読み物特捜ストーリーを打ち破った弁護士の力
司法の世界ではつとに知られた話だが、弘中惇一郎さんは日本で最も腕の立つ弁護士である。ロス疑惑の三浦和義さんや薬害エイズ事件の安部英・帝京大学元副学長の無罪判決を勝ち取ったのも弘中さんだった。
その弘中さんが昨年、弁護を引き受けたのが厚労省の村木厚子元局長の事件だ。村木元局長は郵便制度悪用に絡む証明書の偽造事件で起訴されたが、先月末、大阪地裁が彼女の直接的関与を示す検事調書をすべて証拠採用しないことに決めた。
残る証拠は彼女の無実を示す法廷証言ばかりだから、9月に言い渡される判決は無罪しかない。弘中さんはまた一つ、日本の裁判史に残る仕事を成し遂げたと言っていいだろう。
村木裁判の経過を振り返ってみると「無罪請負人」といわれる弘中さんの弁護の秘密がよくわかる。それは事実にものを言わせ、検察側が組み立てたストーリーの矛盾を暴くことだ。
検察側が描いた事件の構図は、自称障害者団体「凛の会」の倉沢邦夫元会長の依頼で民主党の石井一議員が厚労省に口添え→村木元局長の指示で上村勉元係長が証明書偽造→村木元局長が倉沢元会長に証明書を手渡したというものだった。
この構図は弁護側の立証でことごとく覆されていった。たとえば村木元局長が上村元係長に証明書の偽造を指示したとされる日時の問題を見てみよう。
検察側は04年6月上旬としていたが、弘中さんらが偽造に使われたフロッピーを調べた結果、保存日が6月1日午前1時すぎだったことが分かった。
となると、村木元局長は遅くとも5月31日夜までに指示していなければならない。「6月上旬に指示」という検察側主張はあっけなく崩れ去った。
民主党の石井一議員の証人尋問でも同様のことが起きた。石井議員は04年2月25日に議員会館で倉沢元会長から厚労省への口添えを頼まれたと検察側は主張していた。ところが石井議員は法廷で全面否定、自分の手帳の記録を示し「その日は夕方まで成田で同僚議員らとゴルフをしていた」と証言した。
この証言はゴルフ場側の記録でも裏付けられ、2月25日の面談はなかったことが判明した。石井議員の手帳に着目した弁護側の金星である。
弘中さんは同じ手法で検察側の拠り所だった倉沢元会長の供述の信用性を突き崩すのにも成功した。倉沢元会長は「窓側の通路を通って村木企画課長(当時)席に行き、課長席の真正面に立って村木課長から証明書をもらった」と供述していた。
これに対し弘中さんらは04年当時の企画課の配席図を再現。窓側の通路はキャビネットで塞がれていて通れなかったことや、課長の机の前には衝立があって真正面に立つスペースがなかったことを明らかにした。
フロッピーと手帳と配席図―どれも動かしようのない事実である。そこに目をつけ、捜査の欠陥を浮き彫りにした弘中さんの腕の冴えは尋常ではない。
弘中さんだけでなく、上村元係長の弁護人・鈴木一郎さん(大阪弁護士会)も村木元局長の無実の罪を晴らすうえで重要な役割を演じた。鈴木さんは逮捕直後の元係長に「被疑者ノート」を差し入れ、それに取り調べ状況を記すようアドバイスした。
このノートに元係長は「私の記憶にないことを作文されている。こういう作文こそ偽造ではないか。冤罪はこうして始まるのかな」などと書いていた。
こうした記述が決め手になり、裁判所は元係長が検事の誘導で村木元局長の指示を認める調書に署名したと認定した。もし「被疑者ノート」がなかったら、裁判所はこれほど明解な判断を下せなかっただろう。
日本の裁判は法廷証言より検事調書を重視する傾向が極めて強く、形骸化しているとすら言われていた。そうした裁判の現状を優れた弁護士たちの熱意と努力が打ち破った。その意義は計り知れないほど大きい。
(これは週刊現代『ジャーナリストの目』の再録です)