東郷和彦の世界の見方第九回 ウクライナ和平の動向(その9)
プーチンの和平案を引き出せないか?
情勢はめまぐるしく動いている。本稿では、一見引き続き大きな焦点になっているアメリカとウクライナとの関係、次に、その裏返しに当たるアメリカとロシアとの関係、最後にその両者の間に挟まれて新しい立ち位置をさぐっているヨーロッパ諸国の動きを見て、以って結論に行きたい。
トランプとゼレンスキーとの関係は、3月5日に行われたトランプの大統領教書演説から始めなくてはいけない。大部分が内政関係であり、外交は僅かなスペースしか触れられていないが、トランプと言う人のやり方、今後の政策の実施のしかたについて実に興味深い演説であった。
ウクライナについては、「ゼレンスキーから直前に手紙をもらった。彼は、『恒久的平和に向けてできるだけ早期に交渉のテーブルに着く用意がある。ウクライナ人以上に平和を望んでいるものはいない。トランプ氏の強力な指導力のもとでの持続的な平和のために働く準備ができている。資源協定については、あなたの都合の良い時にいつでも署名する用意がある』と述べた」と紹介した。
一見して、ゼレンスキーがアメリカ主導の和平に全面的に歩み寄ったかの印象を与える。トランプも「彼らから和平の準備ができているという強いメッセージをもらった。素晴らしいことだと思わないか」と反応した(以上日本経済新聞電子版)。
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ただ、全てが意図表明であること、アメリカに対する謝罪はないこと、演説内容とほぼ同文らしきものが、彼のツイッターに発表されていること等により、少し様子を見なくてはいけないとトランプ及び周辺の人たちが考えたのではないかと思う。
その結果アメリカは、驚くべき迅速さで、確かに恐ろしい政策をとり始めた。ウクライナに対する武器支援とインテリジェンス情報提供を、一旦停止したのである(朝日新聞電子版3月5日22時05分)。
しかもこの決定には、アメリカと英国を含む欧州NATOとの間を割きかねない、極めてセンシティヴな点があるとの報道が、3月5日Financial Times電子版に現れた。
曰く「アメリカは同盟国に対して、対ウクライナ・インテリジェンスの共有を公式に差し止めた(block)。しかし、ウクライナ国内に発信基地をもつ同盟国の二人の役人(officials)は、関連情報をたぶん提供し続けるだろうと言った。但し、動く攻撃目標であって、時間的に早急な提供を必要とするものは、ブロックの対象から除かれる。」
そうではあっても、この同盟国の官僚が、「アメリカの言う通りには動かない」ということを、新聞にリークして安閑としている状況を、トランプ及びその周辺が見過すとは、思えない。欧州NATO諸国とトランプ・アメリカとの間が緊張していることは想像に難くない。いずれにせよ、小生の知る限り、本稿を書いている今の時点(3月9日午後12:00)、依然としてこの協力停止は続いている。
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そういう中で、朗報がでた。6日、ウィトコフ中東担当大使がホワイトハウスで記者団に対し、「来週サウジアラビアで米・ウクライナ高官協議を行う」と発表。ウクライナの資源権益の協定についても早期の使命への期待感をしめした。
ただ協議の日程については、アメリカ筋とウクライナ筋とで若干の錯綜がみられた。米ニュースサイトのアクシオスによると「協議は、3月12日リヤドで行われ、アメリカ側からは、ウィットコフ氏、ルビオ国務長官、ウォルツ安全保障担当補佐官、ウクライナ側は、イエルマーク大統領府長官他」となっていた(日本経済新聞電子版)。
ウクライナ筋としては、8日ゼレンスキー大統領のSNSで、「協議は11日」との発表があり、ウクライナ側出席者として、イエルマーク大統領府長官、シビバ外相、ウメロフ国防相他があげられた(日本経済新聞電子版他)。
両事務当局の間の連絡調整が混乱していることを示すが、とりあえずは、些事である。いずれにせよ、この話合いで、ウクライナ側の「和平に向かっての本気度」は相当に明らかになると思う。
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さて次はロシアとトランプとの関係である。最も重要なのは、3月6日、ジンバブエ外相のモスクワ来訪の後に行われた記者会見で、記者団からの質問に対し、ラブロフ外相が述べた回答である。冒頭の両外相の記者発表のあと、記者団の質問は、ウクライナ・トランプ・国際情勢等について、ラブロフ外相に集中した。
最も興味深かったのは、「ヨーロッパは平和維持部隊をウクライナに派遣することを協議している。モスクワは、依然としてこれに反対なのか。それとも譲歩の余地があるのか」という質問に対し、ラブロフが「妥協の余地は無い」と答えたうえで、受け入れがたい理由を今まで以上に明確にしている所である。
▼ マクロンとスターマーは、ゼレンスキーを連れてまもなくワシントンに行き、期間限定の停戦に合意し、その後平和条件を交渉する間、「平和維持軍」を派遣しようという考えのようである。
▼ しかし、もしもある地域に軍隊を派遣すれば、もはや目的を達成した以上、その後に(派遣についての)条件を話す必要はなくなる。
▼ トランプは、「平和維持軍」のような問題については、よく話し合い、相互の合意が必要と言っている。マクロンもスターマーもそのような話を一切言ったことはない。
▼ 我々は、「平和維持軍」がウクライナに派遣されることはNATOが派遣されることと同義であり、断固として反対であり、この問題についての受け身の観察者には絶対にならない(外務省HPから筆者訳)。
この問題は、平和構築の段階に直接絡む本質問題である。ラブロフ記者会見は、マクロンのロシア脅威論への大反発も含め、大変興味深いので、ロシア外務省による英訳ページを是非直接眺めていただければと思う。
