読み物最高裁のウラ金

▼バックナンバー 一覧 2011 年 1 月 20 日 生田 暉雄

3回死にかけたが、死なずに助かった

 皆さん、おはようございます。本日はお招きいただきまして、非常に光栄に思っております。今日は、私の体験したことを中心に、裁判所の実情、裁判官とはどういうものかということが、少しでも分かるようなお話ができればと思っております。
 私は22年間裁判官をしておったのですが、裁判官の気持ちをお話しするには、本当に私は適切かなという気でおるのです。私は、元裁判官ということを、できるだけ表に出さないつもりで仕事をしています。あまり元裁判官であるということを、それほど強調したくもないのです。
 それと、ほかの裁判官とは、どうも経歴からしても異色のような気がして、それが私自身の強みでもあり、弱みでもあるようなものですから、あまり一般化できるものではないんじゃないかなという気もします。しかし今回はご示唆もありましたので、やむなくそういうところまで踏み込んで、話してみたいと思っております。どうしても人間というのは、その人の生い立ちがものすごく影響するように思うんですよね。
 私の場合は昭和16年に生まれまして、生まれたときがもう虚弱体質で、これは助からんと医者から見放されたが、何とか生き延びました。それから2、3歳のときには全身の出来物で、まただめだということで、これも母親の漢方医療みたいなもので、何とか持ち延びました。
 それから4歳のときに終戦で、神戸から両親の実家がある四国へ逃げて帰る最中に、汽車の中で連結器の上に立っていまして、あまりにも体が冷えて、体中の血液が全部ドシヤッと下血してしまって、4歳から6歳までは四国の徳島で寝たきりの生活。重湯って皆さん知らないかもしれませんけれど、米の研ぎ汁ですよね、それだけを飲んで2年間生き延びていました。
 それで2年が経ち、多少元気になってくると、研ぎ汁だけじゃなしに少しは粒のものが欲しくなる。それで米の粒をいくらか入れると、また下痢をしてしまって、元の状態に戻ってしまい、また2年間寝たきりで過ごしました。小学校でも、人よりも発達が遅れていて、体も小さい。遠足なんか行くのは片道がようやくで、帰りは親父がリュックサックの中へ私を放り込んで帰った。
 生まれてから、3回ほど死にかけて、よく死なずに助かったと。これは自分なりにいいほうに考えようと思って、神様が、何とか生きとって世の中のためになるようなことをせえと言っとるんちゃうかというふうに、善意に解釈して生きてきたわけです。
 それで中学・高校と剣道をして、高校のときは兵庫県で個人でも2位ぐらいの実力になりました。もう剣道にのめり込んで、近藤勇が竹刀を3000回振ったというのを聞いたら、自分も毎日3000回振る。3000回振るのに1日3時間ぐらい振り続けなけりゃならんので、近所では、あそこには気違いがおるとかいう噂がたつぐらい、のめり込んでいました。それはよかったのですが、高校を出ても行く大学がない。
 それで親は、下に2人も弟がおるのに、お前だけを私立大学にやらすわけにはいかんと言うのですが、私立大学以外に行けるところはないので、家から通えて月謝が当時一番安かった関西大学に行きました。関大に行ったのですが、やっぱりもう一回勉強し直して、別の大学を出直したほうがいいんかなと3年ぐらいまで毎日考えていました。また学費のために毎日バイトで、学校行くよりバイトのほうが多かった。そんな生活をしていました。
 3年のときに、司法試験があるというのを友だちから聞いて、それならそれを受けていこうということで、4年とそれから卒業して1年は、丸っきり浪人して勉強したのですが、まだまだだめで、卒業して2年目は私立の高校の歴史の先生、これは教員免許を取りつつあるということで、免許なしでもやれたので、それをやった。それから、大学を出て3年目は神戸市役所へ勤めて、4年目の神戸市役所のときに司法試験に通った。

かなり異質な経歴で裁判官になった

 裁判官はみんな勉強がよくできる、学校秀才といいますか、勉強ができるというのが、唯一の本人のよりどころのような人ばかりの集まりなんですよね。そういう中で、私はかなり異質な経歴で入ってきまして、これでいいのかなというのと、一方では、人よりもバイタリティのある生き方をしてきたということが励みにもなっていました。
 なぜ裁判官を選んだかといいますと、司法試験通って、われわれのときは10クラスぐらいに分かれているんですね、1クラス50人ぐらいです。それで始まって5日ぐらいまでのあいだに、コンパがあるんですよ。
 そのときに、あとで最高裁判事にもなられた谷口正孝という裁判官の教官がおって、その人のところに酒をつぎにいくと、生田君、君はもうこの席で裁判官になるという約束せえ、そうしたら任地も全部保証してやるわと言うんです。そこまで言われたら、私も司法試験の成績もそこそこだったのかなということも思ったのですが、そんなあまり人のおだてに乗るような生活をしてきていないものですから、必ずしもその場では、うんと言わなかったんです。
 それから検察官の教官のところに行きますと、生田君、君は顔つき、体つき、検事に生まれついたみたいなものだから、絶対出世するから、もうここで検事になるという約束をせえと言うわけです。顔つき、体つきだけで大丈夫なんだろうか、成績とか能力とか、そんなことは関係ないのかなと思い、「顔つき、体つきだけで大丈夫ですか」と言ったら、「うん、大丈夫」だと。それから、「私は青法協に入っていますけれど、大丈夫ですか」と言ったら、「人の思想はいつでも変わるけれども、性格は変わらん。君の性格は検事に向いているから、出世する」というわけです。
 その検事からは、裁判官になるということを決めたあとでも、まだ撤回して検事にならんかという説得を受けました。そういうことで、公務員になるということには大して抵抗はなく、裁判官になっていったと、そういう経歴があります。

