東郷和彦の世界の見方第六回 ウクライナ和平の動向(その6)
西側から発せられた「ロシアの安全保障」
ウクライナ和平をめぐる協議の焦点は、現在、サウジアラビアにおける米露ハイレベル協議に集約されてきている。本稿は、いまおきていることの前座を構成する、先週ヨーロッパで起きたことの分析である。
当座の結論をまず言っておきたい。先週欧州では、2月12日ウクライナ防衛コンタクトグループ、13日NATO国防大臣会議、14日から16日までミュンヘン安全保障会議と会議は踊った。そこから浮かんできたのは、「戦争を終わらせる」という目標をはっきりたてて全力で行動し始めたトランプと、「プーチンは悪・ゼレンスキー及びそれを支持する欧州は善」という、少なくとも過去四年間作られてきた物語を維持せずには「戦争の終結」を考えることができない欧州との間での亀裂の深さのように見える。
トランプにしてみれば、欧州の反応は残念ではあっても、それなりにやりたいことを説明した以上、時を失わずにロシアとの徹底的対話に入ろうと思うのは、極めて自然な戦略だと思う。仲裁者として和平を実現するためには、ロシアが最も難しい課題であることはほとんど自明であり、遅滞なく話し合いを始めることこそ、成否のための決定的重要要因だからである。
筆者はこれまでのすべての発信で、「この戦争は一刻も早く終わらせねばならない」と主張してきたので、いまの想定される「トランプ作戦」には全く違和感がない。それだけに、浮上した米欧対立の深刻化が、平和創造の妨げにならないように祈るのみである。
では過去一週間弱の欧州における出来事を振り返ってみたい。
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欧州説得のためアメリカ側より、バンス副大統領、ヘグセス国防長官、ルビオ国務長官、ベッセント財務長官、ケロッグ交渉担当官他大代表団がやってきた。「ミニトランプ化」した各人が、それぞれ「よかれ」と思ってした発言が、相互に矛盾した結果、必要のなかった緊張が若干生まれてしまった。しかしこれは生まれたばかりの政権の不慣れから生じたものであり、基本的には一過性の性質をもつものではないかと思う。それでも、現時点で参考になると思われる諸点をあげておきたい。
(1)アメリカからの最初の訪問大臣は、ベッセット財務長官であり、12日ゼレンスキー大統領と会談、その後両者は共同記者会見を行った。米国からパートナーシップ協定案が渡され、会談では、希少鉱物についても話し合いが行われたことが明らかにされた(UKRINFORM2月12日報道)。
(2)経済問題により、協力的なムードをもって始まった両国ハイレベル接触は、ヘグセス国防長官による12日の防衛コンタクトグループ発言で一挙に緊張した。曰く「2014年のウクライナ国境以前にもどることは現実的でない目標である」「幻想に基づく目標を追求することは、戦争を長引かせ、苦しみを増やすだけである」「NATO加盟は交渉の現実的な結果とは信じない」「いかなる(ウクライナの)安全保障にも米軍は出動しない」国防省のホームページに堂々と掲載されており、筆者には現時点でよく考えられた発信に見えた(右ホームページより筆者翻訳)。
(3)ところが2月14日の『ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)』は見出しで「バンスはプーチンをウクライナのディールに押し込むために制裁や軍事行動を使う」と題し、本文で「バンス副大統領は、13日「もしもモスクワが誠意をもって交渉に応じないなら米軍をウクライナに派遣する選択肢がテーブルの上にのっている」と述べた(筆者同紙より訳)。
しかし、「対ロシア武力攻撃を辞さず」というウクライナ寄りのこの強硬発言を、14日バンス自身、自分のSNSで「WSJ紙の報道は捻じ曲げられた」と否定投稿(日経電子版2月15日)。
さらに安全保障会議では、ウクライナ和平については「合理的な解決」が達成されることを望むと述べるにとどめ、欧州に対しては、ヘイトスピーチや誤情報の規制に関して「欧州が米国と共有する最も基本的な価値観から後退している」と批判、独国防相、EU安全保障上級代表などから激しい批判を浴びる結果となってしまった(ロイター邦字報道2月15日)。
(4)最後に2月15日、ケロッグ交渉特使がミュンヘン安保会議で発言した。彼は和平案の中身については何ものべなかったが、「交渉につくのは、2人の当事者と1人の仲介者であり」「欧州からは参加しない」と語り、一部欧州諸国の強い反発をかっている由である(朝日新聞2月16日電子版)。
