キリスト教神学中級講座 「フリッチェとの対話」第2回 神学総論2 信仰告白と教義
キリスト教の各教派は、独自の教義を持っている。それは、教派の信仰の形態を示すものだ。教派の信仰は、信仰告白(*1)としてテキスト化される。信仰告白と教義の関係について、フリッチェは次のように考える。
<§4《信仰告白と教義》はこの両概念の間では峻別され、そしてカトリック教育機関の教義の視点においては信仰告白を肯定して教義を否定するという命題に発展する。但し、〈教義〉を本当の、全教会から信仰告白状況そのものと受け止められている対立状況においての決定として新たに理解する必要がなければの話である。教義のこの意味は信仰告白のそれと融合し、そしてこの方向性ではバルメン(*2)による神学説明を若干詳しく扱っている。
〈カトリック〉と〈福音主義〉という決定的な対立は、〈プロテスタント原理〉という概念を取り上げることによって先鋭化しているようには思える。実際にはその対立はむしろ、〈プロテスタント原理〉が《自己》批判を要求することによってむしろ和らげられ、この点では自己批判性とプロテスタント教会において時折破壊的な影響を与える消極性を疑問視することが含まれている。
今日たとえエキュメニカル(世界教会的)(*3)な意識により強い注意が向けられる必要があっても、信仰告白が教会合同に加えられ得るという意味においてではなくて、信仰告白においてその都度それ自体で信仰告白の世界連盟のようになる教会合同が視野に入るという意味においてである。これがそれどころか論じる価値があるとし得る解釈というものは、宗派別教会がその教会史的意味を、国民教会を阻止するという点に持たなければならないし、持つことができるという、すでにこの本の第一版において代弁されているテーゼの経過において教会合同の大勢がエキュメニカルな原理を特に効率的に実現させている、ということである。〉(Hans-Georg Fritzsche, Lehrbuch der Dogmatik: Teil1: Prinzipienlehre Grundlagen und Wesen des christlichen Glaubens, Evangelische Verlagsamstalt Berlin. Ost-Berlin, 1982, 11-12S.)
教会の頭はイエス・キリストだ。キリストを頭とする教会は本来1つのはずだ。現在、無数に分裂した諸教会を再一致せようとするエキュメニカル運動を念頭において、フリッチェは教義学を展開する。さらにナチス・ドイツに抵抗した告白教会の「バルメン宣言」をエキュメニカル神学に活かそうとしている。
カール・バルトは、神の啓示の視座から、宗教を批判した。フリッチェもこの路線を踏襲している。
<《宗教問題》(§5《キリスト信仰と宗教》)は最初から原則的に神学的に計画されていたので、全キリスト教徒の世界における怒濤の展開をそれ自身で表現するよりは、標準的な物を対比させるほうが得策のように思われた。両者はイスラムとヒンズーのよりよい理解のためにこの宗教の信仰告白と自己説明に組み入れられれば、一九七八年にトリーニーダートで教会の全キリスト教顧問会議によって開催された対話会議場で提出されたように、否認されるように思われる。しかし、宗教問題にはキリスト教自体における宗教性という内部の継続問題がある。その際に目下、多種多様な再評価の試みが金言の〈宗教〉にとって有利なように平衡を保っているという状況が斟酌されている。すなわち、キリスト教は本来的には〈宗教〉ではないと>
キリスト教は、人間が構築した「宗教」ではないという立場をフリッチェはとる。このことは、非宗教であるキリスト教に特権的地位を与える効果をもたらす。
第2版序文の末尾で、フリッチェは、神の言葉を唯一の啓示とみなすカール・バルトの立場を踏襲することを明白にする。自然に神の啓示を認める自然神学を拒否する。
