時系列で見る「ロシアの対ウクライナ戦争方針の転換」プーチン大統領の部分動員令を正当化する、ロシア正教会・キリル総主教の説教。

▼バックナンバー 一覧 2022 年 11 月 18 日 佐藤 優

9月7日、ウクライナのゼレンスキー大統領はビデオ演説で、ハリコフ州のロシア軍占領地域に対し、ウクライナ軍が攻勢をかけ、その一部を奪還したと述べた。ロシア軍は後退を余儀なくされ、この後退を契機に、ロシアのウクライナ戦争に対する方針が、この1カ月で大きく変化した。ところが日本のメディアが扱う、情勢分析に役立つロシア側の情報は非常に少ない。
この間の推移を筆者が作成した資料によって時系列で示し、追跡しやすくする。

ロシア側の内在的論理を探るのに不可欠な公開情報に、筆者が旧知のロシア人政治学者と意見交換した内容もあわせて紹介する。

9月25日 アレクサンドル・ネフスキー・スケート場での聖体礼儀(礼拝)の後、聖霊降臨祭第15週のキリル総主教の説教

注目点:ロシア正教会によるプーチン大統領の部分的動員令を宗教的に正当化する説教です。キリル総主教は、「教会は、もし誰かが義務感、誓いを果たす必要性に駆られて、自分の召命に忠実であり続け、軍務の遂行中に死ぬならば、その人は確かに犠牲に等しい行為を行っていると理解します。他人のために自分を犠牲にする。そして、この犠牲によって、人が犯したすべての罪が洗い流されると信じています」と述べています。この戦争が聖戦なので、そこで戦死することはキリスト教信仰のための殉教なので、罪が全て許されるという論理で、戦争への参加を奨励しています。9月21日のプーチン大統領令で、ウクライナでの「特別軍事作戦」が西側連合との戦いであることを明確にし、「ドネツク人民共和国」、「ルガンスク人民共和国」、ザパロジエ州、ヘルソン州の併合路線を宣言し、部分的動員令を命令したことを受けて、ロシア正教会が宗教的にこの戦争を支えることを宣言した説教として重要な意味を持ちます。

 2022年9月25日、至聖なる神の母の降誕の祝日から15週目、モスクワと全ロシアのキリル総主教猊下は、ペレデルキン近郊の同名の庵にある聖アレクサンドル・ネフスキー教会で聖体礼儀を行いました。聖体礼儀に続き、ロシア正教会総主教の説教が行われました。

 父と子と聖霊の御名において。

 神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されたまいました(ヨハネ3:16)。何を与えたのでしょうか? それは死です! 独り子、神の子の死です! そして、なぜこの恐ろしい神の犠牲が必要とされたのでしょうか。その規模と意味は、人間の知恵では理解できません。全能の神は、御自身を刑死するためにお与えになりました。それは、人間社会のはみ出し者である犯罪者が、確かに恐ろしい、危険な犯罪を犯したときの刑です。

 この言葉にできない神の犠牲を考えるとき、人間の知恵では神の計画の全体を把握することは困難であることを理解しなくてはなりません。しかし、主は、私たちには全く理解できないような、計り知れない知恵を持つ主だけに内在するもののために、自らを捧げ、人間的に苦しんだので、死んだことは明らかです。もし、御子である神が他者のため、人類のためにご自身の命を捧げたのであれば、犠牲は人間の同胞に対する最高の愛の表現であることを理解させてくれます。犠牲は、人間の最高の資質の最大の現れである。

 今日、多くの人々が争いの場で死んでいることを私たちは知っています。教会は、この戦争が一刻も早く終わるように、この兄弟殺しの戦争で殺し合う兄弟が一人でも少なくなるように祈っています。そして同時に教会は、もし誰かが義務感、誓いを果たす必要性に駆られて、自分の召命に忠実であり続け、軍務の遂行中に死ぬならば、その人は確かに犠牲に等しい行為を行っていると理解します。他人のために自分を犠牲にする。そして、この犠牲によって、人が犯したすべての罪が洗い流されると信じています。

 今、ロシアの広大な土地で起こっている戦争は、内戦です。だからこそ、この戦争の結果、恨みと疎外感の波が押し寄せ、兄弟関係にある民族が憎しみという越えがたい壁に隔てられてしまわないようにすることが、とても大切なのです。そして、私たちがお互いにどのように振る舞い、主に何を祈り、何を願うかによって、戦いの結果だけでなく、その結果何が起こるかが大きく左右されるのです。現在の敵対行為が神聖なロシアの統一された精神空間を破壊せず、私たちの民族を頑なにさせないことを神が認めてくださいますように。神の恵みによって、すべての傷を癒すために。神の恵みによって、今日、多くの人々に悲しみをもたらしているすべてのことが、記憶から消されるように。現在の状況に代わって、私たち兄弟姉妹の間の関係も含めて、明るく、平和で、楽しい状況になるように。

 そして、それは私たちが心に信仰を持って生きていればこそ実現できることなのです。なぜなら、信仰は恐怖を壊し、信仰は相互の許しを可能にし、信仰は人と人との関係を強化し、実際にこれらの関係を兄弟的、友好的、善良なものに変え、変化させることができるからです。そうなるように、今多くの人の魂を曇らせているものすべてが終わるように、神様、お赦しください。このような内輪の争いの中で、一人でも多くの人が殺されたり、傷つけられたりすることがないように、神様がお守りくださいますように。寡婦や孤児ができるだけ少なくなるように、家族の分裂が少なくなるように、友情と兄弟愛の崩壊が少なくなるように、神様、お守りください。

 ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、その他歴史的ロシアの広大な地域に住む人々の間で活動を行う教会は、今日、特に内戦の早期終結、正義の遂行、友愛の交わりの回復、長年にわたって蓄積され、最後には血なまぐさい紛争に至ったすべてのものの克服のために苦しみ、祈っています。私たちは、ロシアの地で輝いたすべての聖人たちが――この場合、すでに用いられている「ロシアの地で」という表現は、ロシア、全てのロシアの土地、聖なるルーシを意味します――今日、私たちとともに、この地に平和が訪れるように、兄弟関係にある人々の間に和解が生まれるように、そして何よりも、正義が勝つように、主に祈りを捧げることを信じます。正義なしには永遠の平和はあり得ないからです。

 主が私たち全員を守り、今日、私たちの地上の存在の現実である人生の困難な状況にもかかわらず、尊厳をもってキリスト教の道を歩むことができるように助けてくださいますように。今日、私たちがその名を称えた聖人たちの祈りによって、私たち全員が平和と愛と融和と純潔のうちに強められるよう、主が助けてくださいますように。

モスクワおよび全ロシアの総主教報道局
出典:モスクワ総主教庁公式HP

佐藤 優

1.ロシア正教会の最高責任者であるキリル総主教は、ロシア国民から敬愛されている宗教家だ。キリル総主教の宗教的指示はロシア正教を信じる国民に無視できない影響を与える。

2.ところで、9月21日にロシアのプーチン大統領が演説を行い、ウクライナでの「特別軍事作戦」が西側連合との戦いであることを明確にした。その上で、プーチン氏は「ドネツク人民共和国」、「ルガンスク人民共和国」、ザパロジエ州、ヘルソン州で住民投票を行い、ロシアへの編入を進める方針を宣言するとともに部分的動員令を承認したと述べた。住民投票を経て、9月30日にプーチン氏は上述4地域の代表者とロシア編入に関する条約に署名し、この条約は10月3日にロシアの国家院(下院)、4日に連邦院(上院)で批准された。

3.9月25日の「モスクワ総主教庁」公式HPに掲載されたモスクワ郊外で行われたキリル総主教の説教を分析する。

(1)まずキリル総主教は、自己犠牲の死をイエス・キリストとの類比で価値あるものと位置付ける。〈神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されたまいました(ヨハネ3:16)。何を与えたのでしょうか? それは死です! 独り子、神の子の死です! そして、なぜこの恐ろしい神の犠牲が必要とされたのでしょうか。その規模と意味は、人間の知恵では理解できません。全能の神は、御自身を刑死するためにお与えになりました。それは、人間社会のはみ出し者である犯罪者が、確かに恐ろしい、危険な犯罪を犯したときの刑です。/この言葉にできない神の犠牲を考えるとき、人間の知恵では神の計画の全体を把握することは困難であることを理解しなくてはなりません。しかし、主は、私たちには全く理解できないような、計り知れない知恵を持つ主だけに内在するもののために、自らを捧げ、人間的に苦しんだので、死んだことは明らかです。もし、御子である神が他者のため、人類のためにご自身の命を捧げたのであれば、犠牲は人間の同胞に対する最高の愛の表現であることを理解させてくれます。犠牲は、人間の最高の資質の最大の現れである〉

(2)キリル総主教はウクライナ戦争を「兄弟殺しの戦争」と位置付けた上で、戦争に参加する意義についてこう述べる。〈今日、多くの人々が争いの場で死んでいることを私たちは知っています。教会は、この戦争が一刻も早く終わるように、この兄弟殺しの戦争で殺し合う兄弟が一人でも少なくなるように祈っています。そして同時に教会は、もし誰かが義務感、誓いを果たす必要性に駆られて、自分の召命に忠実であり続け、軍務の遂行中に死ぬならば、その人は確かに犠牲に等しい行為を行っていると理解します。他人のために自分を犠牲にする。そして、この犠牲によって、人が犯したすべての罪が洗い流されると信じています〉
 要するにロシア国民がウクライナ戦争に参加し、軍務の遂行中に死亡したならば、それはイエス・キリストの犠牲のための死と質的に同じなので、戦死した者の罪はなくなる、すなわち天国に行くことが保障されると述べているのだ。過去のキリスト教史に何度か現れたが、最悪の形態の聖戦論だ。

(3)キリル総主教は、ロシア正教会の管轄権は、ロシア連邦だけでなく、ベラルーシとウクライナにも及ぶことを強調する。〈ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、その他歴史的ロシアの広大な地域に住む人々の間で活動を行う教会は、今日、特に内戦の早期終結、正義の遂行、友愛の交わりの回復、長年にわたって蓄積され、最後には血なまぐさい紛争に至ったすべてのものの克服のために苦しみ、祈っています。私たちは、ロシアの地で輝いたすべての聖人たちが――この場合、すでに用いられている「ロシアの地で」という表現は、ロシア、全てのロシアの土地、聖なるルーシを意味します――今日、私たちとともに、この地に平和が訪れるように、兄弟関係にある人々の間に和解が生まれるように、そして何よりも、正義が勝つように、主に祈りを捧げることを信じます。正義なしには永遠の平和はあり得ないからです。/主が私たち全員を守り、今日、私たちの地上の存在の現実である人生の困難な状況にもかかわらず、尊厳をもってキリスト教の道を歩むことができるように助けてくださいますように〉
 正教会はプーチン氏の戦争をイデオロギー的に正当化する機能を担っている。戦争を思想的、宗教的に鼓舞するキリル総主教の言動からは今後も目を離すことができない。