音楽への今日的アプローチ2009動力学的音楽基礎論特講

▼バックナンバー 一覧 2009 年 4 月 16 日 伊東 乾

日本語版への序

 

怒りを歌ってくれ、女神よ、ペーレウスの子アキレウスの
破滅の怒りを。それはアカイア人に数知れぬ苦しみをもたらし、
雄雄しい勇者の魂をあまたの冥王のもとに送り、
残されたむくろはただ犬ども、あるいは
ありとあらゆる鳥どもの餌食になった。
このすべてが戦士の長たるアトレウスの子と神のごときアキレウスが
はじめにまず争い、仲たがいして以来のことだ。

(ホメーロス「イーリアス」冒頭部分)[1]

 いきなりホメーロスから話を始めたので、驚かれた読者も多いだろう。だが上の日本語の訳が、小田実の手になるものだ、と聞けば、さらに意外の感を持たれる方が居られるに違いない。
 
 「作家」あるいはまた「平和運動家」として知られた小田実(1932-2007)は、どちらかというと社会運動家のイメージが強いのではないかと思う。開高健らと組織した「べ平連」の運動など、つねに市民の立場にたち、また冷戦期からマルクス主義への疑義を隠さず「ノンセクト・ラジカル」として行動し続けてきた小田は、奥ゆかしい「古代ギリシャ文学」とはかけ離れて見えるかもしれない。だが末期のガンと宣告された小田が、残された最後の時間とエネルギーを傾注したのは、ホメロスの翻訳だった。

 私は今病床に伏している。手術不能の末期ガンなので、英語で言うなら、《His days are numbered》の状態にいる。これが最後の病臥だ・・・
 ・・・来年春の完了をめざしてギリシア語から訳して来ていた(Oxford Classical Texts
による)ホメーロスの「イーリアス」の第一巻Aを、完訳はまちがいなくかなわないので、「すばる」に掲載させていただくことにした。学者の訳とは違った文学者の訳も意味があると考えるので。

(小田実 「『河』の読者へ」)[2]

 テレビにも頻繁に登場した「作家」小田は、ベストセラーとなった「何でもみてやろう」(1968)のように社会派の評論家、エッセイスト、あるいはノンフィクションの書き手として社会的には受け入れられたように思う。この点で小田の人生行路は、べ平連の仲間である開高健が大江健三郎と拮抗する純文学作家として出発したのとは好対照をなしている。だが人生最後の仕事にホメーロスの翻訳を選んだことは、小田の原点を考えると大いに頷けるように思うのだ。

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