裁判官の日常生活

 それで裁判官になって、22年間で7箇所転勤しているわけです。3年に1回の転勤ということです。裁判官の生活はどんなものかといいますと、最後は高松家裁の上席裁判官ということで終わったのですが、高松家裁へ行ったのが47歳のときです。このとき、所長と上席には黒塗りの車が配車されるんです。だから、裁判所と官舎の往復は車に乗ってくださいと言われるんです。車に乗って5分か6分ぐらいの距離なのですが、車に乗ってくれと。
 それで私としては、毎日車に乗っとったのでは、もう社会のことも分かりにくくもなるし、帰りには酒ぐらい飲みに行きたいという気も起こるのに、それもできないようでは困ると思って、車には乗らないと言ったら、総務課長が飛んできて、運転手1人を首にする気かと怒られた。それで、仕方ないから、朝だけは乗りますと。帰りは荷物だけ乗せますから、それを官舎まで運んでくださいというので、帰りは乗らないということをやったわけです。
 それで、そういう裁判所と官舎とのまったくの往復だけの生活というのが、日常生活になります。
 それから、高松家裁の一つ前の高裁の段階での話をしますと、それぞれ部というのがあります。私の場合だと刑事部というのに所属していて、ちょっと詳しくは忘れましたが、刑事部が6部か7部かあった。それから民事部が10部ぐらいある。一つの部に裁判官が3人から4人ということで、3人ならコの字型、4人ならロの字型に机を配置して座っているわけなんですが、そこでの日常の話というのは政治の話なんかは一切しません。3年間おりましたが、政治の話し合いをした覚えは一切ありません。
 それで裁判長が60歳前後の、当時の私から見れば年寄りで、きのうの体調はどうであったかとか、夕べは寝られなくてねとか、そんな健康の話ばかり。そのほかの話というのは、彼はどこどこ地裁からどこどこの所長になってねとか、人の出世の話。もうその二通り以外の話はほとんどないということです。
 それから、よその部の裁判官の顔を見るというのは、たまたまトイレで顔を合わせるぐらいで、普段の行き来はありません。月1回ぐらいに判例研究会という、裁判官全員が集まる会があり、顔を合わせるのはそのときぐらいです。それ以外は、よその部に遊びに行ったりもしません。自分の部、裁判官4人構成の部の隣に書記官、事務官という、10人前後の人数がおる部屋があって、それが一体となっているということです。

裁判官の飲み会

 それで書記官、事務官と裁判官との飲み会も、私が裁判官になって10年ぐらいまでの間はあったのですが、その後、最高裁からの指令ということで、もう一切、部で飲み会をするということはなくなりました。だから、10年ぐらいまでの間は、ややこしい事件なんかが終わった後は、打ち上げがあり、みんなで良かったなと飲み会をして、それから二次会で街へ流れていくというスタイルだったのですが、そういうことも一切なくなった。
 それから、裁判官は裁判所のほかの職員と一緒に飲むべきではないと言われました。裁判官は管理職だから、管理監督する人とその対象の人とが一緒に酒を交わしたりするべきではないというので、そういうことも一切なくなりました。だから裁判所の職員と一緒に飲むような裁判官は、評価が悪くなるわけです。しかし、私自身はもう辞めるまで、裁判所の職員と仲良く酒を飲んだりもしていました。
 それから会議ですが、例えば30人以下ぐらいの規模のところでしたら、長机の一番上座に所長が座って会議がされるのですが、席次は俸給の高い人から順番に並んでいくわけなんです。もうそれがバッチリ決まっています。ある日突然、自分より下座にいた人が、自分を飛び越えて上座に行ったなということがありましたら、彼が私よりも号俸が上がったんだということを意味するわけです。
 号俸でもう全部決まっていますから、なかなか所長の際にいる人が発言しているのを、それは間違いでしょうなんて、下のほうから言えるような雰囲気ではないのです。もうみんな、分かりました、はい、そうですという、そんな会議です。この裁判官の号俸というのがもうあらゆるところにあります。だから、会議だけじゃなしに職員の表彰なんかの席で、裁判官が列席してやる場合でも、号俸順に全部並んでいる。そういう生活です。

裁判官の市民生活

 それから、裁判官の市民生活ということですが、裁判官はほかの国の裁判官と違って、市民的自由というのは一切ありません。フランスやドイツは労働組合を結成できるとなっていまして、実際にも組合を結成していますが、日本ではそういうことはありえません。
もう10年も前でしょうかね。裁判官が青法協会員だったというようなことも、全部やめてしまいまして、そういうのもありません。そういうことで、市民的自由もほとんどない。
 最近、高知の白バイ事件といって、卒業式の卒業記念の22人の生徒を乗せたバスに、白バイが横っ腹に当たってきたという事件があるのです。そういう事件も見ていまして、あの担当裁判官は恐らく運転免許を持っていないのかなと、私は記録を見ながら思ったのですが、裁判官は運転免許を持っていない人も大勢おります。
 私も50歳までは持っていませんでした。四国で弁護士をやろうと思って、はたと気がついたら、こんな四国では運転免許がないかぎりは、動きが取れんのじゃないかと思って、大急ぎで50歳で、年齢分ぐらいの費用が要るぞとみんなから脅されながら、何とか自分は規定の費用で通りたいと思って努力して通ったのですが、そういうのを覚えています。
 裁判官は大都市におりますから、実際上は運転免許を持つ必要はあまりありませんので、運転免許も持っていない。要するに勉強以外の経験はほとんどない。
 それから、だいたい裁判官は日本の場合は、一つのマンションの中に全部いるようなところがほとんどですが、そこでは裁判長の奥さんの権限が、奥さん連中の中でも、裁判長の奥さんが取り仕切っている。草刈りとか階段掃除とかいうのを、裁判長の奥さんの命令でみんな動く。あそこの奥さんは動きが悪いとか何とか、あとで評判になります。いつも出てくるのが遅いとか、いろいろなことを言われるようで、ノイローゼになるような奥さんもいるということです。

