キリスト教神学中級講座 「フリッチェとの対話」第7回 神学総論7 論理学的思考

▼バックナンバー 一覧 2020 年 8 月 27 日 佐藤 優

 神学は、学術的であるとともに学術的ではない。より正確に言うと、学術の枠内にとどまっていては神学の本来的機能を果たせないということだ。神学の本来的機能とは人間を救済することだ。人間の救済と関係しない知的思弁は、神学と関係ない。これはカール・バルトやヨゼフ・ルクル・フロマートカの学術観だ。フリッチェもこの学術観を継承する。

 フリッチェは、学術観が時代によって異なることに注目する。この時代を支配する学術観を学術理念(Wissenschaftsideale)と呼ぶ。

<神学は〈学術的〉なものである、あるいは〈学術的〉である必要はない、はたまた〈学術的〉であってはならない、と判断できるような、物差しとなる〈学術性〉という統一的で一義的な概念は存在しない。神学の学術性についての問いは、近代教義学では〈神学全般〉についての問題における核心であるように、少なくとも歴史の過程において、そして各時代の異なる評価においては《多く》の学術理想が存在するということから出発する必要がある。神学に関しては、すべての学術理念と関係がある。どれ一つを取っても無関係ではなく、絶えず相互依存してもいる。これは以下に詳しく展開し、その際に6つの学術理念(1~6まで)を提示しようと思う。この点では同時にある種の歴史的順番に注意を払いながら、そしてその際に、この諸理想がおのおの神学にとって意味するものと、神学がその今日状況でそこから学び受け継ぐものを示そうと思う>(Hans-Georg Fritzsche, Lehrbuch der Dogmatik: Teil1: Prinzipienlehre Grundlagen und Wesen des christlichen Glaubens, Evangelische Verlagsanstalt Berlin. Ost-Berlin, 1982, S.28)

 フリッチェは、学術理念を6つに区分する。第1の理念は、論理学的思考だ。これは古代ギリシアに起源を持つ。

< 1.時代的に最初の現実的に思える元来の学術性は、最初の学術論としてプラトンやアリストテレスの論理学的著作(『オルガノン』)を理解し得るように、意識的な整然とした《論理学的思考》である。この学術性本来の理想は、《首尾一貫性と体系》という標語に集約される(体系というのは、思考と精神的内容から成るより大きな複合物を整然と分類する意味で)。たとえ逆説的どころか不合理に思えても(しばしば不合理が形式的には論理的に首尾一貫的であり得るように提示されるキリスト教論の論争においてのように)首尾一貫しているとの理由でその結論に驚いたり、結論に拘泥するにしても、《結論》を引き出し始めるとすぐに古代の教会史では人は学術的になる。これはアドルフ・フォン・ハルナック(*1)が教義学形成を理解したように(『教義学読本』第Ⅰ巻、テュビンゲン、第五版一九三一年、二〇頁)、「福音書を基本にしたギリシア精神である」という所与の福音の基礎的記述から結論は導き出される。これにより神学は〈学術的〉であり、この種の学術性で決定的なのは教会《外部》に対する証明であり、教会《内部》での問題を巡る取り組みではないとする初期キリスト教の護教論家によるまったく別個の学術性まで遡及する。外部に対して擁護できる前に何が擁護に値するのかを知る必要があった。それを明確に説明するために神学が始まる。たとえハルナックが自分の小論『キリスト教神学と教会ドグマの成立』(『六つの講義』ゴータ、一九二七年、五四頁)において最初の〈神学者〉としてパウロ、ヨハネであり、(ヴァレンチヌス(*2)のような)グノーシス主義者、並びにマルキオン(*3)をも名指ししていてもである(本書、一二〇頁のパウロの組織学的神学の萌芽についてを参照)>

 キリスト教はユダヤ教から発生している。キリスト教神学は、ユダヤ教的な動的神観とギリシア哲学の静止的神観(例えば、アリストテレスの第一質料(*4))が結合して形成されたものだ。神学において、ギリシア的論理が不可欠の要素となり今日に至っている。しかし、動的神を静止的概念で表現することは難しい。神の本質を誤って伝えるリスクを神学は抱えることになった。