<最後に§6《啓示としての神の御言葉》に関してだが、パウル・アルトハウスの原啓示論(*4)をめぐる当時の広範囲な討論が、もはや詳しく扱われないのを残念がる人があちこちにいるであろう。しかし、さらに論を展開させると、新たな問題が生じ、確かに古い問題の新たなネーミングに過ぎないことがよくある。しかし、どの時代も先駆者を欲し、現実化した名前の未熟を仕方なく記録する。それにもかかわらず、啓示問題の基礎的な詳論は旧知の問題と変わることのない名前に、すなわち、カール・バルトを超える(彼に戻ることなく)自然神学と正当な要求の問題に終始する。バルトによる自然神学の原則拒否には彼の事実上のそれへの同意、彼の原則における一切否定には彼の実際の差別化が対比されている。確かに大連立神学には「無神論には有神論の世界観で」という言葉が語られている(そして原啓示から救済啓示を人間によって作成された問答書にはめ込む大連立神学の危険性を確実にバルトは見抜いていた)。しかし、非人道に対しては有り得る限りの人道的な世界観で共闘すべきではなかろうか。(ボンヘッファーが要求(*5)したように、そしてカール・バルトが同時期にそれに現実的に対応し始めたように)各自然は神の恩寵に対抗して現れるか、それとも本当の自然と倒錯した自然に区別される必要があるのか。
このテーマにはベルント・ヒルデブラント博士も私が何度も引用した有用な論文を書いている。グライフスバルトの組織学教員を代表する彼には文献目録の継続と完成を引き受けてくれたことに特別な感謝を表明したい。修正作業と登録作業にはベルリン大学神学部に学ぶU・ゲリッケ、S・グローセ、C・ロシュタルスキーとB・ヴィンクラー、並びに学部卒業予定のA・ヤークトフーンが献身的に当たってくれた。
ベルリン近郊のクラインマハノフにて 一九八一年
ハンス=ゲオルク・フリッチェ>
フリッチェは、組織神学研究においては以下の書籍が基本文献になるとして紹介する。
<数人の古典的教義学者、ならびに現在に至る重要な〈教義学〉総論の書誌
(ホルスト・シュテファン『信仰論』ベルリン、一九四一年、二七‐三〇頁。カール・バルト『教会教義学』第Ⅰ巻/1、ツォリコン‐ツューリヒ、一九三二年、第八版一九六四年、二九二‐二九三頁。ヴォルフガング・トゥリルハース『教義学』ベルリン、一九六二年、第三版一九七二年、XI‐XIII頁。クリストファー・フライ『教義学』ギュータースロー、一九七七年、四二‐四六頁参照)
エイレナイオス 『異端反駁』
オリゲネス 『諸原理について Περὶ άρχῶν(De principiis)』
アウグスティヌス 『信仰・希望・愛』『キリスト教教義論』
ダマスコのイオアン『知識の泉 Πηγὴ γνώσεως 』
ペトルス・ロンバルドゥス 『命題集』
アレクサンダー・フォン・ハーレス 『すべての神学の最高位』
アルベルトゥス・マグヌス 『神学大全』
トマス・フォン・アキナス 『神学大全』
フィリップ・メランヒトン 『ロキ・コンムネス』一五二一年
『神学要覧』一五五九年
ヨハネス・カルヴァン 『キリスト教綱要』一五三六年
ヨーハン・ゲールハルト 『神学総論』一六一〇‐一六二二年
レオンハルト・フッター 『神学要綱概説』一六一〇年
アブラハム・カロフ 『組織神学通論』一六五五‐一六七七年
アンドレアス・クウェンシュテット 『神学体系』一六八五年
ヨハネス・コッツェーユス『旧い契約と新しい契約の神の教義大全』一六四八年
ユリウス・アウグスト・ヴェックシャイダー『キリスト教神学綱要』一八一五年
フリードリッヒ・シュライエルマハー『キリスト教信仰』一八二一/一八二二年
カール・アウグスト・ヴォン・ハーゼ『福音主義‐プロテスタント教義学』一八二六年
アレクサンダー・シュヴァイツァー『福音主義改革派教会の信仰論』一八四四年
アォイス・エマヌエル・ビーダーマン『キリスト教教義学』一八六九年
アルプレヒト・リッチュル『キリスト教の義認論と和解』一八七〇/一八七四年
アウグスト・ヴィルマール『教義学』一八七四/一八七五
フランツ・ヘルマン・ラインホルト・フランク『キリスト教真理体系』一八七八/一八八〇年