裁判の結論よりも処理能力

 裁判官の意識ですが、裁判官も学校時代から、学校秀才ということだけが自分の頼りなんですよね。私の同期で知っているのでも、例えば四国の愛媛に宇和島市という市がありますが、宇和島市始まって以来の騏麟児、秀才だというので東大、司法試験現役で通って、裁判官になってきている人。そういうふうな、もう勉強については無茶苦茶よくできる。だけど、勉強以外はあまり得意ではないという人が多いです。
 それから法律家としても、裁判官としては務まるけれども、検事のような仕事はできないし、もちろん弁護士にもなれない。裁判官以外にはなれない。だけれども、自分は偉いんだという意識は人一倍強くて、権力意識なんかも非常に強い。いっしょに裁判をやっていましても、裁判長とかほかの陪席の方にも出てきた人にも、社会的地位が上の人には、つまり強い者には弱くて、弱い者に対しては非常に強圧的に出ていく。
 だから裁判に本来、服装は関係ないはずなんですが、やはり法廷へ出るときはパリッとしているのと、作業服でダラッと出てくるのとでは、もう裁判官の印象が極度に違うんです。
服装なんかで、ものすごく差別的な発想をする。こういう傾向があります。ほとんどの裁判官はそれです。外見とかそういうことに非常にとらわれるということです。
 それから、裁判官が優秀かどうかというのは、裁判の結論じゃなしに、事件をどれだけ早く処理したかということです。民事事件の場合でしたら、事件票というのが毎月回覧されるわけです。特定の裁判官の名前は入れていませんが、A、B、C、Dとか、1、2、3、4とか打ってあって、これが誰かというのはその票を見れば明らかに分かります。
 既存の事件を何件持っていて、何件新件でこの月は受けて、この月は何件処理したというのが一覧表に出ます。みんなその一覧表を非常に気にしています。当時は星取表といわれていたのですが、それを見て、おれはあいつよりも大分未裁がたまってきているというのを気にするわけです。
 私が経験したのは、裁判官になって6、7年目の名古屋のときでしたが、当時の所長が月の半ばに、その星取表をみんなに配って見せながら、今月は先月よりも処理件数が非常に少ない。いまさら判決書け言うても間に合わんだろうから、みんな和解でしっかり事件を処理するように(笑)。月の二十日ぐらいになったら、そういう訓示が裁判官を集めてされるわけです。それぐらい処理件数というのがものすごく大事なわけです。
 私も何とか人よりも早くというか、それぐらい裁判官でまともにやっていきたいという気もあったわけですから、特に私は高裁へ入ったのが、同期のみんなよりもかなり早いのです。それはどういうことかというと、当時、3回目に徳島地裁へ行った。ところが徳島地裁では、その前にラジオ商事件とか、森永ドライ砒素ミルクの事件なんかがあって、ほかの事件が全部止まって、ロッカーに何本ももうほとんど判決を書くだけの事件がたまっているのです。
 それで、生田君、君はこれを全部処理してから転勤してくれと言われて、当時は極めてまじめですから、言われたことはそのとおり受けてやるということで、土日にほかの裁判官がテニスする中でも、私は運動服に着替えていって、古い記録を、ほこりだらけの記録をひっくり返して、ほとんど転勤までに処理していった。そういう処理能力が買われて、高裁に行ったんじゃないかなと思います。
 それから、できるだけ自分の良心に反することはしまいと思っていたのですが、いまでもはっきりと覚えているのは、徳島から尼崎支部へ行きまして、ここで、公職選挙法の戸別訪問が憲法違反かどうかという有名な事件がかかっていました。
 それで、私はどういうことを結論にすべきか非常に迷ったのですが、私自身の保身も働き、それと支部長が裁判長で、尼崎の支部長というのは順当にいけば、次、所長に出られるのです。その出世を妨げたくないというのもあって、憲法違反というのは合議で言わなかったのです。
 それで、あとでその支部長、裁判長から、生田君が憲法違反を言い出したらどうしようかと思って、困っていたけれども、生田君は言わないでくれたから、私も所長になれると喜んでくれた。それで、その人は所長で出て行ったのです。そういうふうな妥協もあって、高裁の判事になっていったんじゃないかなと。だから、かなり自分としては忸怩たるものがあるわけなんですよ。

給料差別と屈辱感

 裁判官というのは、みんな自分は勉強ができると、人よりも落ちると言われることに一番弱い体質なんです。比べられて落ちると言われることにです。そういうことから、これを逆手にとれば、一番裁判官をうまく統制できるということになります。現在、最高裁は裁判官に憲法違反の統制をしています。
 それはどういうことでやるかといいますと、裁判官になって20年目までは、月給はみんな平等に上がっていきます。20年目までが4号というところです。21年目に4号から3号になるかどうかということで、ふるいにかけられるわけです。3号にならないと裁判長にもなれません。
 それから、4号から3号になる給料差ですが、これはだいたい2000年、平成12年の基準でいきますと、4号俸の月額が90万6000円、3号俸になると106万9000円で、16万3000円差があります。毎月で16万3000円違って、これがボーナスや諸手当、給料の1割がつく大都市手当、それらを合わせると、だいたい年間で500万円の差になる。結構大きいんですよ。
 だけど、その給料差だけじゃなしに、相手は3号になったのに、会合の座席でいえば、自分を飛び越して上座に行っちゃったのに、自分は行っていないという、こういう屈辱感みたいなものも大きいんですよね。そういうことで、非常に3号にみんななりたくて仕方がない、21年目ぐらいからは。
 だけど最高裁は、どういう要件があれば3号になって、どういう要件がなければ3号にならないかという基準を明らかにしないのです。だから、こういう行動をとっていたら、最高裁は自分を嫌わないだろうかとか、最高裁に評価されるんじゃないかということを非常に気にして生活や判決もします。
 だから、まず考えられるのは、組合関係の判決なんかで、検事と違うような判決を出せば、まず最高裁からもにらまれるであろうということは、推測は立ちますから、検事の要求と違うような判決は、まず出さないと思います。裁判官としてはまず出さない。
 そういう最高裁が何を考えているのかという、上ばかりを見るというので、「ヒラメ裁判官」といわれています。ヒラメというのは海底で砂の中にうずくまって、目だけを上に上げて生活しているらしいのですが、そういう上ばかり見ているというので、ヒラメ裁判官という。そういうことです。給料をそういうふうに餌にする。
 それで3号にならないと、2号にもならない、1号にもならない。1号にならないと所長にもなれないということです。1号と4号とでは、月にして30万円以上の差がありますから、これが年間になって、諸手当、ボーナスから全部含めますと、1000万ぐらいの差になってくる。それから、退職金も全部そういうことで計算されてきますから、生涯所得では相当の差になってくるということです。みんな3号、2号、1号に早くなりたいということで、最高裁のほうばかりを向いて仕事をする。
 20年、30年経ってから、あの自白調書はおかしいと、えん罪であったというのが出てくることがあるが、これはある意味では分かりきっていながらも、自白調書を信用して有罪の判決を出しているわけなんです。検事の出す白白調書を信用していくというのは、こういう給料差別による餌があるからです。

