フォーラム神保町第25回「日本型意思決定システムとメディア」

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開催日時:10月24日(水)18:30〜

勉強会レポート

2007年に話題になったNHKドラマ「ハゲタカ」をご存知だろうか。…物語の導入はこうだ。外資系ファンドに雇われた日本人社長が、経営が傾いた老舗旅館にM&Aをかける。M&Aと言えば聞こえは良いが、商才乏しい旅館経営者らが、情け容赦のない「外資」に家屋敷さえ奪われてゆく。ともにバブルを踊った銀行はさっさと撤退。初老の旅館経営者は息子にも見放された末、自ら命を絶つ…。

一方でこんな数字がある。8.4%→1.9%。…これは小泉改革5年間で、一気に下がった主要銀行の不良債権比率だ。「ハゲタカ」が描いたのは、この背後で起きたミクロの現実だが、これをマクロ=鳥の目から見ると「改革の成果」ということになる。

皮肉を言いたいわけではない。小泉政権が不良債権をはじめとする、経済の構造的問題に果敢に切り込んだこと。そこに異論を挟む人は少ないだろう。予算編成、三位一体、政策金融、郵政…。今回のゲスト?本間正明氏は、そうした改革の司令塔「経済財政諮問会議」の中心人物だった。小泉政権で開かれた会合は計 187回。竹中平蔵という一種の「革命児」の下、諮問会議はこの国のシステムにメスを入れてきた。

「小泉構造改革が弱肉強食的な社会を生み、格差を助長してきたという一般受けする論調が横行しています。ドラマ『ハゲタカ』もその一連の流れに属するものでしょう。しかし、90年代の初頭にはじけたバブルの過程で、類似の悲劇が、外資系ファンドではなく日本の大企業や銀行等によっても引き起こされている。グローバル化に対抗するためには、国内経済を強化するしか方法がない。悲劇を生じさせない事後的な対応はしっかりとセーフティー・ネットとして整備しなければならないが、諸悪の根源を極端な『ハゲタカ』のせいとするのは問題のすりかえです」

「グローバル化の中で日本の劣化が進めば、少子高齢化に直面するわが国は危機的状況に陥る。経済的指標の多くはわが国の将来を不安視させる兆候となってあらわれてきている。小泉構造改革はまさにこの危機意識から出発している」

「しばしば、政治家はこう言います。『官僚と敵対する必要はない。使いこなせば良い』。しかし実態は、使いこなしているのは官僚であって、政治家はその意向の範囲の中で許容されているのです。この官僚制民主主義こそが打破されるべき課題であり、真に議会制民主主義を確立するために不可欠な作業なのです」

「ほとんどの先進国で、官僚による政治家への接触が厳しく制限されているのはこの点に関係している。『官僚との接触を禁じられたら政治が出来ない』などという発言が与党内から聞かれ、公務員制度改革に対する抵抗が強い。これは万年与党ボケして官僚依存体質に染まり、自分の知見によって政治を動かすという政治家の基本が忘れさえ去られているからです」

「予算編成で言えば、単年度の中での意思決定を変えること。(経済財政諮問会議で)経済政策を作る枠組みを、いかに定型化するかという試みでもあった。その上で例えば、事前的な予算編成での透明性をどう確保するか。言い換えれば、役人が決めてきたことを、首相や内閣のリーダーシップの元にどう取り戻すか。そこが重要でした」

役人=「官」が主導してきた政策決定を、首相=「政治」の側に奪い返す闘い。本間氏はまず、小泉政権下の経済財政諮問会議をこう位置づけた。各省庁バラバラで縦割りだった政策運営を、諮問会議は首相の下に集約した上で、議論を透明なものにした。その功績は大きい。本間氏は予算編成を例に挙げ、財務省の抵抗にいかに向き合ったか、説明した上でこう続けた。

「内閣も与党も官僚に仕切られている。知のしもべとして官僚にひれ伏しているんです。その大きな要因が、官僚が情報を一括して握っていること。そしてディスクロージャー(情報公開)は不完全で恣意的ときている。官僚に正確な情報をいかに出させるか。C型肝炎であれ、インド洋の給油の問題であれ、本質的には同じ問題を抱えている」

「官僚や各省庁が善良で、中立的な立場をとるという想定は素朴過ぎる。権限、権力、既得権益を守るために、意図した歪んだ情報をマスメディアに流し、世論を誘導することなどは日常茶飯事なのです」

