松林要樹さんインタビュードキュメンタリー映画『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』監督

▼バックナンバー 一覧 2012 年 5 月 11 日 松林 要樹

奪われた土地の記憶の上に

 

 方言とは別の意味で、その意図をすぐに理解しづらいのが、映画の中で松林さんが撮った現在の風景と同じ場所を写した昔の写真とが、オーバーラップするいくつかのシーン。

「後で、それらのオーバーラップの意味がわかるように構成してはいますが、江井の土地や人との間に、切っても切れないくらいに連続していることがある一方で、同じ場所でもその意味が昔と全く変わってしまったところもあります。モノクロ写真からカラー写真に切り替わる境目、馬の姿が田畑から消えてゆく時期。福島第一原発の一号機が稼働し始めた1971年……。映画のサブタイトルの『奪われた土地の記憶』は、単に原発事故によって奪われたことだけを示しているのではありません。原発事故の前から、そして事故の後も、ずっと奪われ続けているんですよ、何かを」

 ただ、映画は、誰が何を奪ったのかを明確に語りはしない。

「編集段階で、もっとシーンをカットしたら、問題意識が明確になった部分もあるでしょう。映画を観てくれた人の何人かは、同じシーンを指して、カットしてもよかったのではないかと言ってくれました。指摘のあったシーンの扱いについては僕自身迷いましたが、残すことにしました。映画を観た人が、そのシーンに違和感を覚えてほしいから。そして、その違和感の正体は何かを考えてほしいから」

映画は静かに語る。「奪われた」記憶の積み重ねの上に始まった、避難所や仮設住宅での暮らしもまた、日常だということを。

追記

タイトル『相馬看花』の由来について

「僕は、2004年にイラクでの取材中に亡くなった橋田信介さんに私淑していました。橋田さんが好きだった言葉が、『走馬看花』なんです。本来は、走っている馬の上からは、本質的なものを見落としてしまうという意味ですが、橋田さんは、走っている馬の上からでも、花という大事なものは見落とさないと解釈していました。何か事が起きたら、馬に乗ってでもいち早く駆けつけるということも言いたかったのではないかと思います。そこで、『走馬』を、取材した場所である『相馬』に置き換え、この映画のタイトルを『相馬看花』としました」

 

第二部について

「南相馬は、相馬野馬追で有名なところですが、この地区で飼われていた馬も震災で北海道の日高の牧場に避難しました。日高地方は競走馬の飼育が盛んなところですが、不景気で倒産に追い込まれた牧場も多く、日高町が失業対策の意味もあって、閉鎖した牧場を利用して相馬の馬の飼育を引き受けてくれました。いま、馬は相馬に戻りつつありますが、馬は非常にデリケートな動物です。環境の変化が馬にどんな影響をもたらしたのか。第二部では、相馬の馬を追っています」

 

『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』は、海外の映画祭などで高い評価を受け、5月19日から、福岡・KBCシネマで先行上映される。5月26日から、オーディトリウム渋谷でロードショー。以後、全国の劇場で順次公開予定。ホームページhttp://somakanka.com

 

松林要樹 まつばやし・ようじゅ

1979年福岡県生まれ。福岡大学中退後、経文みたいなものを求めて天竺めがけて一人旅。日本映画学校 (現・日本映画大学)に入学し、原一男、安岡卓治が担任するゼミに参加。卒業後、東京の三畳一間とバンコクの安宿を拠点にアジア各地の映像取材をして糊口をしのぐ。2009年に戦後、タイ、ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追ったドキュメンタリー映画『花と兵隊』を発表。第一回田原総一朗ノンフィクション奨励賞を受賞。2011年、森達也、綿井健陽、安岡卓治とともにドキュメンタリー映画『311』を共同監督。著書に「ぼくと『未帰還兵』との2年8カ月」(同時代社)、共著に「311を撮る」(岩波書店)。

 

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