任地による差別

 任地というのも非常に関係しています。ここの東京地裁にいたり、非常に優秀だといわれるような人、要するに最高裁の覚えがめでたい人は、東京から一歩も動かない。東京地裁の判事、高裁の判事、司法研修所の教官、最高裁の調査官。そういうことでグルグル回っていたら、もうずっと東京だけで過ごせる人がいる。
 その次にいい人は、東京、大阪、名古屋とか大都市だけを動く。それから、その次が東京にいて、いったん地方に出て3年以内に帰ってくる。大阪にいて3年以内に大都市へ戻ると、こういう人もいます。それより下の人は、もう地方ばかりを回っている。そういう任地による差別というのがあります。
 それで、東京なんかにいれば、世論の注目を浴びるような大きな事件をやれますが、地方では滅多にそういうことはありえません。そういうことからも、やりがいの点で非常に違ってくる。だから、みんな大都市に行きたい。こういうことです。
 じゃあ、地方都市にいる裁判官のほうが、冷や飯を食っているだけに、最高裁の言うことを聞かん人が多いのかと思うかもしれませんが、必ずしもそうとは言えない。起死回生の挽回をしたいという人もおりますから、地方にいても「超ヒラメ」という人もおります(笑)。なかなか分からないということになります。

最高裁のウラ金とウラ取引

 それで、4号から3号になるかどうか。ここからは私の推測なのですが、21年目には前年まで4号だった人の3分の1ぐらいしか3号にならないんじゃないか。その次の3分の1が翌年の3号、それから翌々年にパラパラッと3号になったり、一生3号にならない人というのもおります。私は、何人も4号で裁判官終わっている人を知っています。そうすると、もう退職金から生涯所得から、相当違ってくることになります。
 それだけじゃなしに、最高裁はこの4号から3号になる人、全員分の予算を獲得していて、その年には3分の1しか3号にせずに、残りの3分の2の分をウラ金として取っているんじゃないか。だから、残りの3分の2の予算額というのは、相当な金額のウラ金が毎年、最高裁に入るんじゃないか。こういう推測をして、私は公文書公開で追及していますが、それに一切最高裁は答えようとしません。
 それぐらいの予算のウラ金ができるから、それを使って、気に入った裁判官は10年以上たつと外遊に行かせてくれたりもします。それから、最高裁はいろいろな研究会等を設けて、学者にもお金をばらまいています。そこに入れるかどうかというのは学者としても、もう生命線のような形になっています。そういうところにもお金をばらまいてやっている。
 それから、裁判員裁判に当たっても、例えば市民の公聴会みたいなので、その会場のエレベーターのボタン押しに、1日5000円を出したとかいうので騒がれていますが、そういう裁判員裁判のときに27億を出したとか、そういうところにもお金をふんだんに使えるぐらいに、ウラ金をちゃんと準備しているということです。
 それで、日本の行政裁判というのは、年間1800件ぐらいしかないんですよ、国や地方の行政機関の不正に対する裁判は。ところがドイツでは50万件、人口の少ない台湾でも38万件、韓国でも16万件、日本では1800件。それぐらい違って、日本の行政訴訟はおかしな行政訴訟なのですが、それがおかしいですよと正面切って言う学者がいないんです。
 それは、最高裁に盾突くと学者生命がなくなるからなんです。特に現在は司法試験のための法科大学院というのができて、あそこには変な先生がいるから、あそこの法科大学院はだめだとかいううわさを少しでも立てられると、そこの法科大学院はもうだめになるということで、最高裁からにらまれるような教授を置いたりはしない。もうピリピリしていますから、そういうことで、もう全部学者から何から統制されてしまっている。こういうのが現状です。
 いろいろな法律の教科書でも、初めのうちは民主的なことを書いていたのが、版を重ねて5版目ぐらいからガラッと、最初の頃の民主的な記載が全部変わっちゃうとかいう本が、何種類かあります。そういうふうに、最高裁からにらまれたりしないように、日本全体が自粛しているという現状にあるわけです。
 ついでに裁判官の統制。給料と任地で統制していく。裁判官は最高裁の顔色ばかりうかがっている。最高裁は統制をするだけじゃなしに、それのためにウラ金もつくっていくということ。それから、ここも私の推測なのですが、ウラ金づくりのために、最高裁は行政機関とウラ取引もしているんじゃないか。

