時系列で見る「ロシアの対ウクライナ戦争方針の転換」第1回 ハリコフ州におけるウクライナ軍の攻勢が、 ロシアに及ぼす軍事的影響と政治的影響。

▼バックナンバー 一覧 2022 年 10 月 15 日 佐藤 優

ロシア人政治学者との意見交換から。

9月7日、ウクライナのゼレンスキー大統領はビデオ演説で、ハリコフ州のロシア軍占領地域に対し、ウクライナ軍が攻勢をかけ、その一部を奪還したと述べた。ロシア軍は後退を余儀なくされ、この後退を契機に、ロシアのウクライナ戦争に対する方針が、この1カ月で大きく変化した。ところが日本のメディアが扱う、情勢分析に役立つロシア側の情報は非常に少ない。
この間の推移を筆者が作成した資料によって時系列で示し、追跡しやすくする。

ロシア側の内在的論理を探るのに不可欠な公開情報に、筆者が旧知のロシア人政治学者と意見交換した内容もあわせて紹介する。

【日時】

2022年9月14日

【情報源名、人物紹介】

情報源:アレクサンドル・カザコフ「公正ロシア」幹部会員(非議員)、政治学者

アレクサンドル・カザコフ氏は、与党「公正ロシア」の幹部会員(非議員)で、2014~18年、ザハルチェンコ「ドネツク人民共和国」首長の顧問をつとめた経緯もあり、ウクライナ情勢に通暁している。ウクライナ戦争が始まってからは、ロシア政府テレビの「第一チャンネル」「ロシアテレビ」「独立テレビ」に頻繁に出演し、世論形成に影響を与える知識人だ。カザコフ氏は私がモスクワ国立大学哲学部で学んだとき同級生で、35年以上親しく付き合っている。立場が異なるテーマであっても率直に意見交換できる間柄だ。

  • 情報入手時期:2022年9月14日
  • 信頼度:信頼できる。
  • 重要度:B

カザコフ氏によれば、ハリコフ州におけるウクライナ軍の攻勢によってロシア軍が後退を余儀なくされたのは事実。本件に関しては、軍事的側面と政治的側面に分けて分析する必要があるという。

ロシア軍の後退は、軍事的に合理的な判断だった。

(1)ウクライナにおける前線は全体で1500キロメートルになる。今回、ハリコフ州で突破されたのはその内の30キロメートルに過ぎない。また奥行きは50キロメートルだ。このことで戦局が本質的に変化することはない(佐藤註*9月13日のCNNによるとゼレンスキー大統領は、ウクライナ軍が今月に入り同国東部と南部で6000平方キロの領土をロシア軍から奪還したと発表した)。

(2)今回、ウクライナ軍が攻勢に成功したのは米国のインテリジェンス協力によるところが大きい。米国の軍事衛星が前線を詳細に観察し、ロシア軍が最も手薄な地域をウクライナ側に伝えた。ロシアも軍事衛星を活用しているが、米国よりは劣位な状況だ。

(3)ロシアは通信傍受によりウクライナ軍の動静を把握している。ただしウクライナ側はロシア側に通信を傍受されているという前提で、種々の情報操作を行っている。通信傍受による情報の精査ができていなかったことも敗因だ。

(4)ハリコフ州における兵員数は7:1でウクライナが有利だ。軍の教本では、敵よりも3倍の兵力があれば敵の前線を突破することができる。彼我の力の差を踏まえ、ロシア軍が包囲され、殲滅されるか大量の捕虜を出す事態になることを避けるためには、川の東方に退避するしかなかった。これも軍の教本通りの動きである。その結果、ロシア軍の犠牲者を極小にすることができた。

(5)9月のウクライナ軍の攻勢による死者は、ウクライナ軍の方がロシア軍よりもはるかに多い。ウクライナ軍は、ハリコフ州で4000人、ヘルソン州で2000人の死者を出している。

(6)9月13日の時点で戦線は落ち着いている。

(7)(当方より、ウクライナ側はルハンスク州の一部も奪還したと発表していると水を向けたところ)事実ではない。ロシア軍はハリコフ州内に留まっている。ルガンスク人民共和国へのウクライナ軍の侵攻を許していない。

ロシア軍の後退で生じる、深刻な政治的問題とは?