イサック・アウグスト・ドルナー『キリスト教信仰論体系』一八七九/一八八一年
マルチン・ケーラー『福音主義基本条項によるキリスト教学』一八八三/一八八四年
フリードリッヒ・ニッチ『福音主義教義学教本』一八八九/一八九二年
ユリウス・カフタン『教義学』一八九七年
アドルフ・シュラッター『キリスト教教義』一九一一年
カール・ハイム『教義学入門』一九一二年
ルートヴィッヒ・レメ『キリスト教信仰論』一九一八/一九一九年
マルチン・ラーデ『信仰論』一九二四/一九二七年
ラインホルト・ゼーベルク『キリスト教教義学』一九二四/一九二五年
ヘルマン・リューデマン『キリスト教教義学』一九二四/一九二六年
エルンスト・トレルチ『信仰論』一九二五年
カール・シュタンゲ『教義学』一九二七年
ホルスト・シュテファン『信仰論』一九二〇年
カール・バルト『教会教義学』第Ⅰ巻‐第Ⅳ巻、一九三二‐一九七〇年
ヴェルナー・エレルト『キリスト教信仰』一九四〇年
エミール・ブルナー『教義学』第Ⅰ巻一九四六年、第Ⅱ巻一九五〇年、第Ⅲ巻一九六〇年
パウル・アルトハイム『キリスト教真理』一九四七年
ハインリッヒ・フォーゲル『キリストの中の神。教義学の基本問題による認識プロセス』一九五一年
オットー・ヴェーバー『教義学の基本』第Ⅰ巻一九五五年、第Ⅱ巻一九六二年
パウル・ティリヒ『組織神学』第Ⅰ巻一九五五年、第Ⅱ巻一九五八年、第Ⅲ巻一九六六年
マルチン・ヴェルナー『プロテスタントの信仰方法』全二巻、一九五五/一九六二年
フリッツ・ブーリ『キリスト教の自己理解としての教義学』全二巻、一九五六/一九六二年
エミール・フックス『キリスト教信仰』全二巻、一九五八/一九六〇年
レギン・プランター『創造と救い。教義学』一九六〇年
グスターフ・ヴィングレン『創造と戒律』一九六〇年
『福音と教会』一九六二年
ヴォルフガング・トリルハース『教義学』一九六二年
ヘルムート・ティーリケ『福音信仰、教義学の基本路線』全三巻、一九六八‐一九七八年
ヴァルター・クレック『教義学の基本問題』一九七〇年
ハインリッヒ・オット『信仰の答え。組織神学』一九七二年
ハンス・グラス『キリスト教信仰論』全二部、一九七三/一九七四年
ロルフ・シェーファー『福音信仰』一九七三年
フリッツ・ブーリ/ジャン・ミリック・ロッホマン/ハインリッヒ・オット『対話教義学』第Ⅰ巻一九七三年、第Ⅱ巻一九七四年、第Ⅲ巻一九七六年
ホルスト・ゲオルク・ペールマン『教義学概論』一九七三年
ゲルハルト・レッディング『教義学概論』一九七四年
ハンス=ヨアヒム・クラウス『神の国 ―― 自由の国。組織神学概論』一九七五年
フリードリヒ・ヤーコプ『信仰論。キリスト教福音理解入門』一九七六年
ハンス=ゲオルク・フリッチェ『キリスト教信仰の綱要。キリスト教信仰の概略』一九七七年
クリストファー・フライ『教義学』一九七七年
ハンフリート・ミュラー『福音教義学概論』全二部、一九七八年
ゲルハルト・エーベリンク『キリスト教信仰の教義学』全三巻、一九七九年
ハンス=ゲオルク・フリッチェ『聖書入門。聖書テキストの基本における組織神学』一九八一年
教義学学習のための手引書
ハインリヒ・シュミット『福音ルター派の教義学』一八四三年
ハインリヒ・ヘッペ『福音改革派の教義学』一八六一年
クリストフ=エルンスト・ルートハルト/ローベルト・イェルケ『教義学概説』一八六五年
エマヌエル・ヒルシュ『教義学学習の手引き』一九三七年
リヒャルト・ハインリヒ・グリッツマハー/ゲールハルト・G・ムーラス『ドイツ組織神学とその一六世紀から二〇世紀までの歴史の教科書』一九五五年
オットー・ヴェーバー『カール・バルトの教会教義学。第一巻/1から第Ⅳ巻/3入門書』一九六一年
ハンス=ゲオルク・フリッチェ『キリスト教と世界観。カール・バルトの教会教義学入門』一九六二年
カール=ハインツ・ラチョフ『宗教改革と啓蒙主義間のルター派教義学』全二部、一九六四/一九六六年
原理論問題にとって重要なのは、