公文書公開によるウラ金の暴露

 裁判官の3号から4号の差別は、ほかの人もだいたい言い出していますから問題はないのですが、ウラ金について言っているのは、私ぐらいです。私が10年ほど前に『週刊金曜日』に、本多勝一さんとの対談で、「こんなことになってしまった裁判所」という題名で、連続3回ほどやりました。
 そこにも書いていますし、また私が日本評論社から5年ほど前に出した『裁判が日本を変える!』という本にも書いているのですが、そういうウラ金のために、ウラ取引をしているというようなことを言っても、最高裁は無視して、何にも私に対して言ってきません。私が言っているのがうそだったら、名誉毀損で裁判でもかけたらいいじゃないか。こういうつもりで、私はあえて最高裁のウラ金とか、ウラ金のためのウラ取引とか言っていますが、一向に最高裁は私を無視です。
 それで、私は平成21年の4月に最高裁に対して、最高裁の裁判官の統制とウラ金づくりの公文書公開の裁判を求めました。それと同時に、会計検査院に対して、最高裁のウラ金、裁判官のヒラメ化の原因である裁判官3号報酬に関して、実施した会計検査の結果が分かる行政文書の開示を求めました。
 ところが会計検査院からは、そういう会計検査をしたことがないので、その関係の行政文書もないので開示はできないという返事が返ってきました。だいたい戦後60年にわたって、会計検査院がそういう検査を1回もしていないことが、ちょっと私としては考えにくいので、もう会計検査院も知っておきながら、放任しているんじゃないかと思います。
 それから、公務員の不法行為に対して、個人責任を負うかどうかという問題があって、学説や下級審の判決では負うという判決も相当ありますが、最高裁は頑として、公務員は個人責任を負いませんという判決をするんです。そのためにいくら公務員の違法行為があっても、主権者たる国民はそれを問えない。だから、公務員は極端にいえばやり放題ということになると思います。
 なぜ最高裁がかたくなにそういう個人責任を認めないのか。これは行政とのウラ取引じゃないかというのも私は言っていますが、それに対して最高裁は何とも言ってこない。こういうことになります。

我々は遅れた社会に住まわされている

 こういうことで、裁判官が統制されてしまっていますので、なかなか裁判官は、組合の弾圧を受けた事件なんかで、本来誰が見ても無罪のはず、こんな無罪が何で分からんのかという思いはあるでしょうが、それはもう裁判官が分かった上で、最高裁の統制を受けて、これは有罪にしないと自分の地位が危ないということでやっているわけですから、無罪になったりすることはまず考えられないんじゃないか。
 だから、逆にいえば無罪にしなかった場合に、自分の地位が危ない場合は無罪になる。これが鈴木宗男の事件と、最近の厚労省の村木局長の事件との違いなわけです。
 鈴木さんの場合は世間の評価が悪い。だから、鈴木さんに賄賂を送ったという人の調書を証拠として、鈴木さんを有罪にする。村木さんの場合は、そういう村木さんが有罪であるという関係者の調書は信用性がないというので排除して、村木さんを有罪にしない。それは村木さんの場合は、どうも村木さんが正しいという世論のほうが強いということで、これを有罪にしていては、逆に自分の地位がヤバイ。こういう読みだろうと思うわけです。
 そういうことで有罪か無罪かが決まってしまうというのが日本の裁判です。だから、組合の弾圧事件なんかでも、これを有罪にしたら、有罪にした裁判官の地位が危ないんだというぐらいの世論の盛上りがないかぎりは、難しいだろうという気がします。だから、担当弁護士の能力とかそんな問題ではないわけです。
 はっきり言いまして日本の社会には、近代社会の三権分立はない。もう非常に遅れた社会に生活している。大変なところにわれわれは住まされているんだということで、私なんかは腹が立って仕方がないのです。

私が裁判官を辞めた理由

 それで、なぜ私が裁判官を辞めたか。私は一方で必死で、そういうおかしな仕組みだということを知りながらも、その中で自分は何とか生き延びられるだろうというので、卑怯というか、そういう考えを持ちながらも生き延びてきたのですが、あまり無理をしすぎて、女房が非常に重い病気にかかっちゃって、転勤ができなくなってきた。
 そこそこ私は最高裁の顔を立てるような仕事も必死でやってきたので、高松に女房の実家があるから、もう女房が病気だから高松へ転勤させてくれと言ったら、転勤は受け入れてくれた。それはありがたいのですが、最初は、大阪高裁から高松高裁の刑事部の裁判官ということで行ったのですが、高松高裁の刑事の裁判長が奈良の裁判長のときに、私が大阪高裁で散々に、こんな判決ではいかんという判決でいじめていた人だったので、取ってくれずに家裁に回されちゃったということがあるわけなんです。
 それで家裁に行って驚いたことがあったのです。家裁に転勤になりましたというので、ほかの用事で最高裁に行ったときにあいさつにも行ったのですが、家裁の所長は非常に優秀な人だから、それを見習うようにということを最高裁から言われた。その所長が優秀だというのは、10年もかかっている、20年もかかっている、長期未裁という長いことかかっている事件が、もう当時高松家裁には山積みされていて、20件か30件あった。もうどうしようもないぐらいにたまっていたのを、その所長がバッサリと処理した。
 その外形だけを聞くと、すごい人だなと思うのですが、どういう処理の仕方をしたかといいますと、20年30年かかっている事件の当事者を呼び出して、いったん取り下げをしなさい。取下書を出しなさい。取り下げてすぐまた復活の申立書を出しなさい。だから、いったん取り下げたから、20年30年たった事件が、全部その時点ではまっさらの新件になるわけなんです。だから、20年30年の事件は全部なくなった。だけど、すぐに復活の申立があるから、また同じような事件はそのままあるわけです。
 私か家裁に行って、その事件を処理しようと思ったら、薄っぺらい取り下げと復活の表紙の記録と、それから20年30年という何十年ものものすごい記録とがひっついている。これはどういう意味だろうと思って、何ぼ考えてもよく分からなかったのですが、ああ、取り下げをさせて、もう一回復活させたのかということが分かってきた。
 それで、両当事者を呼び出して聞いてみると、そういうことですというのですが、私ごときが、あとこれこれをやってくださいと言ってもなかなかやってくれない。もう白けてしまっている。裁判所の言うことなんか、まともに聞けませんよというような、そんな事件の処理をしてた、その優秀だといわれた所長は、その後さらに地裁の所長になって定年で辞めて、香川県の公安委員長をやった。そういう出世コースを歩んでいる人もいるわけです。
 そんな処理を見る中、私は女房が病気なので、毎朝子どもの弁当をつくって、送り出してから裁判所へ行く生活をしていたのですが、こんな処理のしかたで万が一間違いを犯して、マスコミにでもたたかれたら、元も子もない。これは辞めろということじゃないかというので、辞めたのです。
 元々私は5年ぐらいで辞めようと思っていたのですが、結婚してから、女房の親は公務員で、女房は公務員ほどいい職業はないと思い込んでいるものですから、辞めるな、辞めるなと言うのです。それで、私がどうしても辞めると言ったら、もう1箇所だけ転勤したらそこで辞めましょうと言う。それで、行ってしばらくすると、さらにもう1箇所と言う。
もう1箇所、もう1箇所が22年になっちゃった。そういうことだったのですが、女房も病気になって、これは辞めろということかと、辞めてしまったのです。

