読み物薬害エイズ事件の真相
読者にご一読をお勧めしたい本がある。2年前に現代人文社から刊行された『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』だ。
編著者の1人は厚労省の村木厚子元局長の主任弁護人で、血友病専門医だった安部氏の無罪判決を勝ち取ったことでも知られる弘中惇一郎氏である。
この本を読むと私たちがデタラメなマスコミ報道に騙され続けてきたことがよく分かる。そして菅直人首相が厚生相時代に薬害エイズ問題で挙げたとされる手柄が、実は人気取りのパフォーマンスにすぎなかったことがお分かりになるだろう。
本の中身を紹介する前に薬害エイズ事件の経過をおさらいしておこう。安部氏は1996年8月、東京地検特捜部に業務上過失致死容疑で逮捕された。
84年当時、帝京大付属病院第一内科長だった安部氏が非加熱血液製剤のHIV汚染を知りながら、病院内の医師に非加熱製剤投与を止めるよう指示せず、血友病患者1人をエイズで死なせたという疑いだった。
ところが、5年後に東京地裁は彼に完全無罪判決を言い渡した。理由は、彼が84年当時、非加熱製剤によるHIV感染の危険性をよく分かっていなかったということに尽きる。
84年当時、世界中の血友病専門医の誰一人として非加熱製剤によるHIV感染の危険性をはっきり認識していた者はいない。安部氏も例外ではなく、むしろ彼は血友病患者の治療のために真剣な努力をしていた。
では、なぜ彼は悪徳医師と誤解されたのか。マスコミが「エイズ問題の諸悪の根源は安部医師」という間違ったメッセージを送り続けたからである。
冒頭に挙げた本によると、安部バッシングが加熱したのは橋本政権が誕生した96年1月ごろからだ。橋本政権の厚生相になった菅直人・現首相は省内に「薬害エイズ」の調査班を設置し、ありとあらゆる情報を調査し、報告するよう命じた。
そのころエイズ訴訟原告と支援者の抗議行動が厚生省周辺で何日にもわたって行われ、菅厚相が命じた報告期限の3日前に終わる予定だった。菅厚相は集会最後の日(2月9日)に原告団を省内に招き入れ、「郡司ファイル」なるものを提示して、
「こんなものが倉庫に隠されていました。83年当時、厚生省内に非加熱製剤が危険だという認識がありました」
と言って原告団に謝罪した。自ら命じた調査報告書の完成も待たずにである。だが本当にファイルは隠されていたのか?
実は厚生省の新庁舎ができたとき、職員たちは「机の上に物を置くな。日常、使わない物は(新設の)倉庫に入れろ」と指示されていた。その倉庫から見つかったファイルの中身は雑多なメモや新聞記事だった。
メモは、課内のスタッフが議論のために書いたのを直ちに捨てるのも気が引けるので、郡司篤晃課長がファイルしておいたものだった。つまり「郡司ファイル」は隠されていたのではなく、単なる「ごみファイル」だったのである。
その中に「非加熱製剤を使用しないよう業者に対する行政指導をする」などと、新任の技官補佐が「思いついた個人的意見」を記したメモもあったが、それが課内で議論されたことは一度もなかった。まだHIVの正体が分からなかったからだ。
「郡司ファイル公表」から1週間後の2月16日、菅厚相は患者らに国の責任を認めて謝罪した。2カ月後の4月、安部氏は衆参両院に参考人招致され、7月に衆院で証人喚問を受け、8月に東京地検に逮捕された。
人気取りの政治家と、ことの本質を理解しようとしないマスコミによりエイズ問題の本質は、悲劇から事件へとねじ曲げられたのだ。それが裁判で疑問の余地なく明らかになった。
にもかかわらず菅首相はいまだに薬害エイズ問題での功績を誇らしげに語り、マスコミもそれに同調している。いったいこの国はどうなるのだろう。
(これは週刊現代「ジャーナリストの目」の再録です)(了)