月刊日本保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?(2)
■「太田氏という人は分裂症なのだろうか」―「太田良博―曽野綾子論争」を読む。
曽野綾子が「沖縄タイムス」紙上で(1985年4月連載 )、「鉄の暴風」の執筆者の一人である太田良博と、「沖縄集団自決」の歴史記述の方法論をめぐって論争し、論理的に追い詰められた曽野綾子が、太田良博に向かって、「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と罵倒した文章がある。「太田良博―曽野綾子論争」である。繰り返すまでもなく、曽野綾子の『ある神話の背景』の最重要テーマは、大江健三郎の『沖縄ノート』批判ではなく、初めて「沖縄集団自決には軍命令があつた……」と書いた太田良博等の『鉄の暴風』への批判である。そこで曽野綾子は、太田良博等への直接取材をもとに、『鉄の暴風』の内容は、集団自決事件の生き残りでも当事者でもない、現場にいなかった、わずか二人の情報提供者(宮平栄治と山城安次郎……)から得られた「伝聞情報」を元にデッチアゲられたウソッパチ(神話)であると推論した上で、『鉄の暴風』の記述の資料的実証性を徹底的に批判し、したがって『鉄の暴風』の主張は信用できないと結論付けている。これが、保守論壇の面々が盲目的に信奉し、信頼している「軍命令はなかつた」論の根拠になっている。曽野綾子はこう書いている。
≪太田氏は僅か三人のスタッフと共に全沖縄戦の状態を三ヶ月で調べ、三ヶ月で執筆したのである。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないと言う)(中略)いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった。≫(『ある神話の背景』)
ここから、曽野綾子の『ある神話の背景』によって、沖縄集団自決に「軍命令があった」という『鉄の暴風』の立論の信憑性が崩れ、「軍命令説」論争とでも呼ぶべき論争が本格的に始まったわけだが、しかし『鉄の暴風』の執筆者である太田良博によると、曽野綾子が言うほど問題はそんなに簡単な問題ではないらしい。『ある神話の背景』を執筆中の曽野綾子の取材を受けた太田良博は、取材に際して、「二人の名前」(宮平栄治と山城安次郎……)をたまたま思い出したので、気軽にそう答えただけらしい。そこから曽野綾子は「伝聞情報説」を主張し始めたわけだが、『鉄の暴風』が、その二人の伝聞情報や伝聞証言だけを元にして出来た神話だというのは、曽野綾子の思い込みと勝手な妄想に過ぎない、と太田良博は反論している。
つまり、太田良博によると、『鉄の暴風』の渡嘉敷島の集団自決の項は、新聞社の企画した「集団自決」の生き残りや目撃者達との座談会に出席した上で、彼等の体験談や目撃談を元に書き上げたもので、伝聞情報だけを元に記者たちが勝手に想像して書き上げものではない。
とすれば、曽野綾子の『鉄の暴風』批判の論拠である「伝聞情報説」は崩れることになる。曽野綾子は、さかんに自分は、現地取材と当事者への取材に基づいて書いたと言って、それを自説の信憑性の根拠にしているわけだが、『鉄の暴風』も、現地取材と当事者への取材に基づいて書いたものだとすれば、『鉄の暴風』は伝聞情報を元にしたデッチアゲで、証拠も何もない神話だ……という曽野綾子の主張は破綻することになる。太田良博は、論争の過程で、次のように曽野綾子の「伝聞情報説」を批判している。
≪住民の自決をうながした自決前日の将校会議についての『鉄の暴風』の記述を曽野氏はまったくの虚構としてしりぞけている。(中略)が、あの場面は、決して私が想像で書いたものではなく、渡嘉敷島の生き残りの証言をそのまま記録したにすぎない≫
私は、『鉄の暴風』の詳細な描写を読み、曽野綾子のように『鉄の暴風』は、伝聞情報を元にしているから信用できないと簡単に言い切れるものかどうか、疑問に思っていたが、この太田良博の『鉄の暴風』執筆時の周辺証言で疑問は氷解した。しかし秦郁彦は、「諸君!」最新号で、この論争を知ってか知らずにか、未だにこう書いている。
≪風向きが変わったのは『ある神話の背景』(一九七三年)が出現してからである。著者の曽野氏は現地調査の過程で、『鉄の暴風』の執筆者たちが現地を訪れず、村長以下の当事者に取材もせず、伝聞や風評だけで書き上げたことを突き止め、渡嘉敷については軍命説を裏づける証言は見つからなかったと結論づけた。≫(「徹底検証 沖縄集団自決と大江健三郎裁判」「諸君!」2008/2)
これこそ、保守論壇に蔓延する「曽野綾子神話」とでも呼ぶべきものだが、少なくともこの論争を見る限り、「曽野綾子神話」は根底から崩れつつあるはずだが、秦郁彦には、それも無縁の話らしい。集団自決前後の情報や証言が真実か虚偽かは別にしても、『鉄の暴風』の記述内容が、集団自決の生き残りや目撃者の証言を元にしたものであることは間違いないだろう。それを否定することは、おそらく曽野綾子でも出来ないことだろう。これに対して、曽野綾子は、『鉄の暴風』の「伝聞情報説」が根底から覆されているにもかかわらず、まともにその問題に反論しようとせず、沖縄在住のジャーナリストを「小馬鹿」にして見下しつつ、「こういう書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である。」とか、「太田氏にはジャーナリストとしては信じられないような甘さがある」とか、「素人のたわごとのようなことをいうべきではない」とか、あるいは「沖縄は閉鎖社会だ」とか、「太田氏という人は分裂症なのだろうか」とか、東京から沖縄を見下すかのように、お説教や空威張りの反論を繰り返している。さらに、「沖縄集団自決裁判」の原告側弁護士・松本藤一までもが、この論争について、無神経にも、
≪その結果、太田氏は曽野氏から分裂症なのだろうかと激しい批判を受けているが(五月三日分)、むしろ当然の批判でしょう。≫(「will」1月号)
と論評しているが、言うまでもなく、これは弁護士が言うべきことではないだろう。こういう発言こそ、名誉毀損、人権侵害に相当する言論ではないのか。あるいは沖縄蔑視、沖縄差別を内に秘めた差別的言論ではないのか。≪「騒げばカネが出る」というメンタリティーが相当広く沖縄の人たちの間に根付いてしまった……≫と断言する渡部昇一等らの侮蔑的、差別的発言とともに、曽野綾子や松本藤一等、保守論壇の面々には沖縄県人を「同
胞」として見る視点と感情が欠如しているように見える。心ある沖縄県民が密かに「独立」への志向を強める所以である。