仲間の助けで逮捕されずに済んだ

 だけど、禍福はあざなえる縄のごとしという諺もありますが、人間何がプラスになるか分からないもので、高松で高裁の刑事の裁判官で辞めたとしたら、知り合いとしてはヤーサンぐらいしかできなかったと思うのです。家裁にいたばかりに、家裁は調停委員というのが県下に500人ぐらいおります。それから、保護司さんというのも500人ぐらいおります。合計で1000人ぐらいの人。そんな人がみんな、生田さんが辞めて大変らしいから、事件があったら持っていってあげようと、お互いに呼びかけをしてくれた。1000人といったら大きいですよ。だから、私は弁護士を始めた途端に、もう事件はワンサカときて、当時は事件で困るということはなかった。
 その代わり他の弁護士からのやっかみなどもありました。それから、あるタウン誌の社長が香川県警の一部とヤーサンとの癒着を暴こうとして、3回も銃撃されて命をなくす土壇場まで行った。この人の依頼を受け、癒着を暴こうとするような事件も、現在もやっています。そういうのをやろうとしました。
 そのために、まず弁護士会からのやっかみ等で、弁護士の懲戒ということをやられて、業務停止2ヵ月というのを受けたわけです。私としてはどう考えても、そういうことが違法な業務になるという気はない。本人のためを思ってやってあげたのが、何で違法になるのかなと思って、日弁連に香川県弁護士会の処置は違法であると申し立てたら、すぐに日弁連は、もう1年以内ぐらいに取り消してくれた。それで助かったというのもあります。
 それから、県警とヤーサンとの癒着を暴こうとしたために、その癒着しているグループの警察官から逮捕されそうになった。ところが、たぶん警察官でないと知らないと思うので警察官だと思うのですが、私が「逮捕されそうになっている、今日明日中に逮捕されますよ」という情報を、家裁の調査官に流してくれて、家裁の調査官から私に、「生田さん、逮捕されるよ」という情報が入った。
 私が愛媛の教科書裁判なんかで知り合った、世界的なネットワークを持っている人に、「俺、逮捕されるぞ」という情報を流したら、そのネットワークで、みんながメールとかで、香川県の丸亀署に抗議をしてくれた。それも韓国からは3000名ぐらい、中国からも1000人近く、アメリカからも数百人というメール。それから、日本全体もメ-ルを送ってくれて、そんなので逮捕されずにすんだというのもあります。

様々な経験で見えてきたこと

 いいこともあれば、やっかみとかで狙われたというのも結構あります。弁護士には国税の調査なんかはほとんど入らないというふうに私は聞いていたのですが、私の場合は3年に1回ぐらい調査に入られて、もう5回ぐらい国税の調査に入られています。
 それから、車で四国とか中国地方とかも走り回っているのですが、私が高速道路を走っていると、高速道路の入り口からパーッとくる車がいると思ったら、私の後ろにピタッとつかれる。これが覆面パトで、スピード違反で挙げられるということはもうしょっちゅうです。最近は運転するに当たっても、前と後ろを平均するぐらいに、後ろも注意しながら走っている。それなら、スピードを落としたらいいじゃないかというかもしれんですが、スピードを落としたら私の生きがいがない(笑)。そういう不利益というのは、もういくらでもあります。
 私としては、人間のすることは何でもやりたいという気があって、一応学校の先生もした、市役所の職員もした、裁判官もした、弁護士もした。それで、いまから10年ほど前に、香川県の県知事選というのがあって、それも立候補してみました。
 初めは人を担ぎ上げる役をやったのですが、誰も御輿に乗ってくれなくて、自分が飛び乗っちゃったという事件です(笑)。選挙で勝つためにはどういうことをしなきゃならんかというのを、嫌というほど味わいました。要するに、自分と同じ考えの人が5人いれば勝てると言われているんです、選挙は。ところが、この5人というのがなかなか集まりません。それと、自分の味方だと思っている人が、必ずしも味方ではないということまで分かるんですよ。
 香川県の場合、高松市が大票田ですから、高松市ともう一つの丸亀市というところぐらいをグルグル回って運動すればいいのですが、自分の事務局みたいな人は、いや、地方へ行きましょうよ、地方へ行きましょうよって高松市とか大都市にあまり行かないんですよ。おかしいなと思った。どう見ても自分の味方じゃない。自分のために選挙事務局になってくれているんじゃないということが分かってきた。そういう、いろいろな裏があります。
 それから、私はPTAの会長をやったりして、PTA関係で非常に親しい、私が会長の時に副会長で、PTAの関係ではぺコペコしている人が、選挙の関係で頼みに行くと、ふんぞり返って、これは同一人物かなというぐらいの変わり方にびっくりすることもあります。それも男だけじゃなしに、女性でもそういう変わり方をする人がいる。こういうことで、いろいろな経験をさせてもらいました。

3日やったら辞められない!?

