現代の言葉第3回 韓国と慰安婦問題

▼バックナンバー 一覧 2012 年 6 月 20 日 東郷 和彦

 2012年、日本をとりまく各国は政権交代の年であり、台頭する中国とアジア太平洋に軸足を移しつつあるアメリカとの間で、日本外交は厳しいかじ取りを迫られる。

 その中で、近隣国として地政学的条件を同じくし、民主主義・市場経済・ポップカルチャーを共有する韓国ほど今、日本が連携すべき国はない。歴史問題はあっても、李明博政権との間で、日韓両国は共通の絆を求めて努力してきた。

 その両国関係に、慰安婦問題をめぐって異変がおきている。2011年8月、韓国憲法裁判所から、韓国政府は慰安婦の権利をまもっていないという判決がでた。12月18日に京都で行われた日韓首脳会談で、李明博大統領は全面的に本件を提起、首脳会談は緊迫した。北朝鮮の金正日総書記の死去によって本件は日本のマスコミから消えたが、事態の深刻さは深まっている。

 慰安婦問題の発端はすぐれて、日韓問題であった。20年前、冷戦後の新世界の中で、元慰安婦が謝罪と償いを求めて発言を始め、金永三大統領が宮澤喜一総理に問題を提起した。日本側は、1993年河野談話により謝罪し、「アジア女性基金」の償いの活動を誠意をもって行った。

 しかし、1965年の日韓正常化の際、戦争に関するすべての問題は法的に決着積みという立場をとっていた日本政府は、償い金は民間拠出とした。韓国側は、日本が法的責任をとっていないとして、和解を拒否、問題は決着しなかった。

 1990年代後半から舞台は国連の人権委員会における日本批判と、アメリカの国内での謝罪要求に移った。2007年安倍総理の「狭義の強制性はなかった」という発言がアメリカで大問題となり、ついに、下院本会議の日本非難決議となった。

 それから4年、国際場裏で鎮静化していたかに見えた問題が、再び韓国で爆発したのである。

 私は、アジア女性基金に基づく償いを受け入れようとした一部慰安婦を、国賊扱いした韓国側のやり方に強い批判をもっている。

 けれども、欧米を中心とする世界の潮流は、慰安婦制度を当時の視点からではなく、「女性の尊厳」という現在の視点から見ている。「自分の娘が慰安婦にされていたら」とのみ考える。

 アメリカでは今、在米韓国人により、慰安婦問題とユダヤ人虐殺をしたナチスのホロコーストは同質であるという運動が始まっている。韓国では大きく報道されているこの動きは、日本のマスコミでほとんど報道すらされない。

 もとより、慰安婦制度は、「レイプ・センター」でもなければ、ましてや、ホロコーストではない。だが、国際的情報戦には勝たねばならない。そのためには、謙虚な姿勢の中から、真実を浮かび上がらす他の策はない。

 解決の道筋は、一つしかないと思う。「アジア女性基金」の延長上に新しい制度をつくる。日本政府は道義的観点から謝罪と償いを行う。2007年の最高裁判決で日本の法廷では慰安婦問題を有罪にしないという判例がでている。日本政府は、今度は、政府の予算を使って償い金を払うことができるはずである。

(2012年1月30日『京都新聞夕刊』掲載)

 

<現在の視座から>

 またたく間に半年近い時間が流れる中、事態は、更に悪い方向に流れているように見える。
 まず日韓間の話し合いは、一向に進展しない。少なくとも、そう報道されている。

 5月13日、北京で開催された日中韓首脳会議の際に開かれた野田総理と李明博大統領との会談で、進展は伝えられなかった。総理が「大統領と知恵をしぼっていきたい」と発言したと報ぜられ(産経新聞、5月14日)、「双方とも腫物に触るように深い議論を避けた」と論評されたのみである(朝日新聞、5月16日)。

 一方アメリカでは、ひと騒ぎ持ち上がってしまった。

 ニュージャージー州パリセイズパーク市の図書館横に、「日本帝国軍部に拉致された20万以上の女性を悼む」という慰安婦の碑が建てられた。2010年秋のことである。ところが本年5月1日、日本のニューヨーク総領事が市長を訪問、河野談話による日本政府の立場を説明、桜の寄贈などについて述べたあと、やんわりとこの碑の撤去を要請。「耳をうたがった」市の側は、これを拒否。5月6日には、自民党の議員4名が同市を訪問、明確に碑の撤去を要請、市の側は拒否。日本では、朝日、産経などが地味に扱っているこの件は、5月18日ニューヨークタイムズに写真入りで「慰安婦の碑、昔からの憎しみを深める」と題して大々的に報道された。いまや全米に、少なくとも、全米のジェンダー活動家、人権擁護派、そして日本関係者の間に、本件は再び知れ渡ることとなった。

 この問題について何度も議論をしてきた私のアメリカの友人たちは、2007年「狭義の強制性なし」との安倍総理発言で全米の世論が硬化したあと、ワシントンポストに掲載された「慰安婦の真実」の広告が、収まりかけていた火種を爆発させ、結局下院の決議に突き進んでいった経緯を思い返しているようである。彼らは、「なぜ同じ間違いをくりかえすのか」と、日本関係者の対応に絶望感を隠していない。

 5月の日韓首脳会談で、外務省の知恵者が何も策を講じていなかったとは、いささか信じがたいことである。決して事前に外にリークすることなく、水面下で日韓の話し合いが進捗し、合意に至ることを願うのみである。