東郷和彦の世界の見方第十回 ウクライナ和平の動向(その10)
究極の和平構築へ向けて
トランプが言い出した「一カ月停戦」案をめぐって、今週は、たくさんの人が動き、更に多くの情報が飛び交った。まだ、アメリカ、ロシア、ウクライナ、ヨーロッパの立場は収斂するには程遠い。しかし、トランプ政権成立以来今日で58日、「停戦」というキーワードが一層の求心力をもってきていることは、私は、本当に歓迎すべきことだと思う。主な動きを整理してみたい。
第一幕 アメリカ・ウクライナ高官会談(サウジアラビアのジェッダ)
本連載の第9回で、3月11日にサウジアラビアのジェッダでアメリカとウクライナの高官レベルの会合がセットされたことを「朗報」として書いた。この協議は予定通り行われた。アメリカ側からは、ルビオ国務長官、ウオルツ安全保障担当補佐官、ウクライナ側からは、イエルマルク大統領府長官、シビバ外相、ウメロフ国防相他が出席した。8時間超の協議を経て合意された。
「共同声明」という文書が8時間の交渉でまとまったことは朗報に継ぐ朗報に見えた。内容的には、「ウクライナがアメリカ提案による30日即時停戦を受け入れる用意があると表明し」たのに対し、「アメリカが即座に、機密情報の共有と安全保障支援を再開する」としたことが注目された。ウクライナの方は「意図表明」なのに、アメリカはウクライナが一番求めていたものを即座に渡すことに合意したのである。
更に、各合意事項のあとに「ロシアが同意し同時実施することを条件に」という表現が入っている。「ロシアの顔を立てる」とも読めるし「同意しないときはロシアの責任になるぞ」という「恫喝」のようにも見える。しかしいずれにせよ、次に期待されるのは、米露の交渉となったのは明らかであった。
第二幕 プーチン・ウイトコフ会談(モスクワ)
早速舞台はモスクワに移った。ウイトコフ中東担当特別代表が、3月13日の朝モスクワ入りした(BBC)。ウイトコフ特別代表は、トランプ大統領と長年の親交をもち、大統領の意向を体して交渉する最適任者としてトランプ陣営の尊敬を集めていることは、今や公知の事実になっている(諸情報)。
プーチン大統領は、ウイトコフのモスクワ入りを想定して、私の見る限り、周到な準備を整えた。戦線との関係では、日増しに優勢が伝えられるクルスク戦線を3月12日に視察、ゲラシモフ参謀総長からウクライナ軍が掌握した地域の86%を奪還したとの説明をうけた(NHK報道)。戦略的拠点である「Sudzha」も奪取したとロシア側は発表(BBC)。
3月13日、この日は、ベラルーシのルカシェンコ大統領がモスクワを訪問し、1740からプーチンと首脳会談が行われた。その後19:00から約1時間弱、両国間交渉の結果についての共同記者会見が行われ、後半の冒頭くらいで、Olga Knyazeva記者から「アメリカ・ウクライナ合意」についての質問が出された。
クレムリン英文ホームページでみるプーチンの回答内容について筆者から見た主要点は以下のとおり。
▼プーチンはまず、トランプ大統領への感謝を丁寧に述べた。次いで「停戦提案には賛成である、だがそれは、根本問題を除去し、長期の平和を導くようなものでなければならない」と述べた。
▼「クルスクの戦線を視察してきたが、ロシア軍は圧倒的に優勢に闘っている。ウクライナ軍は降伏するか死ぬしか選択肢がない。一か月なりとも停戦することはウクライナに大きな利益をもたらす。でも我々は停戦に賛成である。しかしニュアンスがある。」として、クルスク戦線で停戦をした時に解決すべきいくつもの問題を列記。
「停戦となった時にウクライナ軍はどうなるのか。降伏するのか、本国に帰るのか。停戦が終わったら彼らはどうなるのか」等。
▼ついで、「ウクライナとロシアとの間には2000キロ以上の国境線があり、ロシア軍は攻め続けている。停戦となったらそれぞれが所有している武器をどうするのか。停戦の確認を誰がどういう手順でいつやるのか。停戦破りの発砲があった時にどうやってその事実を検証し、それに対応するのか。」
▼「これらすべての問題について、双方が真剣に話し合わねばならない。我々は(停戦という)概念に賛成であるが、これらの問題についてアメリカの同僚とよくはなしあわねばならない。」
筆者には、今週起きたすべての出来事で、この記者会見が一番面白かった。プーチンは、トランプとの交渉を大事にすること自体を明確にしたうえで、「一カ月停戦」といっても、検討しなければならないことがたくさんありますねということを内外に明らかにしたのだと思う。最初の反応としては、至極まともな発言に見える。
