フォーラム神保町東郷ゼミ「ゼロからのイスラム 第3弾」〜グローバリゼーション下のイスラム社会の変容〜

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開催日時:2010年 11月14日(日) 17:00〜19:00

レポート

 「イスラム」と聞くと、何か足を踏み入れてはいけない、神聖で神秘的な世界というイメージが自分の中にある。10代の時に起こった『悪魔の詩』事件は今も忘れることができない。イスラエルへ行った時、イスラムの聖地である岩のドームには非ムスリムである自分たちは入ることはできなかった。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はアブラハムに起源を持ち、一つの神を信じるという原点においては共通であるはずなのに、信仰における理解や実践は大きく異なる。そしてその差異による対立ばかりが強調されて、差異の本質に目を向けようという視点がないまま、今日まで来てしまった。

 今回のイスラムゼミは、自分にとって初めてひらくイスラムへの扉であった。

 東京外国語大学教授の八木久美子先生をお迎えしてのゼミは「グローバル時代のイスラム—生活者の視点から—」グローバル化が進むボーダーレス時代の地球に暮らすイスラム社会の変容を考えてみるということで、まず出てきたのは「フッラ(fulla)」というお人形だった。

 フッラちゃんは、2003年にUAEで発売された子ども向けの着せ替え人形で、アラブ諸国や東南アジアなどのムスリム諸国で人気があるという。いわゆるリカちゃん人形のイスラム版である。興味深いのはそのキャラクターで、フッラちゃんの好きなことは、おしゃれ、買い物、友達と遊ぶこと、料理、読書、「礼拝」。将来の夢は、医師か教師になること。親の言うことを良く聞き、弟妹の面倒もよく見る。そしてリカちゃんと違うところは「ボーイフレンドはいない」という点である。
 フッラちゃんは現代イスラム社会におけるグローカル現象の典型とされている。リカちゃんにしてもバービーにしても、ヒット商品には必ずキャラクターがある。そこには遊ぶ子どもと買い与える親にとっての憧れでありお手本的要素が盛り込まれ、時代の価値観が体現される。フッラちゃんが爆発的に人気があるのもひとえにそのキャラに拠る部分が大きい。フッラちゃんが目指す「医師」や「教師」は、イスラム世界で女性が最も尊敬を集める職業である。また「礼拝」が好きというところも理想的なムスリムの姿を提示している。いわゆるイスラム世界における「あこがれの女性像」を体現する存在、それがフッラちゃんなのである。
 グローカルな現象の典型としてのフッラちゃんは、バービーにその起源を置く。そこには購買欲を倍増させる設定が施され、次々と売り出される服や小物、そして消費者(子ども)の憧れとなるストーリー展開と共に、イスラム的性格が付与され、市場価値を高める要素としての「イスラム性」が至るところに散りばめられている。ここには1970年代末からのイスラム回帰主義が強く影響している。それ以前はベールを被っている人を見つけることが難しかったのに、現在のイスラム世界ではベールを被っていない人を見つける方が難しい。しかもこの現象はずっと続いて来た伝統ではなく、アメリカを知った人々がまたイスラム的なものに回帰してきたという、これまでとはまったく違う新しいタイプのバリエーションである。このような回帰主義の中でバービーやリカちゃん的な価値観は相応しくない。そこで生まれたのが西洋の資本主義とイスラムの伝統が組合わさったフッラちゃんで、その存在は、人形という偶像に関する問題(本来絵を描くことに関しても三次元的な問題が発生するイスラムの伝統)でさえも人形の市場価値を高める要素としての「イスラム性」ということで容認され、それまでの伝統的とされてきたイスラム性を凌駕するパワーを持つ。

 1970年代末からの再イスラム化に端を発する一連の動きは1979年のイラン・イスラム革命、メッカ事件、ソ連のアフガン侵攻とシンクロしている。この間、中国においては儒教の見直しが行われ、アメリカではキリスト教原理主義、インドではヒンドゥー、そして日本では新宗教が台頭してきた。このような動きは、それまでの合理主義やイデオロギーでは突破口がないということに気づきはじめた人々が、合理的なものの限界を感じ、理屈ではないなにかに導かれるように伝統に回帰しようとした動きで、特にイスラム社会においては顕著であった。
 

 この再イスラム化において基本となるのがシャリーアと呼ばれるイスラム法である。シャリーアという言葉はイスラム以前から使われていたもので、原義は「水場へ至る道」、つまりその道を知ってさえいれば生きて行ける神が命じた人間が歩むべき道ということである。シャリーアは神が定めたものなので、人間が把握することはできない。この法解釈としてフィクフと呼ばれるものがあるが、こちらはシャリーアとは区別が必要である。フィクフは個別の問題に関して、どうふるまうことがシャリーアに従うことになるのかを判断すること、あるいはその判断そのものという意味で、人間が解釈したものは間違っていて当然ということが前提となる。シャリーアが絶対に人間が変更不可能であるのに対し、フィクフは営みとその結果に対して常に変化可能で、間違っていたら修正されるべきものである。