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それでは、欧州側の全体的反応はどうだったか。それを最もよく体現したのは、やはり、ゼレンスキー大統領であり、内容的にはトランプにウクライナ支持を求め、手続き的には自分のいないところでロシアと交渉することを峻拒するものだった。和平妥結のために「米ロ対話」が必須となる現実を認め得ないところに、ゼレンスキー大統領の自己認識が伺える。
(1)最初のメッセージは、2月13日、ミュンヘン安全保障会議に向かう途中記者団の質問に対する「独立国家として、ウクライナ抜きの合意は一切受け入れることはできない」という表明だった(ロイター、2月14日午前)。
(2)最も重要な見解表明は、安全保障会議で2月15日14時45分から行った基調講演だった(ウクライナ大統領公式サイトに英語で全文掲載)。筆者の見るところ特に以下の主張が重要である。
▼ロシアの脅威が急速に拡大していることを強調した後「私は本当にそういう時代がきたと信じる。欧州軍を創設しなければいけない。お金は重要である。しかしこれは単に予算の問題ではない。自分たちの家庭を守ろうという人間の問題である。」
▼ウクライナは我々の参加なしに裏側でなされる取引を決して受けいれない。同じルールがヨーロッパにあてはまる。
▼数日前トランプはプーチンとの対話について自分に話した。一度も彼は、「交渉の場にヨーロッパが必要」だとは言わなかった。これは多くを物語っている。アメリカが慣例通りにヨーロッパを支持する時代は終わった。アメリカは強いヨーロッパに対してのみ保証を与える。
▼プーチンは安全の保障を与えることはできない。それは彼がうそつきであるばかりではなく、戦争を必要としているからである……プーチンは嘘つきで、予見可能であり、弱者である。
以上の発言をミュンヘン安保会議のユーチューブで直接見ることをお勧めしたい。
(3)ゼレンスキー大統領は、15日の夕刻、引き続きパネル討論「戦略的投資:ウクライナと米国の安全保障協力」に、4名のアメリカの上院議員、ブルームバーグの総合編集者とともに出席した。発言の内容は、概ね、講演内容に近かったが、筆者の印象に残ったものは以下のとおり。
▼「アメリカのベッセント財務長官から出された、レアアース購入合意提案に署名したか」と聞かれ「署名していない。合意するには慎重にやらねばならない。ここはミュンヘンです。ここで何が起きたか皆さん覚えているでしょう」(筆者注:かつてイギリス首相チェンバレンがヒットラーとミュンヘンで会談、チェコのズデーデン地方割譲を認め、その後、ヒットラーのポーランド侵攻を招き第二次世界大戦が始まったことを聴衆に想起させ、『プーチン=ヒットラー論』を連想させたと観取される)。
▼プーチンは、嘘つきであり、停戦といっても、自分は信用できない。
▼ウクライナとヨーロッパの一体性の堅持が必須であり、それを全うすれば、ヨーロッパには重要な役割がでてくる。
▼トランプが「中間者」としてではなく、我々の立場に立ち、プーチンに戦争を終わらせる役割を果たしてほしい。
このパネル討論内容は、ミュンヘン安全保障会議の公式動画で筆者が聴取したものである。こちらのリンクで直接ご覧になることを勧めたい。
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最後に14日、ゼレンスキー・バンス会談が行われた。踊る会議の中で最もランクの高い会議であった。バンスは、会談後記者団に対し、「自分は交渉者に『選択の余地』を保持させたかったが、交渉目標は『堅固で永続的な平和』である」と語った。一方ゼレンスキーは「我々はもっと話合い、仕事を共にし、どうやってプーチンを止まらせ戦争を終わらせるかの準備をしたい。私たちは平和を求めているが、真の安全の保障を必要としている」と述べた。(CNN、2月15日。バンス発言はKit Maher, ゼレンスキー発言は、Billy Stockwell and Svitlana Vlasova による。)
米欧の覚めた関係を象徴する冷たい会談のように感ぜられた。
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しかしながら、サウジアラビアの米ロ協議が始まるのにあわせて2月17日のニューヨークタイムズ紙に「ウクライナの主権と、ロシアが自らの『安全保障』を求める要求を均衡させるという、交渉の最も難しい部分についての妥協は可能」という、最近の西側論調の中で最も興味深い記事が掲載された。
特に、「ロシアはウクライナが軍事力を再建して、ロシアの支配地を再攻撃しないというロシア自身の『安全保障』を求めている」というかつてなかった視点が明示された。米ロ交渉を端緒とする話し合いが大きく進展することを心から期待したい。