フォーラム神保町第26回「去年1年を振り返って今年をどう見るべきか」

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開催日時:2008年 2月8日 (金) 18:00〜

勉強会レポート

今や言論界には欠かせない存在となった佐藤優氏。
フリージャーナリストの魚住昭氏の言葉を借りると、昨年一年は「佐藤優現象」が起きた年だったという。
佐藤氏が右から左までジャンルを問わずあらゆる媒体に書いたことによって、右と左に属していた人たちが自分の論理を問い直すようになり、きちんとした論理の正当性を考えるようにうなる人が増えた、とフリージャーナリストの魚住氏は総括する

佐藤氏によると、一日に。40枚くらい原稿を書いており、最高で200枚くらい書いたことがあるという。著書執筆の傍ら、登場するメディアも新聞・雑誌などの媒体の種類やジャンルが実に幅広い。

2月8日のフォーラムでは、「昨年を振り返り、今年を展望する」というテーマの下、昨年の「現象」を起こした佐藤氏が魚住氏、そして作家の宮崎学氏とこの場では書ききれないほどの多くの問題を議論した。その中で話題になった主なテーマは三点。

裁判員制度悲観論、国内の貧困、そして第三次世界大戦。

将来はお先真っ暗であると何とも悲観的にさせられる見出しである。

しかし、時にはユーモアを交えつつ3人から提供された視点は鋭く展開されていく。

まずは、2009年5月に開始される裁判員制度について。内閣府の世論調査では裁判員制度に意欲的な市民は2割にとどまるという。
そしてその半年前の2008年12月までに始まるのが「被害者参加制度」。犯罪被害者・遺族に刑事裁判で意見陳述を認めるというものである。

宮崎氏が「捜査、裁判、刑務所という一連の流れの中で特異な現象が起きている中で裁判員制度を迎えることになってしまった。それぞれの役所の独走状態が始まっている。その一つに裁判員制度がある。」と問題提起。

すると、以前から裁判員制度に反対を唱えていたという魚住氏が「単純に言うと各役所の古官僚たちが、自らの生き残りを図っている。そしていかに厳罰化などで世論に訴えていくかという手法を使って、裁判所や警察が生き残りを図っている。」と解説。
「特に今の福田政権は弱いから、裁判所や警察の官僚の利害が直接噴出してきた形である。」と福田政権の基盤の弱さを指摘。

そこですかさず佐藤氏がモスクワでのご自分の経験を交えながら:
① 被害者・遺族が意見陳述した際に、被告が後日復讐に来る可能性を考えて警察は被害者と遺族を守ることができるのか。

② 近年増加傾向にある近親殺人の場合はどうなるのか。被害者遺族の意見陳述が、父親が娘を殺した場合、遺族は父親。殺人事件の40%以上が犯人が家族であるという実態を考えた場合、どうなるのか。

という上記2点を問題提起。
ステレオタイプの殺人しか前提にできないから、短絡的なことしか考えられないのだ、と続ける。

三人のこれらの指摘から考えさせられたのは、今までの裁判員制度の議論は「劇場型する裁判で素人が人を裁けるのか」といった導入が前提となっているものが多かったが、今回は「なぜ、行政が裁判員制度を入れようとしているのか」というそもそもの疑問に鋭く切り込んでいる。
それは単なる「市民の司法参加を促すため」と言った表面的な議論ではなく、制度導入の背景にある官僚の組織論を読み取ろうとする試みでもある。

また、二つ目のメインテーマである貧困について。
「昨年の総括としては、国内的には国税庁が総括してくれた。」と佐藤氏。
200万円以下の給与所得者が1000万人を超えた。これで世界の超極貧国の仲間入り。
家族の再生産がもはや不可能。ニートは親が死んだら年金ももらえなくなる。最後の資産として家があるけど、相続税を払わないといけない。
仕方ないから親から相続した家を2,000〜3,000万円くらいで売るかもしれないが、汗水流して働いた経験が少ない若者では、そのお金をすぐに使ってしまうか、消費する前になくしてしまうのではないか。

更に三つ目のテーマである第三次世界大戦へと佐藤氏の話は下記のように続く。
国際的には昨年一番重要だったのは9月6日の出来事。核開発が疑われるシリアの施設をイスラエルが空爆した。イスラエルもシリアもアメリカもその事実を認めていない。
しかし、シリアの衛星写真を見ると、北朝鮮の原子炉施設に酷似した建物が空爆されただけでなく更地になっている。明らかにシリアは何かを隠すものがあった。
それから急に北朝鮮に対するアメリカの態度が緩くなった。そしてイランとの関係も1994年の時点でイランは核開発を止めたというインテリジェンスレポートをアメリカ政府が出した。
そして、昨年の10月の真ん中にブッシュ大統領が公式の記者会見の席で、イランが核武装するならば第三次世界大戦が始まると言った。アメリカの現職大統領が公式の場で第三次世界大戦の話をしたのはあれが初めてだ。

そして佐藤氏は今年を展望する上で一つの結論を語る。
「そうすると2008年の今年というのは、あまりいい絵を描くことができない。」
「国内においては貧困であると同時に、戦争の危機というものが迫ってくるところで、僕は日本の国家存亡の危機にあると思う。」

結局のところ、冒頭に書いたように日本の将来は悲観的だ。

それでは、こういう状況でどうやって生き抜いていくべきなのか?

佐藤氏はこの問いに対する回答を明確にはしなかったが、様々な話をして頂いた中で「(色々な)シミュレーションを考えて、いったい何をすべきかを考えるべき。」とのメッセージを感じた。

そして、それはビジネス誌も含めてジャンルを問わずあらゆるメディアに佐藤氏が登場する「佐藤優現象」がなぜ起きたのかについてを知るヒントになるものがあるのではないかと思う。

社会の閉塞感が強まる中、将来に不安を感じる人々が求めていること。
それは正に佐藤氏が得意とする「色々な情報を的確に分析する目を持ち、シミュレーションしていったい何をすべきか自分の行動を考える」という生き抜くための力をつけたいという欲求だからである。

(ジャパンタイムズ 報道部記者 清水香帆)