<この〈学術的〉神学の始まりが同時に示しているのは、神学者として自分の時代の学術理想に、―― 元来は〈ギリシア精神〉に ―― 専念する場合には厳しい危険性を招来することである。教義学者が首尾一貫性を保とうとするのであれば、その〈結末〉は三世紀から五世紀までのキリスト教論争と同様のカオス状態になり得る。それが首尾一貫的であってはならないのは、聖書の命題がそこから結論(定理)が導き出され、そして最後にはある組織にまとめ上げられるべきところの公理として理解されてはならないからである。神学的命題(例えば、神が世界とその中の一切創造された)は、その(聖書の)傾向、もしくはある定められた状況と分離し得ない限りにおいては、根本的にはほとんどそれぞれが従来の命題とは別個のものである。しかしながら論理的推論の本質は、ある命題を《抜き出し》て何度も思いがけないものを導き出すことにある。見極めのつかない結論に《固守》すること、―― もしくはそれを取り消すこと ―― それは論理的思考固有のパトスであり、教義学者にとってはあり得ない要求である。この例では、神が一切を想像した場合には悪をも想像したのであり、もしくは悪は〈無〉であり、いろいろな神々が存在する必要があると〈論理的に〉推論せざるを得ないであろう。この種の帰結の行き着く先は、哲学、もしくは宗教史においては古典的な格式を得てはいるが、聖書の風潮には一致してはいない>

 ギリシア的思弁と聖書の使信が矛盾する場合、神学者は聖書の使信に従わなくてはならない。聖書の使信をギリシア的論理によって一義的に解釈することは不可能だ。そのため神学は常に不安定になる。

<神学の文章はあまりにも頻繁に行われた言い換えに過ぎないので、論理的にしっかりと掌握するのは可能ではないであろう。神学的文章命題は、―― 趨勢と連関から離れては ―― それ自体では通用せず、そのために論理学的学術理想は神学的学術性ではあり得ない。しかしこれは、教義学者にとってあらゆる不一致と矛盾が許されるということではなくて、先ほど実際に提示された不一致が世俗の学問における一致と同様に調整されて根拠づけられる必要があることを意味している。この意味で特別な論理ではなく、その規則が最初にアリストテレスによって初めて要約されたところの(ある)論理学の基本的肯定で一貫性が足りなかったに過ぎない神学の論理学について話すことができる>

 中世スコラ神学においてはアリストテレス哲学が重視された。この影響が強すぎたため、神学に動態的神を軽視する傾向が生じた。神学が哲学に吸収されてしまったのである。これが、カトリックの教権制度(ヒエラルキー)と結びついた。その結果、神学が暴力的性質を帯びることになってしまった。

<神学における首尾一貫した結論の学術的理想が直面する困難からのもう一つの打開策は、余りにも終始一貫しているので ―― 公にはまったく非聖書的に ―― もはや二の句が継げない場合には、権威主義的な教会の教導職に至上命令を言わせるという逃げ口だ。この逃げ口上は、公会議(*5)(特に三二五年のニカイア公会議)で準備され、そしてこの会議ではある種の歴史的権限を持っている。しかしながら、この逃げ口上を現実的にも、そして恒常的な制度として要求すること ―― そして法王の不可謬においてと同様に神の権利で理由づけをすること ―― は、もはや代替可能な、根拠づけ可能な〈非学術性〉ではなく、反学術性、より詳しく言えば、統一を問うことで真理の問いをすげ替えること、法律的、軍事の近縁領域のカテゴリーによる学術性の過小評価とその過度の影響である。ローマ・カトリック教会はこの宿命的な道を歩んできたし、そしてしかもローマ・カトリック教会が古代教会史で勝手気ままに働いた後での〈ギリシア精神〉を中世では一方であらゆる形式の基礎的学術性として受け継ぎ、(特にトマス・アクィナスでアリストテレスにまで遡及し)他方ではそのギリシア精神を教会教導職の軛につなげた結果でもある。この首尾一貫性の理想は、その際には体系の理想へと突き詰められた。両理想は公理―定理の理想という表現によって特徴づけけられている>