(1)今回のウクライナ軍の攻勢は、軍事的にはたいした問題ではないが、政治的には大きな意味を持った。この7ヵ月間、ウクライナ軍が後退し、ロシア軍が前進するというのが基調だった。進度が遅くなってもロシア軍は常に前進していた。しかし、今回、初めてロシア軍が後退を余儀なくされた。この事実がロシア国民に少なからず動揺を与えた。ただし、動揺は2、3日で収まり、国民は平静な気持ちを取り戻している。

(2)最も深刻な政治的問題は、ハリコフ州でウクライナの支配下に置かれるようになった人々の状況だ。今回、ウクライナ軍は、イジーム、クーピャンスク、バラクレーヤを制圧した。ここにはロシア軍政に協力した人々が多数いる。多くの人々がロシア軍統治地域に避難することができたが、全員を避難させることは物理的に不可能だった。(当方より、ウクライナは15万人の住民を取り戻したと報じていると述べたところ、)それくらいの人数と思う。ウクライナ軍は住民の選別を行い、対ロシア協力者と認定された者は拷問を加えられ、銃殺されている。その結果、ロシアに好意を持つウクライナに住む人々に動揺が生じている。ロシア軍政に協力すると、万一、ウクライナが勝利した場合にひどい報復がなされるのではないかという恐怖感を覚える人々が出ている。この点を克服することが重要な課題になる。「ウクライナに取り残された同胞のことを忘れるな」という気持ちでロシアの愛国者の団結が強化されている。

ウクライナ軍将兵を同胞と前提づけて展開される、ロシアの特別軍事作戦。

(1)今回のウクライナにおける特別軍事作戦は、三段階に区分される。

(2)第一段階は、電撃戦で首都キエフに接近し、ゼレンスキー政権を崩壊させることだった。この作戦は失敗した。

(3)第二段階は、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の解放だ。ここでの目標もウクライナを降伏させることだ。ロシア軍の目的はウクライナ軍を殲滅することではない。なぜならウクライナの将兵は同胞であり、将来、ロシア国民になる人々だからだ。プーチン大統領がドンバス地域(ウクライナのドネツク州とルハンスク州)の解放を「急ぐ必要はない」と述べているのは、ウクライナ側の犠牲者を極小に抑えたいからだ。既にルハンスク人民共和国は完全に解放された。ドネツク人民共和国についても50%以上の地域を解放している。もう少し時間がかかるが、ドンバス地域の完全解放を実現する。

(4)第三段階は、ウクライナの大都市の制圧だ。当面は、ニコラエフを制圧し、(モルドバ共和国東部でロシア軍が駐留する)沿ドニエストルと連結することだ。(当方より、ニコラエフに続いてオデッサを制圧するのではないのかと尋ねたところ、)オデッサは迂回する。ニコラエフと沿ドニエステルを連結することによって、オデッサをウクライナから切り離す。オデッサについてはプーチン大統領から空爆を差し控えよとの指示が出ている。さらにザパロジエとドニエプルペトロスクを制圧する。特にドニエプルペトロスクにはウクライナ最大の軍事工場「ユージュマシュ」があるので、ここを制圧することが戦略的に重要になる。(当方より、ハリコフはどうなるのかと質したところ、)ハリコフの制圧は南部地域の軍事作戦が終了した後になる。ハリコフにはロシアに共感を持つ人々が多く、民心も安定しているので、ロシアへの統合が早く進むと考えていた。それ故に軍の配備も手薄になっていた。この隙を突かれてウクライナ軍にイジュームなどが制圧されてしまった。現在のロシア軍の力では、ウクライナ軍を跳ね返すことはできない。ハリコフの制圧は遅れることになる。第三段階においてもロシア軍の目標は変わらず、ウクライナを降伏させることだ。

(5)これまでロシア軍は第二段階を終了してから第三段階に進む計画だったが、ハリコフにおけるウクライナ軍の攻勢を踏まえて、第三段階の始動を早めることになると思う。今秋にもニコラエフへの本格的な攻撃が始まる。第二段階と第三段階が同時進行することになろう。

(6)(当方より、ロシアが戦争を宣言し、総動員体制をとる可能性について質したところ、)ロシアが戦争を宣言することはない。あくまでも特別軍事作戦という法的枠組みの中で戦う。プーチン大統領は、ウクライナ人を兄弟と考えている。ロシアは兄弟を相手に宣戦を布告しない。打倒対象はウクライナの犯罪的体制であり、ウクライナの民衆ではない。総動員体制も敷かず。平時体制で、将兵を確保することになる。

 この政治学者の見通しは基本的に正しかった。その理由は、この政治学者がクレムリンの対ウクライナ政策の策定に関与しているからと思われる。