ヴィルフリート・イェースト『基礎神学』一九七四年>(前掲書14~17頁)
ドイツ・プロテスタント神学の伝統に即した文献リストだ。
脚注)
*1【信仰告白】イエス・キリストに対する信仰を、明白な言葉で言い表すこと。教会が、自分たちの信仰を成文化したものをも意味する。個人がある教派の教会に属する場合、その人の自発的意思で教派の信仰告白に同意する形をとる。そもそも「イエス・キリスト」とは、「イエスはキリスト(救い主)である」ことを述べており、最も短い信仰告白だといえる。
*2【バルメン】ドイツのデュッセルドルフ近郊の都市ヴッパータールにある地名。1934年、バルメンでドイツ福音主義教会が第1回告白大会を開いた。この大会で「ドイツ福音主義教会の現状に対する神学的宣言」を採択。開催地に因んで「バルメン宣言」と呼ばれる。
前年の33年、ドイツではヒトラーが首相に就任し政権を掌握した。ナチス政権は教会を全体主義化し、教会の中にヒトラーに対する無条件の服従(指導者原理)を導入しようとしていた。
バルメン宣言は、ナチスの教会政策に迎合するドイツ・キリスト者に向けられたもの。宣言文は、カール・バルト(スイスの神学者)の草案に基づく6カ条からなる。イエス・キリストのみが神の唯一の啓示である。自分たちが住むすべての領域の主はイエス・キリストである。政治的支配からの教会の独立。専制政治に対する反対などが主な内容。
バルメン宣言はドイツ福音主義教会の信仰告白でもある。しかしその後、ドイツ福音主義教会は分裂。バルトはナチスによりドイツから追放された。バルメン宣言を堅持すべくドイツ福音主義教会は告白教会を組織。しかし告白協会はナチスの支配期間を通じ、弾圧を受けた。戦後再建されたドイツ福音主義教会でもバルメン宣言を承認。その後の南アフリカや韓国での教会闘争にも影響を及ぼした。
*3【エキメニュカル】エキメニュカル・ムーブメント。世界教会運動。ここでの「エキメニュカル」は、1910年のエディンバラ世界宣教会議以後の世界教会運動を指す。この運動は各教派、教会を無理に合同させたり、統一させようというものではない。諸教派、諸教会は主(しゅ)イエス・キリストにあってひとつであるという真理と信念を基礎に、世界教会の一部であることを自覚し、現実世界と向き合い、福音を広めていこうという運動。
*4【原啓示論】ドイツのルター派神学者パウル・アルトハウス(1888〜1966)が提唱。キリスト教における啓示は、唯一、神自身の受肉としてのイエスに顕れたとする。たとえばカール・バルトはイエスにおける神の啓示以外の啓示を認めていない(バルメン宣言参照)。
一方、イエスにおいて顕れた啓示の前提になる神の啓示があるのではないかと考えるのが原啓示の概念。これは自然のうちに神の啓示があるとする自然神学の概念というわけではない。むしろキリストの啓示とかかわるときの人間の主体的なあり方についていわれる概念だとする。人間がキリストにおける神の愛を認識するには、虚偽の愛に生きている人間が「すでに」真実の愛と関わっていなければならない。そのようなかかわり方をいう。新約聖書の中には、神自身の受肉たるイエスの話を聞いてもポカーンとしている人々が出てくる。イエスの話が響かない人々は、その内に神の言葉を受け入れるだけの土壌ができていない。つまり「未だ」原啓示を受けていない、と解釈することもできる。
*5【ボンヘッファーが要求】デートリヒ・ボンヘッファーはドイツのルター派牧師、神学者。1906〜45。ナチスに抵抗し、1939年、渡米したが、ドイツ国民と苦難を共にするとして、第2次世界大戦開戦直前に帰国。43年、秘密警察によって逮捕。45年4月、強制収容所で処刑された。
獄中書簡《服従と抵抗》で知られる。書簡の中で、現代世界は宗教を必要としなくなった「成人した世界」と捉え、それゆえに福音を非宗教的に宣べ伝えなければならないと主張した。ボンヘッファーの問題提起は、世俗化が進む戦後世界におけるキリスト教会に影響を与えた。
参考:『キリスト教大事典』教文館