しかし、13日ゼレンスキーは自分のXに「プーチン氏はトランプ氏に戦争を続けたいとはっきり伝えるのを恐れている」と指摘した。筆者にはこの指摘は根拠不明に見える。「トランプ政権に更なる譲歩をせまっている」「多くの条件をつけ消極的姿勢を見せた」という日本の有識者の見解も、根拠が見えない(日経電子版)。
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さて、ウイトコフ特使は、13日3〜4時間プーチンと会談した。これは当然プーチンが、ルカシェンコとの共同記者会見の中で、頭をウクライナ問題に切り替えた後に行われたと判断される。そして、会談終了直後に、モスクワにある米国大使館から、トランプ氏、バンス副大統領、ワイルズ首席補佐官らに会談内容を報告した(日経電子版)。
一方、ロシアサイドでは、14日の19:40、定例の安全保障会議定期会合が行われた。普段は内容が公開されないこの会合で、プーチンの冒頭ステートメントが画像付きで紹介されるという異例の措置がとられた。
プーチンは、「米新政権は、前政権によって事実上ゼロになったものを、少しでも再開したいと全力を尽くしている。私もラブロフ外相も相手方と対話を再開した。今日はその件を議論したいのだが、その前に、アメリカ大統領から、クルスクに攻め込んだウクライナ兵の命をたすけてほしいという要請をうけた。彼らは、これまでテロリストとして対処してきたが(筆者注:捕虜になったら処刑可能)、今後は、人道的見地から、捕虜となった場合には、国際法にもとずく権利が与えられることを強調しておきたい」と述べた。
米新政権との話し合いが的確に情報共有され、実現可能なことについては即刻対処するというプーチン政権の今の方針がよく表れていると思う。
その結果、ワシントン時間3月14日10:33会談結果を受けてトランプ氏が、自分のSNSに、以下のようなご機嫌なメッセージをアップしたわけである(筆者訳)。
「昨日我々は大変良好で生産的な話し合いをプーチン氏と行った。この残虐で血塗られた戦争を終わらせる十分の可能性がある。まさに今何千名ものウクライナ兵がロシア兵に完全に囲まれている。私は、彼らの命を救うようにプーチンにたのんだのだ!」
第三幕 トランプ・プーチン電話協議(3月18日)への準備
さて事態は明らかに次のステップ、すなわち、トランプ・プーチンの電話会談へと動き始めた。
3月15日ルビオ国務長官とラブロフ外相が電話会談。
イランの支援を受けたHouthis問題、サウジアラビアでの米ロ会談(2月18日)のフォローアップがとりあげられた。
3月17日ウイトコフ特使はCNNで4分間のインタビューを行った。主要点は以下の通り。ウイトコフ特使の外交官としての人柄がよく表れている。
▼両国は2000キロの国境を持っており、そこではいろいろなことが起きる。クルスク州の問題もある。これらについてはきちんと検討しなくてはいけない。
▼プーチンとは、この戦争を終わらせなくてはいけないという基本哲学で一致している。
▼今週にはプーチン・トランプの電話での話し合いできるだろう。
▼大統領は数週間内に合意を達成したいと言っており、自分もそれを期待したい。
▼(ウクライナ領の一部をロシア領と認めるのか)それについては今話したくない。
3月18日朝7:25に、トランプ大統領は、自分のSNSに「明日の朝ウクライナ戦争についてプーチン大統領と話をする。最終合意の中でたくさんの問題が合意されたが、まだたくさん残っている。何千の若人が死に、毎週2500名の兵が死んでいる。『今これを』やめねばならない。」と投稿した。
第四幕 トランプ・プーチン電話協議の実施(3月18日)
3月18日(日本時間19日早朝)トランプ大統領とプーチン大統領は、電話で、約2時間会談を行った(CNN)。
会合の結果について、両政府は、それぞれ声明を出した。
アメリカ政府声明のうち、最重要事項(筆者選択訳)は以下の通り。
▼和平への動きはエネルギーの施設やインフラへの攻撃停止から始めることで合意。
▼黒海での停戦や完全停戦、恒久和平への技術的な交渉継続。
ロシア政府声明(ロシア語)のうち、最重要事項(筆者選択訳)は以下のとおり。
▼トランプはエネルギーインフラ施設への30日間の攻撃停止を提案。プーチンは肯定的に反応し、ロシア軍に即座に対応命令をだした。
▼黒海での艦船の安全航行に関するトランプ提案をプーチンは肯定的に評価し、詳細を詰めるための交渉を始めることに合意した。