 この点について深く知るためにフリッチェは以下の文献を紹介する。

<「学術としての神学」(パウル・ヴァイザーの研究論文、ザルツブルク/ライプツィヒ、一九三八年)というカトリック理解をより詳しく特徴づけるためには、要するに、神学の学術性をそれが ―― 他の学問とちょうど同じなように ――《公理》を打ち立て(聖書の基本的記述の形で)、この《定理》(「より詳しい認識、神学的結論」)から「学術的立証で」演繹し、「あるシステムに加工する」ことの中に見ることである(ディーカンプ『カトリック教義学』第一巻、ミュンスター、第一〇・一一版一九四九年、五頁)。

「信仰学 Glaubenswissenschaft を他の学問にとって本質的に類似なものにするのは、どのような基礎から出発していても認識の論理的に秩序づけられた単なる結果である」(ヨーゼフ・エンゲルト『神学的認識論研究』レーゲンスブルク、一九二六年、一六頁、二八頁比較)。

 しかし、論理学が独自の重要性を得て、神学者の手に負えなくなる場合には何が生じるのか。この問題に触れながら批評家は抑え気味に(『カトリック神学』一九三九年、三六九頁で)書いている。すなわち、「シャルリエ(*6)は対立を現実以上に先鋭化して表現している、と我々に思わせようとしている。神学者はその職を教会空間内で実践する。もし教義から結論を引き出すのなら、たとえ最終的には教会の教育告知、教導職のみが、結論の中間概念は啓示された上位命題で(もちろん認識された)下位命題と同じことを意味し、またどの程度そうなのか、ということの保証である、と認められるべきであっても教会の教導職から離れて教えることはない」>

 硬直した強権主義的な神学においては、演繹法が多用される。

脚注)

*1【アドルフ・フォン・ハルナック】(1851-1930)

ドイツの教会史家、神学者。ベルリン大学で1889年から1921年まで教会史を講義。この時期の神学界における最も有力な指導者とされる。ハルナックの神学研究は、キリスト教の歴史的理解を厳密に行うアプローチをとり、『キリスト教の本質』『教理史教本』『古代キリスト教文学史』『マルキオン』などの著作がある。

フリッチェの論考の文脈では、『キリスト教の本質』でハルナックが〝キリスト教教理の成立を、福音がヘレニズムの世界においてその哲学思想と結びついた結果〟だとした点がポイントになる。

*2【ヴァレンチヌス】2世紀中頃

グノーシス主義者。アレキサンドロスで教育を受け、エジプト、ローマで活動。その深い学識は多くの人を惹きつけ、ヴァレンチヌス派を形成、古代キリスト教会を脅かす存在になった。

*3【マルキオン】1世紀末~2世紀中頃

小アジア・ポントス出身の異端視された聖書学者、神学者。旧約の神と新約の神、義の神と善の神を区別するなど二元的神観の立場をとった。ナザレのイエスを旧約で預言されたメシアであることを否定。キリストは洗礼に際して天から突然に下降したと主張した。

「ルカによる福音書」の抜粋とパウロ書簡の一部による福音書を作成した。

*4【アリストテレスの第一質料】

古代ギリシアの哲学者・アリストテレスは、哲学を大きく理論・実践・詩学の3つに分類した。「第一質料」は、理論哲学に属する神学が扱い、何らの形相も性質も有しない純粋質料のことをいう。神とは、全ての質量が全く実現されて可能性を残さず、自ら動かされることなく他者を動かすと規定された。その意味で、神は「静止的」だということになる。

*5【公会議】

カトリック教会において全世界の司教が参加し、教会の教義・儀式・戒律に関して審議決定する教会の最高会議。教皇が招集・主宰すると規定されている。325年のニカイア公会議は第一回の公会議。イエス・キリストは父なる神と同一本質の者であることを宣言した。

因みに、プロテスタントでは総会議あるいは大会議と称する。

*6【シャルリエ】/ジャン・ル・シャルリエ・ド・ジェルソン(1363-1429)

フランスの神学者、教会政治家。シャルリエの活動時期は西方教会分裂期(1378-1418)と重なり、パリ大学総長在任中、教会一致や教会改革で指導的役割を担った。教会の最高決定機関は公会議にあり、教皇も公会議の決定に服従すべきであると主張した。コンスタンツ公会議を開催し、教会一致に成功。同時にチェコの宗教改革者ヤン・フスの焚刑を決定した。