になるとフリッチェは考える。

<神学の内面的〈区分〉は、その結果と妥協を表現しているところの神学の学術性の内面的発展を把握して、初めて理解され得る。というのもこの区分は、別の分離する空間序列の寄せ集めのようなもの以上の神学のコンセプト全体を寄せ集めた積層結果であるからだ。特に組織神学と解釈学の二元論は、この点で神学の二つのコンセプト全体が競合するイメージにおいて初めて正しく認識される。特にこの二元論(しかし歴史的、実践的神学のそれ)を克服する試みを私は拙著である『聖書の手引き。聖書テキストを基礎にした組織神学』(ベルリン、一九八一年)で行った(この本の「はじめに」で扱われた内容を参照)。

 極めて指南に富んだ学術倫理的疑問提示に関与しているザウターの本と『神学文学新聞』一九七五年、七〇〇‐七〇四段、の私の批評を比較されたし>

「聖書のみ」という宗教改革の出発点に立ち返ることで、信仰のための組織神学と学術的解釈学を総合することができるとフリッチェは考えている。

脚注)

*1【日本基督教団】

1941年、宗教団体法に基づき、日本のプロテスタント30余派、約2300の教会が合同して成立した合同教会。終戦後の1945年、宗教団体法が撤廃され、新たに制定された宗教法人令に基づく日本基督教団として再出発し現在に至る。1967年「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表し、注目された。全文は日本基督教団公式サイトで読める。http://uccj.org/confession

*2【シュライエルマハー】/フリードリヒ・ダニエル・エルンスト(1768-1834)

近代神学の父と呼ばれるドイツの神学者。ベルリン大学教授、初代神学部長などを務めた。17世紀に発達した自然科学は、物事を合理的に捉えようとする点で同時代の思想に大きな影響を及ぼした。その思潮は、18世紀のフランスで啓蒙思想として開花した。啓蒙思想は、中世以来のキリスト教の神を絶対視した世界観にも疑いの目を向けた。

そのようなキリスト教的価値が揺らぐ時代に活動したシュライエルマハーは、宗教を次のように規定した。宗教は、啓蒙思想が誤認したような幼稚な哲学でもなく、道徳の随伴物でもない。他の目的に仕える手段ではなく、それ自身を目的とする独自なものだとした。したがって、宗教の研究は宗教自体から宗教を理解する方法をとらねばならない。宗教は教理や信条を理解したり、神について思索する活動ではないし、理想や目的を実現しようとする行動でもない。それは当事者のみに経験される心的活動で、それを「敬虔」と呼ぶ。敬虔とは「直観と感情」であり、さらに規定すれば「絶対依存感情」であるとした。

シュライエルマハーは「直感と感情」と言うことで、神の居場所を天(人智が及ばない場所)から人の心の中へと転回させ、自然科学や啓蒙思想から切り離したことになる。この転回は、その後の神学に大きな影響を与えた。

著書に『宗教について』『神学通論』『信仰論』など多数。

シュライエルマハーの神学入門として、『近代神学の誕生 シュライエルマハー「宗教について」を読む』(佐藤優、深井智朗 春秋社)が、対談形式でわかりやすい。

*3【テリトリアヌス】/クイントゥス・セプティミウス・フロレンス(生没年不詳)

2世紀後半から3世紀初頭に活動した西方教会の神学者。カルタゴ生まれ。法学、修辞学を学び、その知識をキリスト教擁護に生かした。西方で最初に「三位一体」を唱えた。

*4【トマス・フォン・アクイナス】(1224-74)

イタリアのスコラ学者。「恩恵は自然を破壊せず、かえってこれを完成する」の言葉で知られる。人間の生まれながらの意志は、原罪により傷つき病んで悪に傾きやすくなっている。そのような人間の魂に洗礼の秘蹟を通じて恩恵が注入されることによって、傷つき病める意志は完成され高揚される、とした。恩恵が注入されるために必要な秘跡として、洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の7つを挙げている。

*5【ロレンツォ・ヴァッラ】(1406頃-57)

イタリアの人文主義者。文献学の方法を駆使し、西方教会の代表的なラテン語聖書『ウルガタ聖書』のいくつもの誤訳を発見。またローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、教皇領を献上したという「コンスタンティヌスの寄進状」が偽書であることを証明した。ヴァッラの方法論はルネサンスの学者や宗教改革者に影響を与えた。

*6【パネンベルク】/ヴォルフハルト(1928-2014)

ドイツのプロテスタント神学者。著書『学術理論と神学』で、パネンベルクは科学哲学などの成果を取り入れ、神学の展開を試みた点が、本稿のフィリッチェによる批判の対象になっている。

*7【ザウター】/ゲアハルト(1935-)

ドイツのプロテスタント神学者。父・子ブルームハルトの研究家として知られる。ブルームハルト父子は、19世紀から20世紀に生きた牧師。父は牧師として赴任した村の若い女性から悪霊を追い出したことで知られる。息子は宗教社会主義に身を捧げた。カール・バルトが影響を受けた。