現代の言葉第10回 皇室と京都
2012年11月28日
皇室は私にとって、とても大切なものである。
一人一人の日本 人は、「自分にとって皇室とはなにか」という問いかけをもっていると思う。私にとっては、日本が、太平洋戦争の最後、国家存亡のふちに立った時、当時の指 導者の誰もが、降伏の唯一の条件として、国体の護持、その最小限の形としての「皇室の安泰」を求めたこと、その深い思いをどう受け継いだらよいか、それが 皇室の意味である。
皇室は、神話の彼方から日本という国ができて以来、日本の歴史・文化・精神を形作る根幹として生き続けてきた。京都 は、8世紀末に平安京として天皇の住まいとなって以来、皇室と最も深い係わりをもってきた場所である。明治維新によって、東京に事実上の遷都が行われてか らも、京都御所は、皇宮の一部として生き続けている。
21世紀の日本は、先祖より受け継ぎ、歴史の中に残してきたものを一つ一つ新たに発 展させていくことによってのみ、深く大きく発展する。その鍵は、日本全国に残っている歴史の跡を大切にし、それを具体的に、これからの日本の文化と精神の 発展の礎にしていくことにあるのではないか。
そのような観点から国を挙げて考えなくてはいけないのは、歴史の中で皇室とともに歩んできた京都と皇室の係わりを再構築することではないか。私には、その具体策を示す力はとてもない。肝心なことは、そういう視点で、国を挙げてもう一回考えてみることではないか。
例えば、思い切って、天皇陛下に今一度京都にお移りいただき、京都をもって、文化と精神を核とする日本の宮都とするという考えはどうか。戦後を生きてきた 私にも、象徴天皇と東京との結びつきはあまりにも強い。しかし、そういう視点でものを考えてみるだけでも、何か、太古の歴史の中から、「日本よ、元気にな れ」と呼びかけてくるものはないだろうか。
あるいは、天皇は東京において日本の象徴として執務されるとしても、いつかの時点で、歴史にも根ざしている上皇制を復活し、上皇には京都にお住まいいただくという考えはどうか。日本の精神と文化の発信力は、二倍になるのではないか。
もしも、そういう皇室の制度の根本にかかわる改革を考えることがあまりに畏れ多いことだというなら、せめて、現在の制度の中で、天皇、皇后両陛下を始めとする皇室の方々に、公的にも私的にも、京都で過ごす時間を少しでも増やしていただく様々な知恵はないものだろうか。
仮に、そういう制度や慣習の変更を要する改革が何も実現しなくとも、少なくとも、京都の方々は、京都という町が、少しでも天皇、皇后両陛下をお迎えするに ふさわしい町になるように、絶えず努力を続けることはできるのではないか。世界に誇る「点」としての神社仏閣をつなぐ街並みを、世界遺産にふさわしい 「線」としての風景に変え、町並みの風景をいくつも集めることによって、「面」としての新しい京都を生み出す、そういう努力を続けることはできるのではな いだろうか。
(2011年1月21日 『京都新聞』夕刊)