松林要樹さんインタビュードキュメンタリー映画『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』監督

▼バックナンバー 一覧 2012 年 5 月 11 日 松林 要樹

聞き手:「魚の目」編集部

 

 大津波となって押し寄せた海水と泥が入り混じり、沼地のような風景が車窓に広がる。その泥沼に傾いだまま沈む家屋。

「あれ、オレの家だ」と笑いながら指差す女性。

 松林要樹さんが監督したドキュメンタリー映画『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』の1シーンだ。

「この状況でなぜ笑えるんだろうと。でも、観る人に笑いの意味を考えてほしいと思ったから、それ以上、映像で説明しようとは思いませんでした」

 福島県南相馬市原町江井(えねい)地区。2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波は、この地区の多くの家屋、田畑をのみこんだ。続く東京電力福島第一原子力発電所の事故。江井地区は福島第一原発から直線距離で約18㎞に位置する。地区住民のほとんどは、退去を余儀なくされた。

 4月3日、松林さんは撮影機材を持って、救援物資を運ぶ友人と、江井地区の住民が避難生活を送る南相馬市原町大甕の避難所を訪れた。

「そこで偶然出会ったのが、江井地区出身の市会議員、田中京子さんでした」

 その後、松林さんは、田中さんによって江井の人と土地に深く結びつけられてゆくことになる。

 映画が始まって間もなく、松林さんのカメラは、避難所で防災服の身繕いをする田中さんの姿をとらえる。その映像は鮮明なのだが、構図が今ひとつ落ち着かない。それはまだ、撮影対象との距離を測りかね、何を軸に据えるのかを手探りする松林さん自身の気持ちを代弁しているかのようだ。

「自己紹介なしに、最初からカメラを回して避難所に入っていったんです。田中京子さんを撮っているんだということをアピールしながら。田中さんが、『この人(松林さん)は、支援物資を運んできてくれた人です。本当に助かりました』と避難所の人に話してくれた後に、映画を撮っているので協力してくださいと自分のことを話したんですね。そしたら、末永さんというお爺さんが『千年に一回の村の震災だから記録をしてもらいたい。(今後)どうなるかわからないんだから』と言ってくれて。それからです。カメラを回している時に発言している人は、撮ってもいいんだなと判断して、レンズを向けるようになったのは」

 松林さんは避難所で江井地区の人たちと暮らし始めた。

「避難所の食べ物が不足していたら寝泊まりはやめようと思っていたのですが、コメや菓子パンはたくさんあったんです。消費期限を迎えた食べ物は棄てると聞いたので、いただくことにしました」

 日がたつにつれ、レンズを向ける対象が広がり、江井地区の人々との関係が深まっていった。画面の構図も安定していく。

「これは映画として成立すると思ったきっかけのひとつが、粂忠(くめただし)さんを撮影できたことです」

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