 イスラム法解釈の手続きとしては、コーラン、スンナ(預言者の慣習)、キヤース(類推)、イジュマー(合意)という四法源がある。使い方としては、コーランから順に優先される。つまりコーランで判断できなければスンナが参照され、それでも判断できない場合はキヤースやイジュマーが行われるという具合に広範な法解釈が行われていく。
 この中でわたしたちが最も耳にするのはコーランであろう。コーランはイスラム教の聖典で新約聖書くらいの分量があり、神がひとりで「我は」と語る定式によって編纂されている。この神の声は聖霊の働きではなく、ムハンマドに対して下された啓示として位置付けられている。意外なことに、このコーランにおいて絶対的に正しいという記述はイスラムには存在しない。コーランはあくまで人間が判断する材料を提供するものであり、イスラム世界における判断はあくまで人間がするものであるとされているからだ。この判断は、前述したように個人の考え方、時代、地域の背景によって答えが変わってくる。

 スンナ(預言者の慣習)は、いわゆるムハンマドの慣習であり、ハディース(伝承)から読み取るものとされている。イスラム世界においてムハンマドは宗教的に無謬であるとされ、人間的に完全であり、他のイスラム教徒にとってはお手本となる人物である。つまりムハンマドがしていたことであれば神の怒りを買わない、彼に倣ってさえいれば大丈夫であるという理解になる。

 キヤース(類推)は、イスラム教徒の義務に影響し、イジュマー(合意)は、イスラム教徒全員で一致すればOK!的なものであり、一見宗教的根拠がないように見えるが、そこには必ずハディースが参照され、イスラム教徒にとって誤りによる選びがないよう配慮されている。絶対的なものこそないが、最終的にはムハンマドによってオーソライズされるということだ。これがなんとなく人々の間で定着し、いわゆるイスラム的民主主義へと昇華されていく。しかしその過程に厳密なものは存在しない。
 それぞれどの法源に重きを置くかによって違いがあって、たとえばキヤースを重視するということは、そこに自由な裁量の可能性を確保する、ということになる。
 見解は法学者ごとに違いがあり、見解の拘束性は見解を出した本人にのみ及ぶという原則があり、他に拘束力を持たない。ゆえに多様な法的見解が常に共存する、つまりなんでも言いっぱなしで終わるということで、その言いっぱなしが一般人の間で定着化していくのだが、そこに社会的合意はないということである。もちろん最終的な決定はシャリーアを基本とした実定法に基づくのだが、現実にはこのように一般信徒に支持されることによってイジュマーが成立していく。ここに働くのは市場原理の動きであって、最も現実的で、適用可能なものが定着する。つまりイスラム法は成分化されていない。なにかあればそのときは実定法が変わるという話であって、これは日本社会における道徳、常識、社会通念と変わらない。憲法でも法律でもない。あくまで精神の問題なのだ。
 このようにイスラム社会には、多様性を承認・評価する伝統がある。つまり判断をしようとすること自体が神の意志に近づいている、とされる。アブー・ダブードによるハディース(預言者の言い伝え)によれば「判断する者は、正しい判断を下したならば、褒美をふたつ与えられる。そしてもし誤った判断を下したならば、褒美をひとつ与えられる」ということになる。

 また法解釈の担い手としてのウラマーの存在も欠かせない。ウラマーはあくまでイスラム教徒の知識人であって、聖職者ではない。ウラマーは組織化されず、序列を持たず、特別な霊的能力を持たない。つまり罪をゆるすことも、破門することもできない。そしてウラマーは資格でも職業でもなく、人々の間で認知されて成立する。かつては知識人であったが、せまい意味での宗教の専門家として変化していったという過程があり、本来ウラマーが関われない分野であった「聖職者」の領域にも接近し、社会の世俗化の中で「宗教」の専門家としての存在意義を確保していったという側面もある。
 ちなみにかの有名なホメイニ師もウラマーであり、冒頭で述べた『悪魔の詩』事件もこの原則に照らせば「彼が思っただけの問題」でしかない。しかしながら死んだ人間の見解を他の人が消す訳にもいかないので、ホメイニの命令はそのまま残っている。このことからもイスラム社会が単にシステムだけで動いている単純なものではない、ということがわかる。
 

 1979年のイラン革命に端を発する80年代以降のイスラム社会の状況は、合理主義に限界を感じた人々による再イスラム化の進行、文化的に真正なものとしてのイスラムへの回帰、「イスラム性」への積極的評価の再確立という過程でグローバル化が進行し、そこでは外からの人、情報、モノの流入による飛躍的な選択肢の拡大、選択が有意味化していった。逆にファンダメンダリストたちによる「政治的イスラム」の試みは90年代半ばから挫折の一途をたどる。
 このようなグローバル化時代の再イスラム化、日常生活の再イスラム化という流れに代表されるものに世界初のイスラムアニメ「THE 99 がある。これアラー=THE GODが持つ99の美しい名前(働き)をモデルにした99人のヒーローが活躍するという内容で、その戦いはイスラム教の文化や教義に根差したものとなっている、らしい。またフッラちゃんのようなイスラム的玩具、イスラム的服装、利子を取らないイスラム金融、預言者的医療、イスラム的自己啓発セミナー、イスラム的教育・私立学校などが生活の細部にまで浸透し、トータルに意味づけようとする生活者の動きへとつながる役割を果たす。この消費行動の中に現れるイスラムは「消費者にウケるイスラム性」がその基準となり、結果、消費者の需要と折り合うイスラムの論理が社会の中で定着化していく。このような商売とイスラムの論理を読み解けるのは、現代においてはウラマーであるとされているが、実際英語が読めて経済がわかるウラマーは10人くらいである。彼らはこのような消費社会の論理が選ばれるために大きく貢献しているが、その鶴の一声でイスラム社会全員が動くわけでもない。こうした消費と伝統の交差の中で再イスラム化は進行している。

