フォーラム神保町香山リカの「ハッピー孤独死マニュアル」第2弾 〜天国へのお引っ越し、手伝います!
勉強会レポート
香山リカさんは、どちらかといえば孤独死してもかまわないという意見の持ち主で、吉田太一さんは、「遺品整理屋」としての仕事の体験から、孤独死を避けるよう、社会的に働きかける人だと思います。
トークイベントを通して、この両者の感覚の違いが、吉田さんの話す「孤独な死」をめぐるエピソードの数々(それらは彼の著作にふんだんに紹介されています)によって、徐々に縮まっていくように感ぜられました。
なかでも印象に残った言葉を一つ挙げるとすれば、孤独死した人の部屋の匂いは「哀しい」、という一言に、吉田さんの仕事への姿勢、依頼人への姿勢が滲み出ていると感じました。
ところで、私が二人のお話を通して否応なく直面させられた事柄は、必ずしも、「孤独な死」の実像や、その悲惨を避けるための幾つかの提案、ではありませんでした。
それよりも、吉田さんの仕事から炙り出されている、この社会の中で、人生のリズムにおいて、「死そのものが孤立」している現実でした。
これまで、私は次のように考えていました。
〜現在は、「近代化」によって、人間が動物であることを忘れ、「死」が病院のものになってしばらく経っている。
さらに、死んでもリセットすれば生き返るゲームの影響などもあって、日々の生活のなかで自然にわかっていた(教育されてきた)生死にまつわるあれこれが、分断され、ブツ切りにされている。
結果として、「生と死をめぐる全体像」が、うまく像を結ばなくなっている、生死の価値についてよくわからなくなっている〜と。
もっとも、病院が人生から死を切り離したのだとしても、あくまでも病院の側は業務上の判断で種々の決定の大半を行なっているのであり、死と病院との関係を、いま流行りの短絡的な善悪の二元論でさばこうとしても、それはどだいムリな話です。
ただし、病院は、その人のその人らしさ──慣れ親しんだ場所で暮らす価値──を無視しがちな場所であり、患者を自宅へ帰す動きが進んでいることも事実です。
また、患者本人が帰りたいと思っても、帰った場合に、患者の家族は幸せなのか、という深刻な問題も生じています。
しかし、吉田さんが日々直面している、孤独死した人の遺品を整理するという仕事は、これら、病院と家族と死をめぐって、これまで生じてきた諸問題の、「前提そのもの」が、既に崩壊しつつある現実を炙り出していると言わざるを得ません。
社会が壊れた結果、「孤独な死」が増加するとともに、生まれ、老い、病を得て、死に至る、人生の過程が、それぞれ「生の孤立」「老の孤立」「病の孤立」「死の孤立」に直面しているのではないでしょうか。
吉田さんの仕事や提案の数々は、本人が意識するとしないとにかかわらず、「私たちの還る場所はどこなのか」という、この社会を貫く根本的な問いに、深く関係していると感じました。
外村卯人(フリーランスライター)