東郷和彦の世界の見方第十四回 ウクライナ和平の動向(その14)
5月1日は和平の分水嶺になるか?
前回第13回の投稿は、盛沢山な事態があいついだ。1月20日以降のトランプ調停の結果として、ロシア及びウクライナ双方に対するトランプ主導の共通妥協案が作成され、4月16日から18日、パリで欧州勢を相手にその案が開示され、ロシアに対しては電話連絡でその内容が伝達されたのである。
のみならず、4月20日頃には複数のチャネルでその案がリークされた。ウクライナは直にその案に反対であることを声明し再びトランプの激怒を買い、ロシアへはプーチンとの四回目の会談を企図してウイトコフ特使が近く訪問する予定となったところで、校了した。
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さて4月25日から始まるこの第14回「ウクライナ和平の動向」の最大のポイントは、トランプ陣営がとにもかくにも両戦争当事国に懸命にぶつけた「妥協案」がすんなり両戦争国に認められず、「外務省レベル(ルビオ対ラブロフ)では、アメリカがいったん仲介の役から降りた」点にある。
「ルビオが仲介役から降りる」ことの意味は簡単には決めきれないが、一つの転換点であることは間違いが無い。どうしてそのようなことが起きたのか。それが本稿のテーマである。
第一幕
まずは、ウイトコフ特使のロシア訪問とそれを迎えうったロシア側の対応を見なければならない。会談は、4月25日モスクワのクレムリンで行われ、ロシア側からは、外交政策を担当するウシャコフ補佐官、アメリカとの交渉役を担うドミトリエフ大統領特別代表も同席した(ペスコフ報道官、NHKニュース)。
会談後ウシャコフ補佐官は、「3時間にわたる会談は『建設的』だったと評価。ロシアとウクライナの直接交渉の可能性を議論したことを明らかにした(タス通信、読売オンライン)。
さて、筆者は、この会談こそ、第13号で詳しく紹介した「トランプ和平案」についてのプーチン自身の考えが詳しく披歴されると想定したのであるが、今日に至るまで、筆者の承知する限り、何も報道されていない。この会談を報ずるロシア国内報道RTも、まさにそのような交渉の機微にかかわる報道は皆無である。
参考:ロシアRT(ロシア・トゥデイ)
なぜ何も報道されないのか。根拠のない推測を控えるべきは当然であり、これ以上の論述は控えることとし、むしろ、会談の周辺で起きたいくつかの、少し気になる事象をあげておきたい。
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第一に、4月22日、英ファイナンシャル・タイムズが、プーチン大統領は、4月11日の三回目のウイトコフ特使との対談で、「現在のウクライナとの戦闘ラインで停戦することを米側に提案、ウクライナ東・南部4州で、ウクライナが現実に支配している地域での領有権主張をしない方針を示した」と報道した(日経電子版)。
これはそれまで一般に理解されていた、2024年6月14日のロシア外務省でのプーチン演説における基本政策から明確な譲歩を示すものであり、それだけに注目される報道となったが、その後確認されていない。むしろ、ぺスコフ大統領報道官は23日「現在非常に多くの偽情報が報じられている。和解案の概要は公表できない。効力が失われるからだ」とやんわりと「肯定しない」との趣旨を述べた(朝日ニュースレター)。もしもこれが偽情報であるなら、四回目のウイトコフ・プーチン会談を控えて誰かが情報操作をしたことになるが、その目的は何であろうか。
第二に、4月24日、ウクライナ首都のキーウでロシア軍による大規模ミサイル攻撃があり、地元当局によれば少なくとも12名が死亡した。これに対し、トランプ氏は即座に、「私はキーウへのロシアの攻撃に不満だ。必要がない、タイミングが非常に悪い。ヴラディーミル、やめろ(STOP!)」と自身のSNSに投稿した(4月24日、9:24PM)
参考:トランプ氏のSNS投稿
第三に、4月25日にロイターが、ウクライナとヨーロッパ諸国の共同提案が、25日のロンドン交渉に提出された旨の大リークを、以下のとおり行った。
参考:ロイター
内容的には一方的にウクライナを利するものであることは驚くに値しない。しかし、ルビオ、ウイトコフ欠席により格落ちしたロンドン交渉への注目度をあげたように思われる。
主要な内容は、以下のとおり(選択及び日本語訳筆者による)。
停戦
① 空地海における完全かつ無条件の停戦合意。双方は、アメリカ及び欧州諸国を含め技術的な実施のための協議を即座に開始する。
② 停戦のモニターは、米国および第三国によってなされる。
③ ロシアは無条件に、不法に送致されたウクライナの子供たちを返還する。
ウクライナの安全保障
④ 同盟国間でNATO加盟についての合意が無い間、ウクライナは、米国(5条に似た合意)を含む強固な安全の保障を受ける。
