松林要樹さんインタビュードキュメンタリー映画『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』監督
イヌになんねぇと……
ある日、松林さんは、江井地区の様子を確かめに地元に戻る田中さんに同行した。津波被害から免れた家を一軒一軒見回る途中で案内されたのが、粂さんの家だった。
「舞台みたいな家の、居間の炬燵に粂さんと奥さんが座っていました。避難せずに電気もガスも水も通っていない家で暮らしていたんですね。奥さんの足が不自由で、避難所のほうがかえって不便だと言うんです」
放射能は恐ろしくないかと問うと「怖くない」と即答する粂さん。それよりも困っているのは、大好きな酒が残り少なくなっていることだと言う。
「一升瓶を愛おしそうに撫でながら。それが焼酎の『さつま白波』なんですよ。福島と鹿児島(薩摩)との歴史を思うと、何ともいえない感覚にとらわれました」
やがて松林さんは、かつて、粂さんが福島第一原発で安全管理の仕事に従事していたことを知る。
「粂さんの『イヌになんねぇとダメなんだ』という言葉が印象的でした」
もともと粂さんが専業農家で転職を繰り返したこと、粂さんの妻は、南相馬一帯の海岸で製塩が盛んだった頃、塩を担いで東京まで売りに行っていたことなど、土地にまつわる記憶が掘り起こされてゆく。
「4月上旬は、記者クラブに所属する(テレビや新聞など組織メディアの)記者はこのあたりにほとんど来ていませんでした。だから、僕はここの様子をちゃんと伝えなければならないという思いもありました」
4月21日、原発事故が深刻さを増し、原発から20㎞圏内の警戒区域にある江井地区への立ち入りが法的に禁止された。