フォーラム神保町東郷ゼミ/熱海合宿「天皇誕生日に皇室を考える」

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開催日時:2009年12月23日(水) 〜24日

「理念としての天皇制の生成プロセス」

今回の御講義でとりわけ印象的だったのは、皇室の尊厳は何に由来するのか、といった事柄に関する言及でありまして、血統の継承にあるとする以前に、理念としての天皇制の生成プロセスそのものに焦点をあてた歴史的究明の部分でありました。
 
歴史的史実の検証としては、継体天皇より以前は解らないと言われ、雄略、継体における皇統の継承性の問題があり、天武は、渡来系ではないかとか少なくとも北朝の光厳・光明朝からは続いているだろうとかいろんな議論がある訳でありますが、理念としての皇統が確立されたことの歴史的意義を講師が解説されたことは大川周明の天皇観とも関連するところであり極めて重要な御指摘であろうかと思われます。
 
神道における祭祀の生成プロセスを宇多天皇まで遡り、神道の社会的確立以降では、「禁秘抄」の作者でお祭りに熱心だった順徳天皇の存在などさらに現代からする史学の徹底究明が必要な箇所ではないかと感じました。
 
皇位の継承を男系で行くべきか女性にも認めるべきかといった側面に関しては、論ずる立場により様々な意見があってしかるべきかと考えます。
 
できれば男系、やむをえざる事情の存するときは、衆議をえた上で女系もありうるとする総論に自分は賛成するものであります。
 
もし仮に女系天皇が派生した場合であっても、権威としての天皇制・とりわけ祭祀の統括者としての役割においては、新興宗教系の開祖に中山みきや出口なを等女性が多く、沖縄のノロやユタはじめ神懸りの土着シャーマンに女性特有の役割が見られるなど、能力的資質において特に問題は見られないと思われます。
 
コンクラーベでのローマ法王選出のお話なども出ましたが、問題は講義の中で講師がおっしゃられたごとく皇位の継承は、国家の極めて重要な問題なのでありますから、「庶民の井戸端会議で決めるべきでない」ということでありまして、国民総体・有識者たちによる様々な角度からなる議論を経た上での最終判断として慎重に決すべき事柄であろうかと思われます。
 
その判断材料とすべきは、国民総体の天皇観といったものでありますが、政治漫画家の主張といったもの以外にも、昭和初期に活発であった国体論に関する議論が参照されるべきであり、田中智学や里見岸雄が再検討される必要は言うに及ばず、新たなる現代における国体論再構築の時期が到来しているのではないかと思う次第であります。
 
これと関連しつつ、私なりの見解と共に少し歴史を遡ってみましょう。
 
天皇論に関する様々な錯誤とりわけ左翼の天皇制批判に根拠を提供したのは、かの32年コミンテルンテーゼというやつであります。
 
ドイツにカイゼルがいてロシアにツアーがいるように日本にも反動的な絶対専制君主がいる打倒すべきである・・・・と国際共産主義運動・コミンテルンの指導者でもあるところのスターリン・ブハーリン及びその側近官僚たちは考えた。ずいぶん昔の話ではあります。
 
これはよく考えてみますとかなり粗雑な歴史認識でありまして日本の天皇の独自性、他に類例を見ない歴史的起源、祭祀権力として日本にしか存在しない儀式的なりわい、その祭祀者として「祭る者」と「民」との関係など細密な比較人類学的民俗学的検討がすべて抽象されてしまっております。
 
左翼の諸党派によって、その立論の根拠には違いが見られ、共産党の天皇論と、中核派の天皇論解放派のものとではまるで違う。
 
天皇制に反対する立場から深く歴史を研究していると思われるのは、菅孝行氏と最近著作集が発刊されはじめたさらぎ徳二氏の諸論文でありますが今の私は、むしろ大川周明及び葦津珍彦の天皇論や先ほども述べました田中智学や里見岸雄の国体論から導き出されたところの天皇論にむしろ興味をひかれます。
 
菅孝行氏は御自身のことを「奇矯なナショナリスト」とみずからお書きになっておられるように「裏返しの昭和天皇絶賛」みたいな不思議な右翼体質をお持ちですし、故さらぎ徳二氏も二・二・六の熱血青年将校「磯部浅一」や三島由紀夫を「敵ながらあっぱれ」と論じる部分など左翼イデオロギーというエネルギー転換装置によってその性質を変えられてはいるがもともとあった原型はと言えばきわめて日本的な恋闕的情念ではないかと思える部分がないではない。
 
故宮本顕治氏が、その体質において良い意味において封建的サムライや任侠の世界にあい通じるのと同じ話であります。
 
さて、明治期以降日本の天皇制は、きわめて早い時期から、イギリスをモデルとする立憲君主主義へと移行したのであって、昭和天皇が、「独白録」の中で言っているように美濃部達吉の天皇機関説にむしろ共鳴していた事実があったりします。
 
北一輝が、そのきわめて独創的な天皇論を含む論述であるところの、「国体論及び純正社会主義」の中で述べておりますように祭祀権力としての天皇のあり方「神道のローマ法王」といったありかたは、すでに明治天皇のころから潜在していた、というのが私の見方なのであります。
 
では、政治と深く関わりつつも、厳密には政治権力ではないあくまでも祭祀権力としての天皇のありかたが、今後どうあるべきか日本国民の総意と国民の勤労によりますところの税金によって成り立っている天皇・皇室の社会的機能とは何なのか、その祭祀的・外交的役割につき昭和初期の国体論論争が大きなヒントを与えてくれております。
 