「メディアがその情報の真贋を見抜く努力と勉強をしなければ、結果として権力を持つ勢力に利用されて既得権益を守る側に立つことになる。メディアの基本的役割は国民の側に立って政策をチェックし、政府に対するガバナンスを発揮することです」

情報を一元的に握る官僚機構との闘い。本間氏の旧知で、会議を支えた大田弘子(現/経済財政相)は著書でこう振り返る。「省庁再編の狙いのひとつは、予算編成の主導権を財務省から官邸に移すことであり、諮問会議もそれが最大の眼目のひとつであった。(中略)したがって、諮問会議の運営において、内閣府と財務省の間に常に緊張関係があったのは当然ともいえる」(「経済財政諮問会議の闘い」)

「緊張関係」とは抑えた表現だが、本間氏が退いてから一年、政府部内の議論は大きく変容したかに見える。かつて歳出削減と経済成長を二本柱とする「上げ潮」派がイニシアティブを握っていた諮問会議でも、増税論議が以前より幅をきかせている。その後の大田を、そして諮問会議を語る時、言葉には若干の無念さがにじむ。

「(自分の時代は)あくまで歳出削減と経済成長。増税の選択肢は二の次だった。現在の会議で、これだけ増税がPLAY UPされるとは…。大田弘子さんの苦労ぶりがしのばれます」

「財政再建は重要なテーマではあるが、それは中間目標なのです。あくまでも日本の経済力を高めることが最終目標であり、このために経済政策としての改革が必要なわけです。従来から私は世界からの投資や資本流入を促進するために、法人税の国際水準の引下げを主張してきたのもこのためです。財政至上主義の勢力にとって、私が目障りだったのは明らかです」

本間氏が政府部内から退く契機についても語らなければならない。諮問会議での実績を買われ、去年11月には安倍政権で政府税調の会長に就任。引き続きその手腕が期待されたが、運命は暗転する。賃借した東京の官舎に、愛人を同居させたとしてメディアの指弾を受けた末、一ヶ月で会長職を追われたのだ。

「個人的な問題を取り上げられ、安倍総理にはご迷惑をおかけした。この点では、深く反省しています…。また、メディアの私に対するバッシングがあまりにも激しかったために、その後の政策論議において正論が影をひそめ萎縮させたことは、日本の言論界に大きなマイナスを与えてしまいました」

現在の本間氏は短く反省の弁を述べるのみだが、実はその政府税調?会長就任は、きわめてエポックな出来事だった。会長ポストはそれまで、実質的に財務省が決めていて、その路線に沿った人物が選ばれてきた。税などをめぐる財務省との議論を考えると「本間会長」人事は慣例を打ち破るもので、”官の喉元に突きつけられた刃”、そう受け取る向きさえあったほどだ。元経企庁長官?田中秀征は当時、こうエールを送っている。

「税調に限らず政府の審議会・調査会は、ほとんどが役所の主張を代弁する腹話術の人形のようになっている。(略)財務省の意向に正面から逆らった人事は初めてではないか。(同)今回の政府税調人事が、審議会のあり方を大きく変える契機となることを期待している」(ネットコラム「一筆啓上」’06 年11月 2日付)

「初めて財務省の意向に逆らった人事」とは、彼の「その後」を思うと示唆に富んでいる。例えばの話。「愛人同居」報道は週刊誌が火をつけたものだが、舞台となった官舎の管理権を持つのが(平たく言えば「宿舎の大家」が)、実は財務省(関東財務局)だったことを考えると、「情報」は一転きな臭さを帯びてこないだろうか?…いやいや、これは全く裏を取っていないウラ読みに過ぎない。批判の対象とされた女性は現在、本間氏の妻である。この報道をめぐる空騒ぎぶりは際立っている。…閑話休題。この話題に関わりなく、メディアに対してはこんな苦言が呈された。

「メディアは情報の中立点であるべきなのに、マッチで火をつけてポンプで消すようなことばかりを繰り返している。ひとつの政策の欠点だけを指摘して対案がない。その意味で、日本の報道にはバランスの取れたものがない。終始するのは『政策』ではなく『事件』、『政変』の話ばかりだ」

「例えば姉葉偽装事件。姉葉個人や建設会社社長を劇画的に悪役として攻撃するだけでしたから、結果として官の過剰規制を許し、コンプライアンス不況を生み出す結果になった。英会話のノバの場合でも、過激なバッシングのあまり、グローバル化に不可欠な英会話を学ぶ人が半減してしまった。実害がどこまであるのか、その救済処置をどうするのかは大事な問題ですが、そのことをなおざりにして、悪役を批判するだけでは異常な『官治国家』をつくり上げるだけではないか。事実、昨年からの規制法案の成立数は戦後最大なのだそうです。メディアは表向きは政府を批判しながら、江戸時代の水戸黄門のような役回りを政府に求めているのではないか」