⑤ ウクライナ防衛に制限なし。友好国のウクライナ国内における駐兵、武器の配備、行動に制限なし。
領土
⑥ 領土問題は、完全かつ無条件な停戦が解決したあとに討議される。
⑦ 領土交渉は統括線(Line of Control)を起点として行われる。
経済
⑧ 米・ウクライナは経済協力/鉱物合意を実施する。
⑨ ウクライナは完全に再建され賠償を受ける。ロシアがウクライナに与えた損害を賠償するまで、ロシアの主権財産は凍結される。
⑩ 2014年以降に米国によりロシアに対しかけられた制裁は、持続可能な平和が実現したあとに、段階的に緩和することが可能である(筆者注:欧州からの制裁については言及なし)。
右に関する4月25日のアレクサンダー・メルクーリの興味深い解説を添付しておく。特に、この講和条件は、第一次世界大戦の終了に際し、敗戦国の立場に置かれたドイツに対して要求した条約案と似ており、戦争を現在有利に進めているロシアに対して提示したことがどのような意味を持つのかという、問題提起が興味深かった。
参考:アレクサンダー・メルクーリの解説
第二幕
ウイトコフ特使とプーチン大統領の会合が終わった4月26日から第二幕が始まったと考えよう。
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第一に、4月26日クレムリンで、ゲラシモフ参謀長からプーチン大統領に対し、「クルスクの完全解放」が報告された。クレムリンでの報告の様子以下のとおり。
参考:ロシア大統領府HP
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第二に、同じく4月26日、鉱物協定がいつまでたっても署名されないことに対するトランプ大統領のゼレンスキー大統領に対するいら立ちが、トランプのSNSで以下のように表明された。
「ゼレンスキーによって率いられているウクライナは、米国との希少金属のディールについての協定に署名しない。少なくとも三週間も遅れている。即座に署名されることを希望する。ロシアとウクライナの間の全体的なディールはうまくいっている。未来には成功があると思う。」Apr 26, 2025, 3:32 AM
参考:トランプ氏のSNS投稿
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第三に、ここでローマ法王フランシスコ教皇が4月21日に逝去され、その葬儀が4月26日午前10時からヴァチカンで行われたことが、重要な偶然として登場する。トランプ及びゼレンスキーはこれに出席、葬儀ミサの前に15分間聖ペトロ大聖堂の中で会談した。会談内容は公式には発表されていないが、ゼレンスキーもトランプもそれぞれその機会にSNSを使って発信をした。
葬儀ミサの後ゼレンスキーは、ソーシャルメディア「X」に、「私たちは一対一で、たくさんのことを話し合った。二人で話したことのすべてについて結果が出るよう望んでいる。(中略)もし共同で成果を出せれば、これは歴史的なものになりうる、非常に早朝的な会談だった」と発信した。
他方トランプは、26日10時35分PM、極めて意味深長とも読める長文の「トゥルース・ソーシャル」を大要以下の通り発信した。
「① ニューヨーク・タイムズは、自分がどんなに立派なディールをしても決して評価しない。」
「② 記者は編集局の意向を受け入れ、ウクライナはクリミアを含め領土を奪還すべきであるとか、その他この国のおかしな要求を満たすことが、この最悪の殺し合いをやめる方法だと言っている。」
「③ どうして彼は、オバマがロシアにクリミアを盗むことを可能にしたということをはっきり言わないのか。これは居眠りバイデンの戦争であり、始まった時から負け戦であり、決して始めるべきではなかった。」
「④ これらすべてを言ったうえで、プーチンには、民間人が居住するいかなる場所をも攻撃する理由はない。彼は、もしかもしたら戦争をやめたくなく、私を見張っているだけなのかもしれない、彼に対しては、第二制裁など別途の対応が必要かもしれないと考えさせる。」
参考:トランプ氏のSNS投稿
トランプのこの長文のSNSを筋道立てを理解しようとすると訳が分からなくなるが、最後のプーチンに対する批判のトーンがかなり強いこと、かつ、これを書く直前にゼレンスキーとの15分対面会談があったことについては、熟考する必要があるように思われる。
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それでは、第四に、この間、ロシア側の見方は誰が発信したのか? これまで何回も登場してきたラブロフ外務大臣であり、しかも今回、西側(特にワシントン世論)に直接的な働きかけを行った。