▼上記の点を含め、ウクライナ問題の解決のための米ロ専門家会議を設置することが合意された。
▼プーチンは、3月19日にロシア・ウクライナ間で175名対175名の捕虜交換が行われ、善意の象徴として、ロシアの療養施設にいる23名の傷病者が引き渡されることを通報した。
3月19日朝3:49にトランプは自身のSNSに「プーチン大統領との会談は大変有益だった。すべてのエネルギー施設へ即座に攻撃を停止することに合意した。更に、完全な停止をするために早急に作業し、究極的には、ロシアとウクライナの間の悲惨な戦争に終止符をうつことで了解した」と述べた。
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3月18日電話協議に関する筆者の意見をのべておきたい。
① 「即刻30日の停戦」という合意にはならなかった。しかし、「即刻実施」してもよい項目として「エネルギー施設への攻撃」が明示されプーチンはその実施を開始した。ゼレンスキーは「アメリカから直接詳しい話を聞く(NHK)」と言って慎重姿勢をとっているが、明示的な反発も控えている。
② 「できることをやる」というアプローチは、すでにクルスク・ウクライナ兵への人道的配慮、捕虜交換その他の点でも、今までよりも活発に動き始めた。
③ 黒海艦隊についての検討などこれからの検討項目も明らかにされた。しかしそれらは皆段階的なものである。
④ 30日停戦の内容が段階的・限定的になればなるほど、これから、究極の和平構築のための条件の話し合いが増えていく。事態を迅速に進めたい米ロは、これから、ここに重点を移していくと思う。
最終幕:ヨーロッパの動きと究極の和平構築
しかし、上述の結論に対し、ゼレンスキーとその背後にいるヨーロッパがどう出てくるかが、筆者には不透明である。そこで、最後に、ヨーロッパの動きと、それが、「究極の和平構築」にどうかかわってくるかについて述べて、本稿の終わりとしたい。
前回の本連載で、3月上旬、スターマーによる『有志連合』案、フォンデライアンによる「欧州再軍備計画」案、マクロンによる「欧州核抑止軍」案等の案が連立し始めたことを書いた。
今週の動きでは、それらの中でスターマー英国首相の動きが一番目立った。3月15日、「独仏伊、カナダ、オーストラリアなど約20カ国の首脳がゼレンスキーと共に集まり、
① もしプーチンが無条件停戦に応じない場合は、圧力を強化して交渉のテーブルに引きこむ、
② (対ウクライナ)軍事支援を加速し、対ロシア制裁を強化し、全ての合法的手段を加速する、
③ 和平合意が成立した場合には、『有志連合』として展開し、陸海空でウクライナの安全を確保すると述べた(BBC)。
筆者は、18日の米ロの会合結果を見ても、①と②は、和平に直接的に逆行し、和平実現に必要な貴重な時間を空費するのみならず、③にいたっては、ロシアが絶対に同意しないし、強行すれば、第三次ヨーロッパ戦争を引き起こしかねない恐ろしい案に見える。
究極の和平案を、スターマーとは真逆の立場で考えているような人はいないのか、そう思っていた時に、最近一つだけ、「これだ」と思うものがあった。それを紹介することで、本稿の終わりとしたい。
Responsible Statecraft という、ワシントンで「独自少数意見」を大事にしている雑誌がある。その雑誌の最新号に、Anatol Lieven という学者で、この雑誌の編集長をしている人がいる。在カタール・ジョージタウン大学教授、ロンドン・キングス・カレッジ戦争研究学部教授などの経歴をもつ。彼が『停戦はロシアにとって悪いディールではない:ロシアはそれを追求する十分の理由がある』という論考を書いた。最重要点以下のとおり。
▼短期の停戦合意が実現する前に、長期の和平構造についての骨格なりとも関係国で合意する必要がある。
▼ヨーロッパ平和維持軍(筆者注:イギリス版『有志連合』も同じ)は、問題外。ロシアから見ればNATOと同じ。強行すれば戦争になる。
▼国連の権威の下での中立国により、平和を担保できないか。
▼具体的にはP5+ドイツ+グローバルサウスの代表国(インド又はブラジル)。
筆者の意見では、さりげなくここに「P5」という形で、「ロシア」が入っていることが最大の味噌である。このアイディアこそ、イスタンブール合意で中立問題を解決した知恵である。筆者もこの連載で何回か紹介したことがあったと思う。こういう「現実主義+国連」をかみ合わせたような案がこれからもっと強力な形で、でてこないだろうか。