現代の言葉第9回 伝統と技術
2010年9月7日、国立京都国際会館で「東アジアにおける民族の共生」というシンポジウムが行われ、朝日新聞主筆(当時)の船橋洋一氏の基調講演のあと、パネラーの一人として議論に参加した。
東アジアではいま、中国、韓国、ASEAN(東南アジ諸国連合)を初めとして、すさまじく元気な国が発展している。日本はその中で、元気がない。しかし、日本は、本来、元気のない国なのか。そんな馬鹿なことはない。20年前まで、日本は素晴らしく元気な国だった。いま、日本が必要としているのは、日本自身が持てる力を発揮し、国民全体が力を合わせられるような、国家ビジョンの確立である。―――そう述べて、私は、その具体策を絞り込んで話そうと考えていた。
ところがである。
もう一人のパネリストとして、立命館副総長のモンテ・カセム氏がコメントされた。モンテ・カセム氏は、スリランカ出身、スリランカ大学建築科を卒業後来日し、日本の大学で、都市工学、国土計画、環境科学等を専攻しながら教育に励まれ、立命館アジア太平洋大学長を務めた後、現職に就かれている。
発言の最後に、モンテ・カセム氏は、日本の世界に対する優位性は、伝統文化芸術大国としての特性と、科学技術と職人芸の活用の二つを柱とし、そのための人造りが鍵になると喝破された。
伝統と技術、それを生かす人の心、これこそ、私がこの春から考え続けてきた、日本の国家ビジョンの中核にたてるべき柱であった。五月の上海セミナーで、日本の伝統の中でも最も優れた風景の美しさと、現代技術の最先端をいくロボットの写真二枚を組み合わせたパワー・ポイントを使って、聴衆に語りかけたビジョンであった。
人生の大半を外交に費やしてきた私は、科学にはまったく縁がない。モンテ・カセム氏は、科学を専攻しながら、大学と研究の世界で過ごされた方である。そういう、国籍も経歴もまったく違う人間が、殆ど同じ日本の将来目標を考えていたのである。
これは、私にとって、驚きであり、光栄であった。
同時に、そこには、なにがしかの寂しさがあった。
モンテ・カセム氏は大学卒業後の人生のほとんどを日本ですごされ、日本語は流暢を極め、日本社会を知悉し、数多くの日本人を友達に持っておられる。しかし、氏のお立場には、外側から日本を眺めざるを得ない宿命がある。
私もまた、外務省に勤務して15年を外国で過ごし、退官後また6年を外国の大学で過ごし、この間、日本の国益のことばかり考えてきたけれども、外側から日本を見てきた側面があることは否めない。
外側から日本を見るとき、類い希な美しい国土とそこで培われてきた伝統の力と、戦後日本の発展を支えてきた科学・技術の力が、厳然として浮かび上がる。
同時に今、その最良のものを壊しながら、それに有効に対処し得ていない現下の日本についてのもどかしさがある。
モンテ・カセム氏の発言の裏に、言葉にならない焦燥感を感じたのは、外側から日本を見てきた私一人の寂しさ故であったろうか。
(2010年11月16日 『京都新聞』夕刊)