音楽への今日的アプローチ2009動力学的音楽基礎論特講

▼バックナンバー 一覧 2009 年 4 月 16 日 伊東 乾

 2年先輩にあたる開高と同様、大阪に生まれて旧制天王寺中学に学んだ小田は、学制改革後の新制東京大学に進学、文学部言語学科を卒業した。1945年8月15日を思春期の13歳で迎えた小田は、典型的な「教科書墨塗り世代」として、60年安保闘争期から平和運動に身を投じる。
 
 だが彼の発言の節々には、ホメーロス以来の幅広い古典古代教養に裏打ちされた、余人には容易にまねの出来ない見識の片鱗が見て取れる。例えば「マルクス主義に於ける党組織論は、カトリックに似ている」という小田の言葉を、キリスト教教養と完全に無縁な戦後の左翼系知識人は、彼の生前どのようにも理解することがなかっただろう。20世紀後半という時代は、彼にとってある意味では早すぎ、ある意味では遅すぎたのかもしれない。
 
 さきほど、実はわざと『奥ゆかしい「古代ギリシャ文学」』と書いてみた。それは21世紀の多くの読者にとって、ホメーロスという詩人の名も、その仕事の内容も、縁遠いものになっているだろうという先入観に基づくものだ。だが実際に小田の訳をつぶさに見、ここに細かくは記さないこの叙事詩がトロイ戦争の悲劇と英雄アキレウスの栄光と滅亡を描いた、戦争と共同体の倫理をめぐるものだと知るとき、読者の目には一大巨編「イーリアス」は、まさに小田の人生そのものとはっきりと重なって見えてくるに違いない。

・・・こう彼が祈り、言ったのをポイポス・アポロンは聞き、
オリュンポスの頂きから、心底から怒って、降りてきた。
彼が肩にしたのは、弓と両端を閉じた矢筒
怒り狂う肩の上、矢が激しく音を立てた。
からだの動きに従って、夜のように彼は動き
軍船の列から離れて陣取って、列のまっただなかに矢を射放った。
銀の弓から、すさまじい音がひびきわたる。
(50)矢がまず襲ったのは騾馬ども、次いで足速い犬ども、
さらには、兵士ども、彼らを狙って、切っ先鋭い矢は
飛んだ。あと屍を焼く火は切れ目なく分厚く層をなして燃えあがる。

(小田実 訳「イーリアス」第一巻、第42-52行)[3]

 小田は訳の冒頭に、以下のように記している。

 元来、古代ギリシアにおける「イーリアス」の詩は「ホメーロス語り」がリズムをつけて詠むことで語り継がれてきた。ギリシャ古典詩は行数がついている。その形式は詩の行間にふくまれているキーワードを次にくる行に「行数」と合わせて示すことでリズムをつける。ギリシャ古典詩において行数は大切だ。私の「イーリアス」は、散文訳ではなく原文にできるだけ忠実に再現しようとした詩の訳である。[4]

 社会からは市民派ドキュメンタリー作家と思われ、事実そのように行動もし続けてきた小田が、生きて残された日数が数えられるようになったとき最後の病床で綴ったのは、散文でもノンフィクションでも、小説ですらない、リズムと行数を厳密に区切られた「詩の言葉」だったのだ。
 
 ではこの、小田が書き残した「リズムをつけて詠む」元来のイーリアスとは、どのようなものだったのか?

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