ラブロフは、4月27日アメリカテレビの人気番組 Face the Nation に約44分間出演した。番組によれば、インタビューは4月24日、ウイトコフ・プーチンの会談が行われる前に録画されている。なお、本件インタビューは、放映とほぼ同時に、CBSニュースでも報道された。
参考:Face the Nation
またロシア外務省ホームページでも全文が紹介されており、同ホームページの自動翻訳を使えば、日本語で簡単に読了できる。
参考:ロシア外務省HP
インタビュー自体、プーチン・ウイトコフの第4回会談直前に録画されたものであるが、トランプ登場以後のロシア外交を概括するに大変興味深いものになっている。筆者の独断と偏見によって、最も興味深い点を、以下に抄訳しておきたい。
なお、一部のアメリカの視聴者から、「マーガレット・ブレナンという評判のレポーターからのタフな質問に対し、英語で、余裕をもって、時にはユーモアを交えて、ロシアの立場を一貫して述べる様子は、見ごたえがあった」というコメントが寄せられていたことを付記しておきたい。
▼トランプは、ロシアにとっての根本問題(Root Causes)がなんであるかを理解しようとしたただ一人のアメリカ大統領である。そこには、NATO加盟問題、ロシアに対する直接的な軍事的脅威の削減の問題、ウクライナ領内でのロシアの言語、宗教などの、少数者としての権利保護の問題などが入る。
▼ルビオ国務長官は、自分たちはロシアの立場をよりよく理解できるようになったと明言した。現実のウクライナ問題についてこれからどうするかは正にこれからの話し合いにゆだねられることであり、自分たちは、その内容をマスコミに対して吹聴することはしない。
▼いかなるディールをするにしても過去10年の間にどのような体験をしたかは考慮の対象にいれざるをえない。それはディールが成立した後にウクライナによって裏切られた経験である。①マイダン危機を解決するための2014年2月の権力の分担の合意が米国のバックアップによる蜂起によって崩されたこと、②ワシントン及びウクライナ過激主義者の敵意によって崩された2015年のミンスク合意、③米英からの圧力によってキーウが2022年4月のイスタンブール合意を放棄したこと。
▼いま欧州NATO主要国は「新しく作るべき体制はウクライナが強くなりロシアに勝利するための体制」だと公言しているが、プーチン大統領にとって受け入れられるはずもない。
▼ロシア軍はウクライナ市民を虐殺するための攻撃をしたことはない。すべてウクライナの軍事組織を狙った攻撃の結果である。
▼ ウクライナの子供については、孤児院に入った子供のロシアにおける安全な保護から発している話であり、ウクライナ側に親族がいるという事態が起きた時には慎重にデータを交換し、中東の一角の静かな環境で子供たちをウクライナ側に引き渡している。「数千人」という根拠のない数字がどのようにしてトランプ政権にわたったのか知る由もない。
第三幕
さてここから起きることは、とても重要である。
4月30日、アメリカとウクライナは、ウクライナのエネルギーや鉱物資源を共同開発することを柱とする経済協定に署名したと発表した。
ベッセント財務長官は「トランプ米大統領の恒久的な和平を確保する努力により、両国の復興投資基金を設立する歴史的な経済協力協定に調印した」と表明した。
ウクライナのスビリデンコ第一副首相兼経済相も「米国と協力し、世界からの投資を呼び込む基金を創設する」とXに投稿した。
発表された経済協定の骨格は以下の通りと思われる。
① 米国とウクライナが半々に出資する「資源開発の協同基金」を創設。
② この「基金」がレアアースなどウクライナの地下資源を開発し、収益を入手。
③ 米国は、軍事資金を基金の収益として回収。
④ 過去の支援分については米国が譲歩し、回収の対象には含めない。
⑤ 逆にウクライナはアメリカの今後の軍事支援への道筋をつけたという希望を持てたという議論ができるように思われる
⑥ アメリカとしては、ウクライナが強く求める「安全の保証」について確約は与えないが、協定の対象となるレアアース等の地下資源開発の協力を通じてウクライナの安全性が高まるという従来からの議論は堅持した模様。
(以上主に日経電子版2025/5/1 7:04による)
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翌日5月1日、定例の国務省記者ブリーフで、トランプ政権の一応の現時点での結論と思われる、少なくとも筆者にとっては、一瞬わが目を疑う内容が飛び出す応答が行われた。
参考:米国務省HP(後ろから5分の1程度の箇所をご覧いただきたい。日本語への自動翻訳あり)
国務省報道担当官としてすべての案件について快刀乱麻の回答をだすタミー・ブルース氏が、前日に署名された「鉱物資源協定」の意義を強調したあとに、ウクライナとの和平交渉について問われ、大要以下の通り答えたのである。
