特集「小沢一郎」その2 思考解剖 小沢一郎

▼バックナンバー 一覧 2009 年 12 月 21 日 魚住 昭

 一九八九年、チェコスロヴァキアで起きた政治変動はビロード革命と言われた。流血を伴わず、 ビロードのように滑らかに政治体制の民主化が行われたからである。
 ことし八月末の総選挙以来、日本で進行しつつある事態も一種のビロード革命と言って差し支えないだろう。
 民主党を軸に結集した連立与党が目指す変革は大きくいって二つある。ひとつは小泉構造改革に象徴される新自由主義(弱肉強食を是とする、むき出しの資本主義)から、社会民主主義(高度福祉国家を理想とする修正資本主義)への政治路線の転換である。
 もう一つは明治以来、実質的に国家を主導してきた中央官僚たちを意思決定過程から排除し、内閣・与党がすべての政策を決定する統治システムをつくりあげることである。
 もし政権がこの二つの目標を達成できたなら、二〇〇九年は二一世紀の日本の分岐点として歴史に刻まれることになるだろう。
 その成否のカギを握るのは民主党幹事長の小沢一郎である。小沢なくして政権交代はありえなかったし、彼の舵取りがこの国の将来を決めることもほぼ間違いない。
 しかし私たちは彼について何を知っているだろう。新聞やテレビからは肝心な情報が伝わってこない。
 私は検察庁がこだわる小沢周辺の金銭スキャンダルにはあまり関心がない。彼のやっていることが善か悪かもどうでもいい。知りたいのは、彼の思想の核心にあるものは何かということだ。
 その疑問を解く手がかりを得るため、私は小沢がこれまでに著したテクストを読み、彼の思想を読み解く力と知識を持つ二人の男を訪ねた。以下はその報告である。
 『日本改造計画』
 私がまず会いたかったのは北海道大学大学院教授の山口二郎だ。山口は当代一流の政治学者であり、民主党創立時からのブレーンである。総選挙直後に彼がウェブマガジン「魚の目」に発表した論文は政権権交代の意味を的確に捉えていた。
 それによると、四年前の総選挙で国民は「民営化と規制緩和によって政府の領域を縮小することが、官僚や族議員の既得権を奪い、公正な社会をもたらす」と期待した。だが「その後の景気回復にもかかわらず労働者の賃金はむしろ下がり続け、貧困と不平等が広がった。そして、小さな政府路線は、単に強者の貪欲を広げるだけ で、医療や労働を破壊したことが明白になった」と山口は言い、「人々は改めて私利私欲を超えた公共領域の必要性を再確認し、政府の役割を期待することで選挙での選択」をしたと分析し、こう述べた。
「いかに敵失(魚住注・自民党の失態)が大きいとはいえ、民主党が前回の大敗からわずか4年間で政権交代を成し遂げることができたのは、ひとえに小沢一郎前代表の下で、政策を転換し、選挙戦術を変えたからである。民主党は様々な主張が雑居した政党であったが、小沢は『生活第一』というスローガンの下で、自由放任を旨 とする自民党に対して、平等と再分配を追求する姿勢を明確にした。これにより、ようやく二大政党の対立構図が鮮明になった。
 また、風頼みの民主党の政治家に対して徹底的に地域を歩き、辻立ちをすることで、票を掘り起こす戦法を小沢は命じた。浮ついた構造改革の威光で当選した自民党の政治家の方がむしろ根無し草になったのに対して、民主党には地域や庶民の実感を肌で知る政治家が増えた。今回の選挙で農村地帯の保守の岩盤を打ち砕いて、民 主党が大量当選したことも、単なる僥倖ではない」
 山口と小沢の関係は、小沢が自由党党首だった二〇〇三年一月に始まる。山口は小沢側近の平野貞夫(当時・参院議員)の依頼により自由党の研修会で講演した。
 この時、山口は平野と話をして驚いた。それまで山口は、自由党はそれこそ新自由主義の政党だとばかり思っていた。なにしろ、小沢は『日本改造計画』(講談社・一九九三年刊)で米国のグランドキャニオンには転落を防ぐための柵がないという有名なたとえ話を使いながら、自己責任社会への移行を主張していたからだ。しか し、平野は自由党こそ、イギリスの「第三の道」を日本で最も早く、本格的に研究し、取り入れていると主張した。
 第三の道とは、一九九七年に誕生したブレア労働党政権のスローガンだ。第一の道である古典的福祉国家、第二の道であるサッチャリズム・小さな政府論を否定し、グローバリゼーションの時代に社会民主主義や福祉国家の可能性を追求するのが第三の道だ。
 山口が驚いたという旧自由党の変貌。そこに小沢の思想の核心を知る手がかりがあるのではないだろうか。
(これは講談社の『g2』第2号に掲載された小沢論の冒頭部分です。全体で原稿用紙60枚分ほどあります。これから来年3月にかけて順次続きを掲載していくつもりです)