宇宙論第二回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 6 月 4 日 堀江 貴文

 第一回で説明したとおり、ロケットは世界中で軍事技術の一部として軍関係の予算をふんだんに利用して発展してきました。それが、世界で初めて宇宙空間に到達したフォン・ブラウン博士のチームのA4ロケット(V2ロケット)以来の伝統でした。

 最近、北朝鮮が地下核実験に成功し、プルトニウムの生成を再開したことが報道されましたが、ちょうど世界初の弾道ロケット(ミサイル)が成功したのと同時期に、アメリカ合衆国に於いて世界初の核実験が成功しました。そして、セルゲイ・コリョロフとそのチームが世界初のICBM(大陸間弾道ミサイル)と世界初の人工衛星スプートニクの打上げに成功します。さらに、その直後ユーリ・ガガーリンが乗ったボストーク1号は無事地球に帰還します。有人宇宙技術の一番大事なポイントは何でしょうか? 搭乗者を安全に打上げ、無事に地上に帰還させ回収することです。そのためには、ある程度の着陸地点の制御も必要になります。例えば、ヒマラヤの山岳地帯に着陸したら、探し出すことすら難しくなりますからね。そう、有人宇宙技術を習得することはICBMを安全確実に打上げ、目標地点に着弾させることを意味するのです。

 事実、フォン・ブラウン博士とそのチームは米国亡命後、ロケット開発には従事していたものの、傍流でした。しかし、結局彼ら以外のロケット打上げは全て不調に終わり、スプートニクの成功と、その後のボストークの成功の意味を十分に理解していたアメリカ政府により、再びアメリカでロケット開発の先頭に立つことになったのです。

 核実験をして核爆弾を持つことと、ロケット打上げと(できれば有人での)大気圏再突入の技術を持つことが、第二次世界大戦後の世界を制する軍事的に一番大事なポイントとされたのです。そしてその両方を持つアメリカとソ連が冷戦構造と呼ばれる軍事的政治的対立構造を産むことになりました。核の不拡散条約を作り、長い間、旧連合国(国連安保理常任理事国)しか核爆弾を保有できない状態を維持し、さらに優位に立つためにアメリカとソ連は他の国が有人宇宙技術を持たないように、色々な政治的工作を行っていたらしいのです。既に核技術は国連安保理常任理事国以外のインドやパキスタン、北朝鮮といった国々に拡散しつつあるのと同様に、有人宇宙技術も中国が最近成功するなど、冷戦構造が崩壊したこともあり、広がりつつあります。

 アメリカと事実上の同盟国である日本においても同様に、ロケット打上げには成功したものの、長い間大気圏再突入技術の研究は封印されてきた。おそらく前述の政治的な問題が大きかったように思われます。その証拠に日本での大気圏再突入技術の初めての実験は、1994年に行われています。冷戦構造が崩壊した後です。核とロケット技術は、その産まれた時期も同じであり今に至るまでずっとセットにされてきているのです。そのおかげで、いびつな技術の発展の仕方になっているのです。

 宇宙と軍事は切っても切れない関係のように見えますが、世界で唯一といっていいかもしれないくらいですが、日本は軍事とは全く関わりを持たず宇宙技術が発展してきた国なのです。ご存知の通り、戦後GHQにより日本は航空技術の開発が禁じられ、航空産業は崩壊します。しか戦時中に作られた、東京大学第二工学部を改組した東大生産技術研究所の糸川英夫博士とそのチームは1955年のペンシルロケットの実験を皮切りに、固体推進ロケットの開発を始めるのです。そしてペンシルロケット、ベビーロケット、カッパロケット、ラムダロケット少しずつ大型化をしていき、最終的に1970年日本発の人工衛星「おおすみ」がラムダロケットにより打ち上げられます。ロケットの打上げ主体は東京大学宇宙航空研究所を改組した、宇宙科学研究所で行われていました。つまり純粋に学術研究としてロケット開発が行われ、実際に打上げ・運用までなされていた、稀有な例とも言えるでしょう。この世界でもユニークな打上げロケットの、さらにユニークな点は固体推進剤を用いたロケットだったということです。

 世界初の弾道ロケットA4は、エタノールを燃料として用い液体酸素を酸化剤として用いる液体燃料ロケットでした。実は、将来の有人宇宙飛行や経済面などを考慮すると液体を推進剤として用いるほうが都合が良いのですが、兵器としてみれば実は固体推進剤のほうが便利なのです。もちろん燃料としてUDMH(非対称ジメチルヒドラジン)と酸化剤として四酸化二窒素や硝酸などを用いる、常温保存が可能な液体ロケットもありますが、やはり燃料注入の時間などを考慮すると、固体推進剤の方が有利です。その代わり固体推進ロケットは大型化に技術的な難しさがあったようで、フォン・ブラウン博士も液体推進剤を選択したのでしょう。あるいは本当に宇宙に行きたいという夢を描いて敢えて軍事的には不利な、液体推進剤を選んだのかもしれません。

 しかし、平和利用の学術研究が主目的の日本のロケット開発が最初に選んだ技術は固体推進ロケットでした。そして、最新のミューロケットでは小惑星に探査機を送り込むことが出来るほどの高性能の大型の固体推進ロケットを作ってしまったのです。しかし、新たに作られたJAXAに宇宙研は吸収され、コストダウンの名の下にこれまで日本が培ってきた固体推進ロケットの技術は葬り去られようとしています。これを歴史の皮肉といわずして何というのでしょうか。

 2008年、日本で宇宙の軍事利用を盛り込んだ宇宙基本法が成立しました。この国の宇宙開発の方向性が心配になってきました。