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次に重要なのは、3月7日の11:17にトゥルース・ソーシャルに突然トランプが書いた以下のメッセージである。
「ロシアが今徹底的にウクライナ軍をたたき続けている現状に対し、停戦から最終合意が成立するまで、銀行セクターの大きな部分に対して、制裁と関税を課すことを強く検討している。ロシアとウクライナへ。手遅れになる前に、すぐに交渉のテーブルに着け!」(筆者訳)
しかし、これを補完する如く、Bloombergは、トランプ周辺は「制裁緩和の方策を検討中」「ロシア側では最終的に何を強調するかで様々な意見がある」等の報道を流している(3月5日配信)。
全体として、トランプは、早期停戦のために、ウクライナだけではなくロシアにも圧力をかけているということを、内外に示すためにも行動しているように見える。今の時点で、それ以上のコメントは不要と思う。
むしろ、3月5日、ベルリン在住のニュー・ヨーク・タイムズ特派員Anton Troianovski氏が『アメリカが悪の首謀者か?急がないで!トランプ大統領がロシアの側に立つようになって、クレムリンの宣伝はそのトーンを変えた』という大変興味深い記事を掲載した。そのさわりを紹介することで、急旋回しつつあるロシアの雰囲気を紹介しておきたい(筆者意訳)。
▼ ロシア人の物語では、殆ど一晩で、不安定の根源は、アメリカではなく、ヨーロッパということになった。
▼ 2月27日ロシア連邦保安庁という『最もあり得ない場所』で、プーチン大統領はアメリカへの高評価を行った(本連載第八回でも詳細紹介)。
▼ ペスコフ大統領報道官は『想像もできなかった。アメリカ外交は、多くの点で我々のビジョンと一致している』と述べた。
▼ ロシアテレビで「60分」という最も人気のある番組を主催するイェフゲニー・ポポフは「アメリカとの協力の話は、異常ではない。なぜなら、アメリカの会社はソ連時代でも、ソ連と商売をしていたから」と述べた。
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次にヨーロッパの動きを見ておきたい。
2月28日のゼレンスキーのホワイトハウスでの大失態の後、ヨーロッパとしての巻き返しを最初に図ったのは、スターマー英国首相である。ゼレンスキーは暖かくロンドンで迎えられ、3月2日、18の国・機関が集まり、欧州首脳会議が開催された。スターマーは、ウクライナが公正で持続可能な平和を実現するための4項目を提案。
▼ ウクライナへの軍事支援継続・対ロシア経済的圧力を強めていく。
▼ いかなる恒久平和もウクライナの主権と安全の確保が条件で、和平交渉にはウクライナが参加しなくてはならない。
▼ 和平合意が成立した際には、ウクライナの防衛力を強化、将来の侵略を抑止。
▼ ウクライナでの合意を守り、平和を保障するために『有志連合』を発展(BBC和文報道)。
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これをうけて、他のヨーロッパ主要国も急速に動いた。
▼ 4日、フォンデライアン欧州委員長は、臨時記者会見で、「欧州再軍備計画」を提案。約8000億ユーロ(約125兆円)を投入と発表(日経電子版)。
▼ 5日、マクロン大統領は、テレビ演説で、「核抑止力による欧州の同盟国防衛について議論を開始」「核使用の決定権は仏大統領」と述べた(日経電子版)。
▼ 6日ブラッセルでEU特別首脳会議が開催され、EU27カ国が上述の「欧州再軍備計画」を概ね承認(約8000億ユーロを承認)(NHK報道)。
ゼレンスキーを含むヨーロッパの顕著な動きは、
① 念頭にあるのはウクライナとヨーロッパがロシアからまた攻められないようにと言う懸念のみ。
② 根っこでは少なくともバイデン4年間の間に固着した「悪はプーチン、善はウクライナと米欧」という発想から一歩も出ていない。
③ 彼らの主張の一部は、「ヨーロッパの安全は自分たちでやれ」というトランプの主張と重なる部分がある。
④ だが、致命的に違うのは、トランプが言う、「全ての関係国が『停戦と平和第一』で動け」という思想には全くついていけていないという点である。スターマー、マクロン、フォンデライアンの誰もがそのことの危険性と、時代から取り残されていることに気が付いていないように見える。とても残念なことである。
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結論を述べたい。欧州勢の立ち遅れはあっても、「平和をもたらすことがすべてに優先する」トランプの主導力には、強いものがある。事態は少しずつ平和に向かって動いているように見える。けれども、今の時点でよく見えないのは、「停戦から恒久的平和」を求める時に、どうやったらロシアとの共同行動が見いだせるかという点である。
私は、プーチンは、トランプが出てきてこの問題に注力している今こそ、二度とウクライナの代理戦争(ちなみにルビオが初めてあっさりと「ウクライナ戦争は米ロの代理戦争」と認めた『FOXニュース』3月5日ほか)がロシアの西側国境を危機に陥れないような、恒久平和の礎をつくる千載一隅の機会と見ていると思う。
従ってプーチンの平和への取り組みは、真剣かつ真摯であると観察している。
そうであるとすれば、今がプーチンとの間で相互に受け入れ可能な案を見出す、絶好の機会ということになる。
トランプ ー ウィットコフ ー プーチンがそこをどうやってほぐせるかがこれからの事態打開の鍵になる。
一つの希望の光は、ウィトコフが、「『イスタンブール合意』は、ロシアとウクライナの平和のガイドラインになるかもしれない」と言ったという報道である(3月25日、CENSOR.NET, Olena Gulyaeva)。
関係者が、人の命と平和優先を心に刻んで、がんばっていただければと思う。