当時の国体論の代表的論客にして、故竹中労氏も絶賛されていた里見岸雄の天皇概念は、明治天皇への信仰的とも言える特殊な傾斜や三笠宮問題への政治的言及から見る限りにおいて、私が理想とするものよりもかなり右であります。「科学主義」「科学的天皇観」を標榜しつつ、濃密な「右」と言ってもよい。憲法問題への法理学的探求も潜在的には「改正」大日本帝国憲法の原理主義的復元ということを指向しているのであって復古主義と科学的天皇観の奇妙な混合とも言うべきで、それを無条件に肯定することはできません。昭和天皇がお嫌いになった「神がかり右翼」ではないにせよ、里見の法思想は、立憲君主思想の枠からはみ出る「危険な(左翼から見た危険性ではない・むしろ健全な保守思想を担保すべき制度としての象徴天皇制にとって危険と考える!)」要素を多分に含んでいるのであります。
 
しかし、ベルリン留学中の石原莞爾に影響を与え(石原がドイツ留学中、里見もベルリンに長期滞在中で二人の人的思想的交流は活発だった)どちらかと言えば右翼嫌い・左翼びいきの石原が生涯、敬意を感じ続けた里見の論考には、やはり石原とよく似た「世直し」を崇高な目標とするところの疑似マルキスト的傾向が明確に存在したのであります。
 
昭和初期のベストセラーであり、里見の思想を圧縮した名著でもあるところの「天皇とプロレタリア」には、国家社会主義的発想が見られる。マルクス主義への共鳴と労働者階級の悲惨な現状への熱いシンパシー、それらに鈍感かつ頑迷な「国体論」及び旧来の「国体論者」たちへの生理的反発、そして、貧困にあえぐ労働者階級国民一般と真に同盟し階級搾取を打破すべき「超越的権威」としての天皇及び天皇論ということを里見は生涯考え続けた。
 
この部分は、最近また再評価の機運にある、日本における国家社会主義の開祖にしてマルスク研究の先駆的名著「マルクス十二講」の著者・マルクス「資本論」の最初の、そして最も優れた翻訳者でもあるところの高畠素之とよく似た部分であり私が特に共感するところでもあります。(あくまでも歴史上の人物歴史的現場への目撃証人としての赤尾敏、津久井龍夫、児玉誉志夫に関し、私の感じる興味というのは、高畠の思想的門下生といった側面に関してであります。この分野に関しては「評伝 赤尾敏」「日本の右翼」をはじめとする著作家猪野健治さんの尊敬すべき先行研究があります)
 
里見の天皇論には、しかし、「科学的天皇観」を標榜しすぎるあまり、祭祀権力としての天皇、その儀式や伝承に関する考察がやや希薄なように感じられます。この部分は、北一輝も高畠素之も同様でありまして、むしろ里見の父親である田中智学の国体論にこそ、今日多くの学ぶべき要素がございます。
 
皇室とりわけ天皇陛下が関与する宮中祭祀や儀礼は、悠久の時の流れを旅するタイム・カプセル的文化の伝承・その濃縮されたDNA情報の作為的保存継承という重要な役割を持っております。
 
形式や儀礼的作法において保存されているものは、単なる形骸ではなく、その一つの作法を解読することで何十、何百ページもの活字に匹敵する圧縮された情報・シンボル的儀礼なのでありまして、太古から未然形の未来永劫へ向け伝承されし「今だ解読されえない」神学的・民俗学的・秘伝的要素も数多いのであります。この部分は、シュタイナーと並び今世紀最大の神秘思想家と称されるグルジェフのスーフィズム解釈が参考になるほか、関心のある向きは「古事記伝」をはじめとする本居宣長の諸著作、ひとりひとり名前は挙げませぬが大正から昭和初期の日本神道・神道系の新宗教における神秘思想家の系譜に触れてみることをぜひおすすめします。
 
世界に類を見ない日本に唯一とも言ってよい天皇制には、独自の社会的機能があってしかるべきでありまして、先ほども論及しました祭祀権力としての働き以外にも神道的伝統の継承を斟酌する中での自然保護へと至る働きや社会から差別され、抑圧された社会的底辺や社会総体から充分なフォローがなされていない身体障害者の方・精神障害者の方たちとの連帯的な支援・交流ということ、力のある政治家や有能で良心的な一部の外務官僚でも解決が難しい政治的事案を背後に見据えつつ側面から(抜本的解決と至らずとも)儀礼的外交的交流において日本の文化への理解を促進し親日人脈を確保・育成すること等々・・・皇室ならではの決して税金の無駄使いではない絶大な効力を有するところの社会的・外交的機能が期待・要請されている訳であります。
 
旧皇族の社会的復権という事柄も社会から隔絶した特権を有する「超階級者たち」の再建や税金の無駄使いということではなく、あくまでも日本国家ーーその内外にわたる膨大かつ難解な諸問題ーーにとって必要な尊厳ある皇室の使命として政治家や官僚たちと決して競合しない、「スペシャルな特務機能」との関連において、日夜過密な重労働を強いられている天皇陛下や皇太子殿下を側面から強力に補佐する公的役割という角度から再検討されてしかるべきではないかと考える次第であります。
 
(筋田秀樹)

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