読み物書を捨てよ、町へ出よう

▼バックナンバー 一覧 2011 年 5 月 23 日 魚住 昭

3・11から2カ月たった。思えば長い2カ月だった。津波にさらわれた人々やその遺族、被災者たち。そしてフクシマの原発事故。悪夢のような光景を目の当たりにして、私には語るべき言葉が見つからない。
 もし私が原子力の専門家だったら、いや原発取材の経験さえあったら、読者に幾分かの情報を提供できただろう。だが、私がこれまで蓄えてきた知識や経験は、暴走する原子炉にはまるで歯が立たない。長年、マスコミ界で飯を食べさせてもらいながら、一体何をしてきたのかと臍をかむような思いである。
 今からでも遅くはない。まず高校の物理レベルの知識から身につけよう。と思ってさまざまな文献を漁ってみたけれど、結局炉内の詳しいデータがない限り、専門家でも確かな見通しは立てられないという当たり前のことがわかっただけだった。
 その程度の知識しかない私が読者の皆さんにアドバイスできる余地がほんの少しでもあるとすれば、それは新聞やテレビの情報だけに頼りすぎてはいけないということぐらいだろうか。
 新聞やテレビは基本的に政府情報に依拠しているので危機感を煽るような報道はしない。その点では信頼できるのだが、逆に言うと、パニックを恐れるあまり、シビアな情報の発信を自粛する傾向が極めて強い。
 私がそれを痛感したのは福島第1原発で水素爆発が相次いだときだった。あのとき首相官邸は水蒸気爆発で原子炉が吹っ飛び、東日本がほぼ壊滅状態になるのを深刻に憂慮していた。
 もし新聞やテレビがリアルタイムで官邸の混乱ぶりや「最悪のシナリオ」の全容を報じていたらどうなっていたか。たぶん首都圏の鉄道は止まり、逃げまどう人々と車が道路からあふれて死傷者も出ていただろう。
 幸いなことにそうはならなかった。新聞社やテレビ局が「最悪のシナリオ」を充分承知しながらストレートな報道を手控えたからだ。パニックを引き起こしてはいけないという自己抑制機能が働いたのである。
 私は胸をなで下ろした。と同時に、大メディアが抱える根源的な矛盾に突き当たって愕然とした。社会が破局に直面したとき、メディアは重大情報をストレートには報じられない…。
 それが今回のように功を奏す場合もあれば、逆の場合もあり得る。戦時中の新聞が大本営発表を垂れ流して信頼を失ったのは後者の典型例だろう。
 新聞やテレビは日々刻々と変化する原子炉や放射能汚染の情報を提供してくれる。だが、その情報が持つ意味を判断し、身の処し方を決めるのは結局のところ私たち自身でしかない。
 それにしても事故収束の道筋はいつ見えるのか。原子炉の暴走を止める手だては本当にあるのかと、落ち込んでいたら、朝日新聞10日夕刊の「議論はもう限界、行動しかない」という見出しが目についた。
 東京で反原発デモが相次ぎ、集会とデモに約1万人の若者らが参加したという記事だった。その中には「デモに来るのは50年ぶり」の評論家・柄谷行人さんの姿もあったという。
 柄谷さんは「日本では議論はあっても行動がない。もう議員や評論家には頼めない。今は物を書くことよりデモをすることが大事だ」と言い「日本でデモがなくなったのは1970年代から。原発が増え始めたのと同じ時期だ。政権交代があっても何も変わらなかった。デモをやるしかない」と語っていた。
 そうだ。学生だったあのころデモは日常風景だった。詩人の寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉を呟きながら皆で街頭に繰り出していた。
 マスコミで無駄飯を食っているうちに私は人としての大事な姿勢を忘れていたようだ。我々は原発を受け入れ、取り返しのつかぬ過ちをしたが、今からでもやり直しはきくはずだ。己の無力さを嘆くより、もう一度町へ出てみよう。次の世代の子供たちの命を守るために。(了)
 
(編集者注・これは週刊現代連載「ジャーナリストの目」の再録です)