現代政治の深層を読む政権交代という革命の成就
小選挙区制度は常に勝者の勝ち方を増幅するものではあるが、今回の民主党の地すべり的大勝は衝撃的であった。郵政民営化選挙からわずか4年間で、なぜこれほどまでに極端から極端へと民意が振れるのであろうか。しかし、一見激しい振れ方に見えて、実は2005年と2009年の間には、連続性と共通性がある。変化と連続の両面を見ることから、今回の選挙の意味を読み取りたい。
自民党政治の拒絶という点では、2005年、さらに21世紀の初頭から、民意の強い連続性がある。2000年春に密室の謀議で森喜朗首相が登場したあたりから、自民党政治を国民は見限り始めていた。2001年春、森首相の退陣後の総裁選挙で、自民党をぶっ壊すと叫んだ小泉純一郎氏が世論の追い風を受けて勝利し、人々の欲求不満はひとまず落ち着いた。
しかし、小泉退陣後の自民党は、国民の拒絶の対象にしかならないまで劣化した。なにより、まともな常識を持った指導者を選ぶことができず、毎年首相が責務を放り出すという失態を演じた。ここで国民は完全に自民党を見放した。今回の選挙で麻生太郎首相が政策で選んでほしいといっても、政策の出来栄え以前に自民党は政党の体をなしていないと国民は判断したのである。こともあろうに、麻生首相が責任力などという言葉を持ち出したことは、国民の自民党に対する軽蔑を一層決定的にした。安倍晋三元首相は札幌に遊説に来て、民主党に政権を任せられるかと叫んだが、大半の人はお前にだけは言われたくないと思ったはずである。
今回の選挙の特徴の1つに、追い詰められた自民党がなりふり構わずネガティブキャンペーンを張ったことがあげられる。冷戦時代の発想そのままに、民主党を社会主義と攻撃したり、右翼的なナショナリズムをくすぐったりと、見る方がうんざりするようなものであった。天下の自民党もここまで落ちぶれたかと、逆効果になったと思われる。内実を聞くと、電通を辞めた人が作った零細広告代理店が自民党事務局の知り合いから注文を受けて制作したものらしいが、広報戦略の管理が全くできていないことをうかがわせる。
このように自民党への拒絶という底流が、今回は野党第1党への支持に流れたということがいえる。ただし、同じく伝統的な自民党への拒絶といっても、4年前の民意と今回の民意には大きな違いがある。4年前には、民営化と規制緩和によって政府の領域を縮小することが、官僚や族議員の既得権を奪い、公正な社会をもたらすと人々は期待した。しかし、その後の景気回復にもかかわらず労働者の賃金はむしろ下がり続け、貧困と不平等が広がった。そして、小さな政府路線は、単に強者の貪欲を広げるだけで、医療や労働を破壊したことが明白になった。人々は改めて私利私欲を超えた公共領域の必要性を再確認し、政府の役割を期待することで選挙での選択を行った。
いかに敵失が大きいとはいえ、民主党が前回の大敗からわずか4年間で政権交代を成し遂げることができたのは、ひとえに小沢一郎前代表の下で、政策を転換し、選挙戦術を変えたからである。民主党は様々な主張が雑居した政党であったが、小沢は「生活第一」というスローガンの下で、自由放任を旨とする自民党に対して、平等と再分配を追求する姿勢を明確にした。これにより、ようやく二大政党の対立構図が鮮明になった。
また、風頼みの民主党の政治家に対して、徹底的に地域を歩き、辻立ちをすることで、票を掘り起こす戦法を小沢は命じた。浮ついた構造改革の威光で当選した自民党の政治家の方がむしろ根無し草になったのに対して、民主党には地域や庶民の実感を肌で知る政治家が増えた。今回の選挙で農村地帯の保守の岩盤を打ち砕いて、民主党が大量当選したことも、単なる僥倖ではない。
逆に、自民党の陥った危機は深刻である。多くの自民党支持者、支持組織は、自民党が与党だから支持してきた。小泉改革の規制緩和、歳出削減、民営化によって、自民党は自ら支持者に配るアメを捨て去った。そのことが、「自民党をぶっ壊す」ことの具体的意味であった。自民党はその小泉改革さえも、自らの延命のために利用した。小泉が去った後は、自民党には国民の歓心を買う材料が何も残っていなかった。自民党は権力にしがみつくこと以外何も考えていないという本質を露呈した。自民党が漂流したのも、当然の帰結であった。
民主主義とは、端的に言えば、国民の手によって権力者を馘首するための制度である。昨日の少数派が、国民の選択によって今日は多数派に転じるダイナミズムこそ、民主政治の醍醐味である。その意味で、今回の政権交代は日本の政治史上画期的な出来事である。投票率が選挙制度改革後の最高を記録ことも、国民が歴史の新しいページを開くことに参加したいと願ったことの表れであろう。今回の政権交代によって、ようやく本物の民主主義が日本に現れたということができる。いわば、政権交代によって市民革命が成就したのである。