 ウラマーに代わる一般信徒のイニシアティブの拡大というのも見逃せない。ここでは新しいメディア、つまり衛星放送やインターネットの貢献が欠かせない。イスラムにおける衛星放送の位置は日本におけるそれとは全然違う。たとえばエジプトでは、公衆電話はほとんど機能せず携帯が普及しており、テレビは地上波よりも衛星放送が普及している。このことが何を意味しているかと言えば「自由に動ける場が大きい」ということである。
 衛星放送で活躍する「俗人」説教師アムル・ハーレドが今や大変な人気を博している。カイロ大学商学部卒の元会計士である彼はファッションはラコステが大好き。数々の人気番組を持ち、一般信徒がイスラムについて語ることが既に自然であることをリアルタイムで体現している。もちろんウラマーとしての専門的な勉強はまったくしていない。しかしマックス・ウェーバーのプロテスタンティズムを汲む世俗内禁欲を説く彼の一般信徒ならではのアプローチは、勤勉さ、時間管理、計画性の重視が社会的・経済的信仰をもたらすものとして語られ、それが社会の成功者たちからの共感に留まらず、中より下の層の人々にも希望を与えている。しかし宗教的実践が皆無の彼の話を聞いていると「イスラムとは何だったのか」とも思えるらしい。

 インターネット上のイスラムも同様で、まずアクセスの容易さによって、それまで専門家にのみ開かれていた情報、知識が一般信徒にもアクセス可能になり、いつでも誰にでも開かれたものになった。以前は図書館で重い文献を運び、長時間かけて調べる必要があったコーランやハディースのデータベースがいとも簡単に閲覧できる。そしてコーラン朗誦法のソフトまで存在する。こうして簡単に自分で情報を得て考えることができる上に、ネット上で双方向の意見の交換が可能になり、双方向のメディアという性格が生まれ、一般人が発信者になれる可能性も誕生した。こうして一般信徒が公的空間でイスラムに関して発言するという新しい現象が生まれた。

 グローバル・メディアの出現によってウンマ(イスラム共同体)の実体化が進んだ。このイスラム共同体(ウンマ)の概念は、場所ではなく「世界中どこにいてもみなイスラムだという単位」ということだ。622年にメディナに登場した実体を伴う共同体としてのウンマは、イスラム帝国の登場により実体性が希薄になり、オスマン帝国の崩壊によりその実体性は消滅した。この時からウンマは想像上、理想上のものに限定されていた。しかしグローバル・メディアの登場により、イスラムの脱領域化が進み、国境線にとらわれないコミュニケーションが可能になる。つまりイスラム教徒同士が「一生会わないし、コミュニケーションもしないけど助け合いたいよね」と連帯を実感できるようになったのだ。この動きの顕著なものが、9.11直後のIsram Online上での各地からの書き込みであり、ムハンマド風刺画事件へとつながっていく。現代のグローバルなものとしてのウンマは、同じものを信じ、語りたい人が存在するという事実を実感させる装置であり、イスラム再普遍化の可能性を秘めている。この普遍は「世界中どこのイスラム教徒であっても根幹的には一緒」という実感であり、50年前にはありえない反応であった。前述したムハンマド風刺画事件で、西洋移民のイスラム教徒たちが先手を切って行動したことにこの再普遍化の可能性が最もよく現れている。

 歴史や地図を眺めているとイスラム世界が常に西洋に潰されてきたという現実が浮かんでくる。しかしながら、彼らは植民地時代を経験しながらも西側をお手本にすることはない。パキスタンやイランのように失敗していないと言われる国から、アフリカ、アラブ社会主義の経済的にうまくいっていないとされる国々、そして各地に散った移民たち、それぞれの社会状況において、イスラム教徒たちは、その都度自分たちに必要なものを選び取り、その中で伝統を大切にし、民族としての連帯をも忘れない。そして新たな装置を得ることによって、さらに進化を続けて行く。今日、このような宗教は他に類をみないのではないだろうか。
 良く知りもしないで一面的に捉えてきたイスラムであるが、八木先生の講義は、これまでの自分の一方的な思い込みを明解に翻し、また今日的でしなやかなイスラム世界をわかりやすく解説してくださった。頂いた様々な示唆を自分のフィールドに持ち帰りさらなる考察を続けていきたいと思う。

(吉田祐子/上智大学大学院 神学研究科)


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