 元の裁判官の話に戻りますと、最近は女性の裁判官が3割ぐらいになってきていると思いますが、女性の裁判官というのは、いい面も悪い面もあるのです。だいたい勘でやる人が多いんですよね。これはもう初めから、原告が勝ちだとか被告が勝ちだとか、決め打ちでやられてしまう。うまいこと、自分がやっているほうに加担してくれたときは儲けもんですが、反対側になった場合はもう何をやってもだめ。そういう決め打ちの人が女性には非常に多い。
 それで、裁判官の仕事というのは、多数の事件で大変だろうとお思いかもしれませんが、それはやり方いかんなんですよね。民事事件なんかでは、何が真実なのかということを極めた上で、判決をそれに沿うように書きたいと思って、いろいろな状況証拠なんかも精査して、原告が勝ちだ、被告が勝ちだと決めようと思うと、非常な努力が要るのです。
 簡単にやろうと思えば、原告が言っている筋で書いたほうが書きやすいのか、被告が言っている筋で書いたほうが書きやすいのか、書きやすい筋で判決をサーッと書いてしまう。それが上手なやり方だと言われていて、最近はその手の判決が非常に多いのです。
 だから、何が真実かというので必死に悩みますと、これはもう行き着く先は、ひどい場合は自殺になります。私もよく知っている裁判官で、私の期の上下で5人ほど自殺している人がいます。この人たちはみんな極めてまじめな人でした。だから、もう行き詰っちゃうんです。ところが、出世するような人はそんなことで悩まずに、どっちの筋で書いたほうが簡単かというので、ザーッと書いていくから、悩まずにすむ。こういうことなんです。
 高裁でもいろいろ記録をきめ細かに精査して、1審の判決が間違いかどうかを正そうとしたら、非常な努力が要ります。だから、高裁の刑事の裁判官でも、私の知っている人で自殺した人もいます。ところが、高裁というのは、もう1審が正しいんだという前提の下に書こうと思えば、そんな記録をあまり丁寧に見る必要もないわけなんです。
 1審の判決があります。それから、この1審の判決はここが悪いという控訴趣意書があります。それを見比べて、1審のここが悪いと控訴人は言うけれども、控訴人の控訴趣意書は1審判決を調べれば、不当であることは明らかであるとかいう理由で、パッと書けるわけですから、何ぼ大部の記録があったって、そんなのあまり丁寧に見ないでもやれる。それぐらい手抜きをしようと思えば、簡単に手抜きができる。
 それから1審は1審で、何ぼ言っていても、被告の言うこの点は措信できないというので、ひと蹴りで終わりですから、どういう理由で措信できないかということまで、言う必要もないわけじゃないんですが、現在ではもうそういう判決ですから、極めて簡単にやれる。
 だから大阪高裁のときに、囲碁で有名な木谷實一門というのがあって、そこの息子さんで木谷明さんという優秀な裁判官がいて、現在は大学の先生ですが、その木谷さんが、生田君、1審判決どおりの高裁判決を書いたら、こんな楽な仕事はないから、乞食といっしよで3日やったらやめられなくなるぞと言う。
 だから、そんな裁判官にはならんように注意せないかんというのを、散々教えられたのですが、やり方いかんによっては極めて簡単なんです。裁判官の仕事が大変だ、大変だとか言われていますが、それはもうほんとにまじめに、何が真実かというのを追求しようという姿勢で臨めば大変ですが、そうでない手抜きをやるかぎりは極めて楽で、乞食といっしょで3日やったらやめられんという楽な仕事でもあるわけです。そういう仕事が裁判官の仕事で、いろいろな汚いことをしている人もたくさんいて、出世している人もいます。

裁判は主権実現の手段

 あと少し日本の裁判の現状を見てみます。裁判の本質は何か。機能としては紛争の解決。これが民事の裁判あるいは刑事の裁判。もう一つは行政権力の統制ということで、これが行政裁判。それから、憲法の適合性を判断するのが違憲訴訟なわけです。この三つぐらいあるのですが、このいずれもその本質はというと主権者の主権実現の手段なんです。主権を実現しようと思って裁判をする。
 特に行政訴訟なんかを見てもらったら分かりますように、公務員の不法行為、これに対して行政訴訟を起こしていくというのは、まさに主権の実現です。それから教科書の採択がおかしい、検定がおかしいというので、教科書の検定や採択に対して異議を求めていくというのも主権の実現です。
 それから、法律が憲法違反であると、あるいは行政措置が憲法違反であるということを求めていくのも(安保条約が憲法違反であるというようなことが典型ですが)主権の実現なわけです。だから、選挙権の行使とか、あるいは直接的な表現の自由の座り込みとか、デモとか、そういうことと同じような主権の実現であるわけですが、この主権の実現ということを、日本の為政者は非常に嫌うわけなんです。
 諸外国でもほとんどの先進国であります陪審制とか、そういうのも採用しない。日本では戦前、陪審制が昭和3年から昭和18年までなされていまして、戦争が終わるまで停止するという法律があるのです。それによって停止されたままなのです。

