日本伝統音楽論行脚魚の目版「笑う親鸞」 

▼バックナンバー 一覧 2009 年 4 月 16 日 伊東 乾

「そろそろお時間です」と呼び声がかかり、本堂に戻ってくると、びっしりと詰まった座席の真ん中の、私の座っていた席がない。正確には、一抱えほどもある、誰かの荷物が置かれていて、座る場所がないのだ。佐々木さんはもう登壇しようとしている。

「あの、これはどなたの・・・」

 と隣の人に尋ねると

「これはお弁当とおみやげです。どうぞ」

 と言われて驚いた。良く見るとみんな足元に同じ包みを置いている。
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 うまく言葉にならない感情が沸いてきた。こんな、どこの馬の骨とも分からない者が関東から予定外に尋ねて来たのに、大きなお土産の包みと、良く見るとお弁当も出来合いではなく手作りだ。飾る風でもない、普通のお菓子と紙パックの飲み物なども入っている。こういう人情が、いまの日本の生活では大変足りない気がしてならない。これがヨーロッパだと、21世紀に入っても一貫して「田舎」であり続けている。教会では奥さんたちが手作りのクッキーやらケーキやらを持ち寄るのが普通だ。日本の都市は、世界のどこよりも都会として冷たく完成されているような印象がある。すべて金で買うことは出来る。逆に金銭で買えないもの、ミネラルのような微小栄養素、人間が生きてゆく上でとても大切な、ほんのちょっとの成分が、とても欠乏しているように思うのだ。

 佐々木さんのお説教の後半は、娘に先立たれた親御さんの手記を紹介する、実話に基づいた「人情噺」だった。昔はここで「因縁噺」をやった。「親の因果が子に報い・・・」といった因果因縁、あるいは地獄極楽の因果応報が語られた。前世の報いで現世はこのようなことに・・・といった、差別的な内容が多い。第二次世界大戦後、こうした内容は日本国憲法に反する「差別説教」として、厳しく排除されるようになった。このこと自体は価値のある取り組みと思う。いまだ草の根に残る差別を、宗教の観点から克服する貴重なチャレンジだ。だがこれと同時に、語りに節をつける「節談説教」も「浪花節・ちょんがれまがいの前近代的な布教法」として異端の宣告を受けてしまった。かつては一世を風靡した「節談」だったが、受け継ぐものは殆んどなくなり、お寺の説教は「現代法話」に取って代わった。パーリ語の古代インド仏典などを参照する法話は、私個人には興味深いものが多い。だが庶民の暮らしの中で、笑いや涙を持って確かに受けとめられてきた、お寺の和尚さんの楽しいお話は姿を消してしまった。

 山寺の和尚さんだって、たまには鞠をつきたいと思ったりする、遊び心ある人間性をコミュニティーの皆んなが共有していた。だが鞠がない。
 そこでネコを一貫目ほども入る大ブクロに押し込んで、ポンと蹴りゃニャンと鳴くという・・・これは、いまで考えれば動物虐待だということになる。

 さらに、ポポンのポンと蹴りゃニャニャのニャン、などというのは、虐待を面白がっているのだから更にトンでもない、けしからんということになる。こんな歌でも今日日は、放送「禁止」ならぬ『子供に聞かせるべきではない』残酷な「放送自粛童謡」の中に入っているはずだ。たまたま30台の始めまでテレビ放送に関わっていたので、こういうことはよく分かる。

 だが、あれもこれも「有害」「禁止」と囲い込んで、単に子供を「無菌状態」に置くのがよいとは絶対に思わない。暴力だって差別だって、人間が元来持っているもの、内側から湧き出てくるのが普通のものだ。細菌やウイルス性の病気にはワクチンの予防接種で対策が行われる。