今回の選挙では、各党がマニフェストを示し、メディアもマニフェストを子細に比較する報道を繰り広げた。しかし、メディアや有識者がマニフェストの具体性や実行可能性を強調するあまり、政策論争が些末な論点に集中し、かえって政党政治の可能性を狭める結果になったのではないかと私は考えている。
実際、選挙戦中の世論調査を見ると、民主党のマニフェストの各論に対する国民の支持は必ずしも大きくはない。政治は定められた課題に対して正解を書く作業ではない。日々変動する世の中を動かす作業である。したがって、マニフェストを金科玉条にするのではなく、政策実現の手順を周到に考える柔軟性が必要である。
困ったことに、民主党の政治家はマニフェストを正直に実行することを自らの政治責任だと考えているようである。しかし、マニフェストにこだわっていては、民主党政権はすぐに立ち往生するであろう。そもそも国民が懐疑的な政策なのだから、それを百パーセント実現することに固執するべきではない。
では、政権交代が起こってよかったと国民に感じてもらうためには、何をするべきだろう。第一に必要なことは、政治主導によって徹底した情報公開を行うことである。道路特定財源をめぐる論議の時に明らかになったように、長年の自民党政権の下で利権の伏魔殿があちこちに築かれた。その実態を解明し、旧体制の腐敗を国民に知らせることが、本来の改革の大前提である。
第二に、来年春を目処に、国民の希望を取り戻すプロジェクトを立ち上げることを提案したい。春というのは人間が進学、就職で動く時である。その時に、政策的なサポートをしっかり用意し、人々が希望を持って前に進むことができれば、政権交代の意義を実感するはずである。半年後に効果を上げるためには今すぐ政策転換に着手しなければならない。来年度予算の編成は官僚の手で着々と進んでいるが、学費の援助や就労支援対策のために予算を上積みすることくらい、その気になればすぐにできる。家族が病気で倒れた時に、すぐに治療を受けさせるのではなく、先に治療費の算段をするような人間はいない。国も同じである。最も重要な政策課題を示し、それを実現するために他のものは後回しにするのが政治的決断である。
第三は、対外関係の再検討である。自民党政権はその偏狭なナショナリズムゆえに、アジア諸国との真の相互信頼関係を築くことはできなかった。民主党政権がいきなり対米自立などと背伸びしたことを言う必要はない。むしろ、アジアの一員であることを強調し、歴史に対する反省をふまえながら未来志向の協力体制を作るという姿勢を示すべきである。来年は韓国併合から百年という節目である。朝鮮半島、更にアジアに対して、和解と協力のメッセージを発することは、民主党政権にしかできないことである。
では、歴史的な大敗を喫した自民党が再生するためには、何が必要であろうか。今後の自民党には大きく三つのシナリオがある。第一は、右派的ナショナリズムの純化路線である。選挙戦中に自民党自身が行った民主党に対するネガティブキャンペーンの延長といってもよい。第二は、穏健保守への回帰という路線である。憲法改正を急がない。経済的な調和を図る。こういった穏健路線はかつての自民党の主流であったが、この十年ほどは捨て去られた。第三は、小泉改革を推進した人々が主導権を取って、改革路線で再起を図るというものである。しかし、小泉という盟主がいなくなった自民党でこの路線が主流になることは難しいであろう。
民主党との対決を選ぶなら、第一のシナリオとなる。民主党の政策路線をある程度は共有しつつ、程度の違いを競うということになれば、第二のシナリオである。どの道を取るかは自民党自身が決めることである。ただ、私自身の感想を言わせてもらうなら、かつて日本の統治に責任を持った自民党が、勢力を縮小して、自己陶酔的な右派ナショナリズムの政党になることは、実に痛々しい。また、右派的ナショナリズムを強調すれば、自民党はかつての社会党の裏返しで、万年野党になるであろう。ヨーロッパでは、フランスなど多くの国で保守政党が政権を取っているが、これは社会民主主義的な福祉国家路線を共有しているからこそ可能になっている。
真の二大政党制とは、自民党がもう一度政権を奪還することによって、完成するのである。その意味では、日本の民主政治の将来にとって、敗れた自民党の再建がきわめて重要な意義を持っている。