読み物「大善決定」が示す小沢裁判の行方
昨年末、知り合いの記者から「小沢一郎氏の判決はどうなるのか?」と聞かれた。私は考え込んだ挙げ句にこう答えた。
「証拠に照らせば無罪でしょ。でも裁判官の中には『推認』だけで判決を書く人がいるからまだ分からない。あえて言えば7対3か6対4で無罪ですかね」
我ながら歯切れの悪い答えだった。昨年9月、東京地裁の登石郁朗裁判長が石川知裕衆院議員らに下した判決のショックが尾を引いていて無罪だと言いきる自信がなかったのである。
登石裁判長は昨年6月の証拠決定では石川議員の取り調べで「特捜部は恐ろしいところだぞという威迫があった」として石川調書を証拠採用しなかった。不当な捜査が明らかになったののだから、石川議員らの量刑は無罪とはいかな くとも大幅に軽減されてしかるべきだろう。
しかし登石裁判長は判決では検察側の筋書きを全面的に認め、石川議員ら3人に対し、ほぼ検察の求刑通り禁固1~3年(執行猶予付き)を言い渡した。
自ら指摘した捜査の欠陥を極小化し、証拠の欠落をすべて「推認」で埋めるという乱暴極まりない事実認定だった。私は判決要旨を読んだ時の背筋が凍るような思いを今も忘れられない。
今月17日、検察審査会の議決で強制起訴された小沢氏の証拠決定があった。大善文男裁判長の決定は石川調書の任意性を否定した点では「登石決定」と変わらない。だが、その内容にはかなり重要な違いがある。
その第1点は、検審の起訴相当議決(1回目)を受けて田代政弘検事が行った石川議員の取り調べ (石川議員が隠し録音していた)に対する評価である。
登石決定は「威迫ともいうべき心理的圧迫と利益誘導を織りまぜながら巧妙に誘導し」たと認定したものの、取り調べを違法とまでは言い切っていない。
一方、大善決定は田代検事が「小沢の関与を認める供述を覆すと、検察内部の強硬な考えの持ち主が小沢の起訴に転じるよう主張する」と述べたのを捉え、これは「強力な利益誘導」で「虚偽供述に導く危険性の高い取調方法」だと非難している。
さらに田代検事が石川議員の再逮捕を示唆し「供述を覆すことを困難にするような強力な圧力」をかけたと指摘。「このような取調方法は違法不当なものであって、許容できないことは明らか」と断じた。違法な証拠で起訴された者に有罪は言い 渡せない。これは法の常識である。
大善決定が登石決定と大きく違う点がもう1つある。それは石川議員の勾留中にフェアな取り調べをしたという趣旨の田代検事の法廷証言に「深刻な疑問」を表明したことだ。(登石決定は田代証言に言及していない)
大善裁判長がそこまで言い切ったのは、石川議員の再聴取後に作られた捜査報告書の嘘の数々が小沢法廷で暴かれたからだ。報告書によると石川議員は再聴取の際、こう述べたという。
「勾留中に田代検事から『やくざの手下が親分を守るため嘘をつくのと同じようなことをしたら選挙民を裏切ることになる』と言われ、堪えきれなくなって小沢氏の関与を認めた」
だが、こんなやりとりは隠し録音には一切ない。田代検事は法廷で「記憶の混同 」と釈明したが、大善裁判長はそれを「信用できない」と一蹴した。
さらに大善裁判長は、特捜部の副部長が石川議員の目の前で取り調べメモを破ったり、別件で石川議員の政策秘書を厳しく取り調べたことなどを指摘。複数の検察官による組織的な圧力により石川議員が小沢氏の関与を認める調書に署名させられた疑いがあると述べている。
つまり大善決定は登石決定より1歩も2歩も踏み込み、田代検事の“偽証”まで問題視しているのだ。となると4月に予定される判決は無罪しかないだろう。私は登石判決のような悪夢はもう見たくない。失われた司法への信頼を取り戻すため、証拠に基づくまともな判決が言い渡されるのを心から願う。(了)
(編集者注・これは週刊現代「ジャーナリストの目」の再録です)