 かつて、お寺の和尚さんがしてくれた「怖い話」の一部は、「ワクチン」と同様、喜怒哀楽、あるいは暴力などを含む人間の情動の豊かなパレット全体を見渡して、ナニはすべきか、ナニはすべきでないかを教えていたように思うのだ。21世紀の日常生活を見渡せば、一方で放送は禁止や自粛が多く、中途半端に漂白された無内容なバラエティに流れがちだ。他方、学校教育は事なかれ主義に走って、教育としての実効性がなくなっている。いじめにも等しい体罰には反対せざるを得ない。だが親からも音楽教師からもさんざん叩かれて育った私には、とりわけ幼児に、手や尻も叩かないで一体何を教えられるのかさっぱり分からない。言葉の暴力も同じだ。それは人を刃物以上に傷つける。だが同時に、そうした痛みも知りながら、私たちは深い言語の体験をしてきたのではないか。本質を直視して、濫用を厳密に戒めながら、確かに学び、知ってゆくべき対象ではないのか。

 佐々木さんの人情噺は以下のような大筋のものだった。

 息子に先立たれ、家庭内が荒れ果ててしまった家族は、ふとした切っ掛けで目にした、似たような境遇の親の「川柳」を知って、電気に打たれたようなショックを受けたという。

「仮に来て 教えて帰る 娘は知識かな」

 娘に先立たれ、悲嘆に暮れていた親が、ふと目にした真宗の教えから「仮にこの世にやってきて、私たちに人生のなんたるかを教えて、先に帰っていった娘こそ、私たちに本当の智慧を教えてくれた善知識=師僧だったのだろう、という歌に触れて、涙を流して心の何かが変化するのに打ち震える。前半の笑いのあと、佐々木さんの説教は本当に力強く、聴き手の魂に直接訴えかけてくる。

 佐々木さんのお話は精神の痒いところ手が届くのだ。同じ内容をテレビは決して流さないだろう。放送禁止用語が出てくる、とかではない。「オーラ」がどうした、などと言って法外な利益をあげるあくどいビジネスでもない。視聴率がドッと取れるわけでもない。現在の放送業界が無難に回避しそうな、人間の大切なところ。それを正面から引き受けて、ホンネで語り、聴き手の笑いと涙に訴えて、真宗の本義を確かに布教している。

 喜怒哀楽、すべての人間の感情を、あるがままでよい、そのまんまで良いから、やってこい、受け止めてやろうという阿弥陀さんがいる、と真宗は教える。

 佐々木さんは隣の阿弥陀如来をさして「このおじさん」と言う。聴き手は笑う。でもその身近さ、「あみださん」というこのおじさんは分かってくれる、いまいるままのお前でいい、そのままで救われているのだという、広い器量が、飾らない生活のまんまの、ホンネの言葉で語られる。これが不足しているのだよな、と思いながら聞いていると、とつぜん

「・・・どうにもならん我らのために
大悲の親が 南無阿弥陀仏となって
我らの世界に顕現くだされて・・・」

 これは能登節だ。佐々木さんのお説教は、何時しかつぶやくような節談になっていた。

「暗闇の我の心の中に
如来の光明が射し込んだ
そのような形でない
われの胸底の中で
如来光明がただいま
差し込んで下されたぞ~」

 これが、言葉が歌になり歌が言葉になる、改めて飾るでもない、「日本の話芸の源流」などと世俗で薄めるのでもない、お寺の「説教」としての素顔の節談なのか。

「おばあちゃん、いくつになる?」

 佐々木さんが一人の門徒に声をかけた。

「八十一」
「おおそうか、八十一か。良くがんばったねぇ」

 満面の笑みで佐々木さんが続ける。

「わしも七十八で、今年は七十九になるけれど、おばあちゃん、もう少しだから、死ぬまで生きてよ、なぁ」

 テレビで決して流せない、不思議な温かみのある冗談。佐々木さんのとぼけたような口調に堂内の皆ががクスリと笑う。泉州の冬の午後はゆっくりと暮れてゆく。
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編集協力 西口徹(河出書房新社)

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