60年代を考える〜私の情念のその後ノート第一回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 4 月 27 日 宮崎 学

<「歌」と「旗」が眩しかった頃>

 
      〜『素描・1960年代』(川上徹 ・大窪一志 著)の書評〜

 本書は、一九六〇年代、学生運動の“メッカ”であった東京大学で、日本共産党・民青(日本民主青年同盟)の「裏」の指導者だった二人の著者・川上徹、大窪一志が当時の学生運動を徹底的に切開したものである。
 この種の本は新左翼系から出版されたものは数多いが、当時の学生運動を担ったもう一方の側である「旧左翼」すなわち日本共産党・民青の側から著されたものはほとんどない。こうしたことから本書は極めて貴重な歴史の証言でもある。
 六〇年代後半、評者は早稲田大学で著者たちと同じく日本共産党・民青に属していた。川上と大窪が闘った東大闘争と同じく、六六年には一五〇日間にわたった第一次早大闘争を経験していることもあり、本書を興味深く読んだ。
 本書の中で大窪は、六〇年代の学生運動、とりわけ学園闘争が激化していく六六年以降のキャンパスの雰囲気を次のように記している。
「このころのことについて、僕ら日共=民青系の仲間のひとりだった仲本進はこう書いている。『私の感動した最も重要な場面が二つある』が、それは『六・二〇全学ストライキであり、安田講堂前を埋め尽くした数千の圧倒的なエネルギー』であった。そして、それは、『学生(民衆)のアナーキーなエネルギーこそが歴史を動かす力であることを確信させてくれた。・・・・・ストライキを駒場で準備した前夜、当時の全左翼が肩を組んで駒場学生会館前までデモし、インターナショナルを合唱し直ちにバリケードの構築へと向かった』『全左翼の一致した行動が、色々な軋轢を含みつつも、そうしたアナーキーな民衆エネルギーを発現の重要な要因になる』のだ、と。このような駒場のストライキ、そしてそこから全学無期限ストライキにむかっていく過程は、僕にとっても実にエキサイティングな体験であった。僕も仲本のようにアモルファスでアナーキーな力に魅せられていた」
 評者も六六年一月に早大が全学ストライキに突入した時には、まったく同じ高揚感を持った。「自分の一挙手一投足が、確実に現代史を動かしている」ということを「実感」し、この運動に参加することで一身上の不利益(たとえば逮捕、退学)が起ころうとも、むしろそれは名誉なことであるとさえ考えていた。
 一方、こうした運動の内部では、われわれのいた旧左翼と、新左翼各派の激越な党派闘争もあった。しかし、旧左翼も新左翼も、この六〇年代の一〇年を境として「革命」への実感を喪失していくこととなる。
 本書で著者たちは、それを「コミュニズムが世界の青春でありえた。しかし、ラジカル化する学生党組織を日本共産党は『組織防衛』のために封殺した。ここに六〇年代、日本共産党・民青の運動は『管理された革命』へと転落、そして崩壊した」と記す。色合いこそ違え、新左翼各派も、その後は内ゲバをともないつつ、「組織防衛」第一主義へと傾斜していった。そして、この悪しき、唾棄すべき激流は、細々とではあるが新旧両左翼の悪習として生き永らえ、現在にまで至ってしまった。
 しかしながら、私はこう考える。一九六〇年代、われわれが歌った「国際学連」の歌と、ライトブルーの「全学連」旗は眩しかったと・・・・・。
                          

(週刊金曜日 2007年6月8日号掲載)

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