読み物サブサハラの春はまだ

▼バックナンバー 一覧 2012 年 2 月 15 日 大瀬 二郎

2006年7月、コンゴ東部のイトゥーリ州のブニャで選挙運動をしていたカビラの到着を待っている群集。
撮影・大瀬二郎

編集部より:2010年末から2011年にかけて、北アフリカのチュニジアやエジプトで、民主化を求めるデモ激しい抗議活動が繰り広げられ、時の政権が崩壊した。民主化を求めるエネルギーは、他のアラブ諸国にも波及し、シリアでは現在も混乱が続いている。

そのうねりはアラブ社会を超え、サハラ砂漠の南「サブ・サハラ・アフリカ」と呼ばれる国々の民衆にも波及するのだろうか。豊かな地下資源ゆえに紛争が絶えないコンゴを中心に、民衆や権力者の息遣いから民主化の萌芽を探ろうとする、フォトジャーナリストの大瀬二郎さんのレポートを掲載します。

選挙と民主化

「カビラはコンゴに平和をもたらす人だ! ドン、パラパラパラ、ドン、ドン!」。太鼓のビートに合わせて、ジョセフ・カビラの到着を待っている応援団が青空に向かって叫び続ける。1時間、2時間と時間が流れるが、大統領候補者の到着の気配は全くない。カビラの顔写真がプリントされたTシャツと黄色い帽子をかぶったやる気満々だった応援団は、じりじり皮膚を焼く天日の下、しおれた花のように頭を垂れ始める。

突然、兵隊があわただしく駆け足で集合する。私服姿の男が、整列した兵隊からライフルを取り上げ、実弾が装填されていないことを一丁ずつ確かめる。2001年に前大統領だったカビラの父親ローランはボディーガードに暗殺された。父親と同じ運命をたどらないよう、細心の警戒を払っているわけだ。

再び賑やかな音楽が流れ始め、元気を取り戻した応援団がカビラのテーマソングを歌い出す。数分後に白い無地の小型ジェット機がブニャ空港に着陸。ジョセフ・カビラが頭をかがめてドアから姿を表し、ゆっくりと階段を下りながら歓迎団に手を振る姿は、すでに大統領になったかのような振る舞いだ。2006年7月始めのことだった。

 コンゴ民主共和国では、ベルギーからの独立後、初の選挙以来、46年ぶりの大統領・総選挙が数週間後に行われることが予定されていた。カビラはその選挙運動のためにブニャに来ていた。長年続く紛争と汚職によって、コンゴ政府の予算は空っぽ同然だ。総額5億ドルの選挙費用のほとんどは、国連、NGOや支援国が負担することになる(日本政府からは757万ドル)。その準備自体も、歴史的なスケールのもの。投票箱を見たことがないほとんどのコンゴ国民に、民主主義、選挙の仕組み、そして投票の仕方を説明するために、30万人の選挙役員が雇われた。国土の殆どがジャングルに覆われ、舗装道路が500キロほどしかない大国に、国連の飛行機、四輪駆動車、自転車、丸木舟などを使って、合計5万ヶ所に登録・投票設備の配布が始まっていた。

立候補者リストは、西ヨーロッパの面積に等しい国土に比例して膨大なものとなった。大統領候補者は33人、定員500人の国会議員には、218の政党を代表する9632人が立候補していた。投票用紙は、新聞紙の見開きページほどの大きさ。識字率がわずか67%のため、候補者の顔写真と政党のシンボルも印刷されていた。だが大統領候補者33人の中で、当選の可能性があったのは、2003年に和平条約が調印されてできた暫定政府の大統領ジョセフ・カビラと、副大統領のジョン・ピエール・ベンバの2人だった。

コンゴは、スワヒリ語を話す東部とリンガラ語を話す西部に大まかに分けられる。スワヒリ語を話すカビラは、選挙ではコンゴの東半分を掌握すると予想されていた。

対抗馬のベンバはリンガラ語を話す西部出身。裕福なビジネスマンの息子として生まれ、テレビ、ラジオ局を所有し、キンシャサを中心とする西部では、カリスマ的な支持を集めていた。90年代末から勃発したコンゴ紛争中に、ウガンダが後押しをした反政府武装グループMLCを率い、カビラの父のローラン政権を打倒寸前に追い込んだ有力な指導者でもある。ベンバの支持者達は、カビラはタンザニアで生まれ、ルアンダ人の母親に育てられた外国人だと批判していた。

選挙前にコンゴの奥地に数回足を伸ばした。通り過ぎる村ごとに、違った政党の旗が掲げられているのを目にする。政党の代表者が村落を訪れ、村長に現金、政党の旗とTシャツを配って回る。この、一村ごとに買収する選挙活動は、個々人がそれぞれの考えで投票するというよりも、部族ごとに構成された村々とその連合体が特定の人物に投票する形になっていた。そのため、選挙によって村落、地区、州、そして東部と西部がカビラ派とベンバ派に色分けされ、選挙後にコンゴが分裂し、大規模な紛争が再開されることが懸念されていた。

投票日が近づくにつれ、キンシャサのありとあらゆる壁、高架橋、電信柱に、大小様々、色とりどりのポスターの花が一面に咲き乱れる。四季のない熱帯気候のキンシャサに春が訪れたかのような光景だ。ポスターの枚数とその大きさに、候補者の経済力や政治的影響力が反映されている。キンシャサの目抜き通りには、カビラの巨大なポスターが横一列に貼り出され、その合間にサイズが小さめのベンバのポスターが仲間入りをしている。カビラは、暫定政府の大統領として資金を蓄え、政治的影響力も他の候補者より大きいことから、当選が予想されていた。膨大な資金を供給してきた支援国も、カビラの当選を期待していた。しかしその一方で、対抗馬のベンバが選挙結果を認めず、選挙後に食いはぐれることになる他3人の副大統領を交えた紛争が勃発することを懸念していた(終戦条約が結ばれたあと、主な武装グループのリーダーが副大統領となる)。なかでも、総選挙実施において最大の難関が、コンゴ東部で跳梁跋扈している、総勢2万人ほどの武装グループの解体だった。そのセンター・ステージが、カビラが到着したブニャだ。

ブニャの目抜き通りを、群衆に手をふりながらカビラが歩く。暫定政府の現大統領であり、将来の大統領を約束されたカビラを一目見ようと、両サイドに立ち並ぶ建物の窓、バルコニーや屋上から溢れ出すように、数え切れない人達が汗だくでひしめきあっている。コンゴ東部におけるカビラへの圧倒的支持をまざまざと見せつける光景だ(幸いにも、バルコニーや屋根が崩れ落ちたニュースは聞かなかった)。カビラがステージに上って、スワヒリ語で呼びかけると、群衆の海からワァーと歓声が上がる。ロックのコンサートさながらの熱気に陶酔しながら、カメラを観衆とカビラに交互に向けて、シャッターを切り続ける。

カビラの後を追って、2日後に対抗馬のジョン・ピエール・ベンバがブニャを訪れる。スリーピースのスーツに散弾銃をぶら下げたボディーガードに囲まれたベンバは、大統領候補というよりは、マフィアのドンといった雰囲気を漂わせている。スワヒリ語が話せず、フランス語でのベンバの演説を聞いている観衆はクールだった。噂によると、彼は金をばらまいて、演説を聞きに出てくるように人々に呼びかけたとのこと。ブニャでの待遇が悪いことは、もとから分かっていたのだろう。短い演説を終えると、選挙前1週間の追い込みのために、ベンバはさっさと本拠地のキンシャサに飛んで帰った。

固定ページ: 1 2 3 4 5 6 7