「ライブドアの堀江元社長や村上世彰氏は、確かに世間的に言えば経営者としてはガキのような存在です。ただ、ガキの元気さえ許容できない社会はどうかと思う。金融取引に対する、国民の割り切れない感情を背景に、(堀江氏らに)功罪を曖昧なままメディアが審判を下している…。歴史が教える通り、真の意味でのイノベーション、経済活力は時としてアウトサイダーである“ガキ”や“若者”によるベンチャーがもたらす。“ガキ”や“若者”でなければ許される経済行為が日本では目の敵にされる。外資系ファンドによるM&Aも、ナショナリスティックな世論をあおることで敵対視する。グローバル化の時代に、インサイダーである既得権益者と新参者、外国人を差別しているような事例が多く見られる。ホリエモンや村上ファンドがメディアを対象にしたことで、バッシングを受けたのではないかと勘ぐられてもしようがないほどである」

…金融取引への割り切れない感情。冒頭の「ハゲタカ」から再び引く。自死を遂げる旅館経営者は、死の直前息子に「世の中はカネだ。金が悲劇を生むんだ」と言い残す。視聴者の琴線に訴えるセリフだ。この手のドラマは、制作者が本間氏の言う「割り切れない感情」を刺激することなしに成立しない。フォーラム後半、メディアの認識をめぐって、本間氏の舌鋒は鋭くなる。

「この10年間で経済は完全に変貌しました。実物経済を金融経済が凌駕した。そういう中で(メディアでは)いまだに『製造業はすばらしい。金融・サービス業は汚い』と言わんばかりの価値観が跋扈している。国民経済における製造業の比率は、付加価値ベースでもはや4分の1程度であり、金融を含むサービス業が4分の3に達しようとしている。ものづくりは大切にしなければならないが、国民の80%近くが勤める非製造業の力を強化しなければ、やがて経済はシュリンク(縮小)してゆく…」

ではなぜ「ハゲタカ」のようなドラマが、国民的評判を博すのか。「割り切れない感情」が根付く背景を本間氏は「そういうメディア(の古い価値観)が、日本人のメンタリティーと結びついている」からと説明する。メディアが「分かりやすい」方向に流れるのは今に始まったことではない。ときにそれは、情緒的な方向に大きく振れる。

「ブルドッグ・ソースのM&Aに対する司法判断のように資本主義を否定するような事例まで出てきている。日本に対する外国人の関心が低まり、日本の経済力が激しく低下しているのも理由があるのだ。自国を鎖国化しておいて、グローバリズムの恩恵を都合良く得ようなどと考えるのは誤りであり、不可能である。バブルの最盛期にハリウッドの映画会社を買収し、批判をあびたことをもう日本人は忘れてしまったのであろうか」

…さはさりながら。この国で起こっているドラスティックな変化を、為政者の側は十分アナウンスしていると言えるだろうか。一義的にそれは政治家の責任であるにせよ、「選択」が痛みを伴い、必ずしもバラ色だけではない場合でも、発信されるべき言葉はあるのではないか。「ハゲタカ」が広く受け入れられる意味をどう考えればいいのか。

「政府が問題の所在を国民に示し、解決への具体的道筋を明らかにする責務は当然あります。小泉構造改革は、このような問題提起をした最初の試みと理解されるべきでしょう。賛否両論があるのは当然だと思います」

「グローバル化が進展した時、リテラシーを持つ人とそうでない人に対応力に違いが出てくる。そうした格差の解消のためにこそ、構造改革が必要。グローバリズムの進行の中で、いままでの日本のやり方だと齟齬が生じて経済力は低下する。成長無くして格差の解消はあり得ない。大きく変化する経済環境に対して、勇気を持って挑戦する気概を日本人が共有することが何より大切であり、グローバル時代の中で外国と対立するのではなく、共生する覚悟が求められている。そのことなしには、日本および日本人が国際的に評価され、尊重されることもない。その国々の多様性を認め、文化を大事にすることと、グローバル経済下での国際標準を認めることとは矛盾するものではない。内向きな日本特殊論から脱却し、第2の開国の時期にわれわれは直面している」(本間正明氏)

(報道記者 金富隆)