GHQにうまくだまされた日本人

 それから第二次世界大戦後、憲法改正をした国では、ほとんど憲法裁判所という裁判所を持っています。ところが日本は、アメリカ型の司法裁判所の司法判断の中で、憲法違反の裁判もするということになっています。それがどう違うかというと、憲法裁判所の場合は事件にならなくてもこれは憲法違反だという訴えを起こせるから、主権の行使としては一番直接的なわけです。日本の場合は憲法違反があって、それで損害を受けたという事件性がなければ、その元になっている法律の憲法違反は言えないのです。
 典型的なのが、警察予備隊が憲法違反だという裁判を起こされたときに、その憲法違反によってどういう損害を受けたのか、その損害が明らかでないから、事件性を備えていないからだめですよというので、さっさと却下になったのがあります。戦後、違憲判断ができるようになったというので大いにもてはやされましたが、それは戦後に憲法改正をやった国は、ほとんど憲法裁判所を設けているからです。オーストリア、イタリア、ドイツ、トルコ、ユーゴスラビア、フランス、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、ベルギー、韓国もそうです。これはGHQにうまく日本人はだまされているんだと、私は思います。
 それから行政事件では、先にも言いましたように、ドイツでは50万件、日本では1800件、500分の1です。それからアメリカなんかだったら、訴えを起こすと、相手は手持ち証拠を全部開示しなきゃならんというのがあります。日本ではそういうことはありませんから、行政訴訟を起こしても、こちら側には証拠がありませんから、ほとんど負けです。それが500分の1の差です。
 それからドイツでは、公務員はメモの義務というのがあって、応対した市民との会話等を全部きめ細かに書く義務がある。そのメモを訴訟が起こされたらすぐ提出する義務があります。日本ではそういうことはありません。
 それからドイツではノートの切れ端に、この公務員はこういう違法行為をしている、この行政行為はこういう違法であるという走り書きのメモを裁判所に送り届けても、それが訴えとみなされますが、日本ではよほどきちんと書いた訴状でも、あんたは原告適格がありません、あるいは訴えの利益がありませんとかで、約20%は門前払いではねられる。
 最終的に勝つのは、市民の約10%。そんなのだから、もうみんな行政訴訟を起こしません。そのために、主権の行使が非常にマイナスになっている。それから民事裁判でも、日本は裁判が少ないのが世界的に有名で、だいたい裁判官数でもヨーロッパの10分の1。
10分の1の人数でやっているわけです。その上、ヒラメで最高裁の統制を受けていますから、どういう結論になるかは、もう目に見えています。
 そういうことで、民事事件というのは公的な法的なサービスであるべきなのに、日本ではこれは裁判という権力作用であると、こういうふうなとらえ方をしていて、民事裁判をできるだけ少なくしようとしている。それで、民事裁判が日本では非常に少ないということを外国の研究者が日本の大学の雑誌なんかに書いていますが、日本の学者はそういうことは書かない。

公文書開示で日本を変える

 それだけじゃなしに、裁判所の予算、司法予算というのは、去年ぐらいですか、国の予算が84兆円というときで、裁判所の予算は3276億円、0.39%。だから、三権分立だといって、3分の1あるかといったら大間違いで、0.4%の予算でやっているわけです。
 それから、お金がなくて、裁判を起こしたくても起こせないという人のために、法律扶助というのがあるのですが、日本ではイギリスの90分の1。イギリスの年間法律扶助の事業費は1610億円、そのうち国家予算が1146億円ですが、日本の事業費は18億円、そのうち国家負担は約4億円というわけで、もう全然話にならんほど、そういう扶助もしていません。
 それから、何よりもこういうおかしなことに対して、国連に個人通報制度というのがあります。国内で最高裁まで行って必死に努力したけれども、国のこういうおかしな制度で困っていますという、個人通報制度というのがあるのですが、日本は個人通報制度を批准していませんので、国連に訴えることもできません。
 個人通報制度で変わったのがイギリスだと言われています。イギリスでも国内の制度はよくなかったのですが、国連に訴えて、個人通報で国連から、こういうところを改めろという指示を受けて、大分よくなった。ところが、日本ではそういうこともできない。民主党になって、法務大臣がやってくれるかと思っていましたが、そういう個人通報制度についても、全然何もやってくれません。
 そういうのが日本の裁判の現状で、これをはね返すためにはどうしていかなくちゃならんかということを考えなくてはならんのです。まず公文書公開ということで、私がやっていますように、最高裁に対して最高裁の裁判官統制、ウラ金について公文書公開を求める。開示しなかった場合には、開示を求める裁判をする。
 それだけじゃなしに、公文書公開法自体がいま見直しの時期にきている。何とか見直していって、不開示を減らそうとか、国民の知る権利を基盤に公文書公開があるんだという基本姿勢をはっきりさせようとか、内閣総理大臣が最終的にほかの長が不開示にしたものに開示を命ずることができる制度にしようとか、いろいろ考えられていますから、大分変わってくるんじゃないか。そういう点があります。

司法の後進性と国力低下

 それだけじゃなしに日本国民は、日本の主権者は人と違うことを恐れる、人と違うことを一切やらないというので有名なのですが、こういう態度では段々とやはり生き延びていけなくなってきている。日本の1人当たりのGDPは2000年で世界3位だったのが、2010年では27位まで落ちています。それからIMD〔国際経営開発研究所〕の国際競争力順位というのも、90年では1位だったのが、2008年には22位に落ちてきている。
 だから、国力というのは最近、極端に落ちてきています。それと国民の主権の行使が不自由であるということと、私は無関係ではないと思います。こういうことが、やはり国力の低下で明らかに現れてきているわけなので、恐らく今後は改められるであろうと思います。
 それでアメリカの政治学者でもあり、カーター大統領の国家安全保障問題担当大統領袖佐官であったブレジンスキーという人が、世界的な政治意識の覚醒とデモクラシーの深化の世の中になってきたということを言っています。日本もこれからそういう社会になってきて、デモクラシーの深化がもっともっと徹底してくるようになってきます。
 それから最近、博報堂の生活総合研究所から出た本では、世の中が態度表明社会になってきた。みんな自分の態度を表明しないと、もう生きていけないようになってきたという状況にあります。そういうことから、この司法のおかしさというのも、いずれみんなが気がついて、異議を出すような社会になってくるんじゃないか。だから、組合を弾圧するのが当然だという社会は、必ず改められます。そういう社会にいまどんどん変わっていきつつあります。
 その一つのあり方にもなるんじゃないかと思って、私は最高裁相手に、裁判官の統制とウラ金の司法行政文書の開示を求める裁判をやっています。こういうことをやっておりますと私自身に対する圧力も、いろいろな形で受けますので、どこまでやれるか分かりませんが、本日のようなこういう会にお招きいただけるというのも、私なりに一生懸命努力している成果を、ある程度は世の中でプラスに評価してくれるところもあるんじゃないかと、こういうふうに考えて、本日は非常に感謝している次第です。
 至らない話でしたが、これで時間もきましたので、一応終わらせていただきます。どうもありがとうございます。(拍手)

生田暉雄氏のプロフィール

・1970年  裁判官任官
・1987年  大阪高等裁判所判事
・1992年  退官(裁判官歴22年)
・同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
・現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中

(編集者注・これは生田氏の講演内容をまとめたものです。JR東日本労組のご協力に感謝します)