▼ 国務長官は、私たちのスタイルは変化し、戦争を止めさせるという大統領の意志に対する方法論も変わることを明確にしてきた。それが私が4月30日の会見で述べたことである(筆者注)
▼ 我々は調停者にはならない。
▼ 我々は依然としてそのこと(戦争を止めさせると推定される)を約束しており、その手助けをし、我々にできることをする。しかし我々は、思い付きで世界中を飛び回ることはしない。
▼ 今や二人の当事者がそれをする時であり、彼らがこの戦争をいかにして終わらせるかについての具体的な案を出す時である。それ(如何に戦争を終わらせるか)は、彼ら次第である。
(筆者注:確かにタミー・ブルース氏の4月28日のインタビューでも「両当事者から案が出てこなければ、我々は、調停者の立場から撤退する時期に来ている」という予告発言がすでに行われていた。
参考:米国務省YouTube)
第四幕
5月1日以降、ロシアとウクライナの当事者二カ国はどのような対応をとってきただろう。
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4月28日 ロシア大統領府は、5月9日の対独戦勝記念日80周年にあわせ、5月8日午前0時~5月11日午前0時まで、72時間の一方的停戦を実施すると発表(日経電子版)。
2025年は対ドイツ戦勝記念日80年となる節目である。ロシアは、諸外国からの首脳招待に力をいれ、ロシア紙RBKによると、外国首脳17カ国の参加が予定され、中国、ブラジル、カザフスタン等旧ソ連構成国、欧州のスロバキア、アフリカの一部などが含まれる(日経電子版)。
ゼレンスキーは直に「世界を操作し、米国を欺いている」と批判(日経電子版4月29日)。ゼレンスキーは、「ロシア宣言の一時停戦に応じず、これを拒否する」考えを示し、「真剣でない停戦の提案をしている」と批判した(日経電子版5月4日)。
ゼレンスキーはまた、5月3日、「ウクライナは、5月9日のパレードに赴く外国要人の安全を保障できない。ロシアは、『放火、爆発、その他の行為』による挑発を引き起こし、これについてウクライナのせいにするかもしれない」
「私はもしも諸外国から聞かれれば、安全の観点から(5月9日には)モスクワに行かないように」と明確に言うようにしている」と述べた。(5月6日付けキーエフ独立新聞)
参考:キーエフ独立新聞
ちなみに元イギリスの外交官Ian Proud氏は自身のブログ The Peacemonger に5月4日「ゼレンスキーはロシアと交渉するのではなく、5月9日の勝利の日にモスクワを攻撃する脅かしをかけた。曰く『我々はロシアにとって最も痛い場所を(攻撃対象に)選び、それがモスクワを外交に向けることになる。彼らはパレードが無事に進むか心配になったが、正に彼らは心配しなければならない。』と述べた。これは恥ずべきことであり、西側の政治家が誰もそれを認めないのは、驚愕すべきことである」と批判している。
参考:The Peacemonger
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それではウクライナは対独戦勝記念日をどのように祝っているのか。5月5日から5月8日までロンドンで行われる、イギリス主催の祝賀行事にフル参加している。5月5日、国会議事堂からバッキンガム宮殿まで約1300人の兵士によるパレードに、イギリスで訓練中のウクライナ兵士も参加し、沿道の市民からは歓声が上がった。(FNNプライムオンライン、BBC、ガーディアン他)。
日本でも、5月6日のテレビニュースでロンドンの中を、国旗を掲げて行進するウクライナ軍団を眺めた方も多いと思う。
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最後に、本稿執筆の時点(5月7日)でトランプの動きについて補足する点はないだろうか。一つだけ注目される対外発信がある。
5月4日(日)に放映されたNBCのMeet the Pressの中でのウクライナ問題についての発言である。このインタビューの実際の収録は、5月2日トランプの私邸であるマーラ・アルゴで行われている。
NBCで放映された中の、27分から30分までがウクライナ問題であり、その主要点は以下のとおり(TBSディジタルの報道と類似の要約である)
▼我々は一つの国とは(和平に)近づいているが、もう一つの国とはそれほど近づいていない。
▼トランプの和平が実現できるかについては、悲観的になることと楽観的になることが交錯する。
▼双方の間にある憎悪は根の深いものであり、自分としては、和平がうまくいくことを望んでいるが、今はそれ以上のことはいえない。
参考:Meet the Press
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ウクライナ和平の行末はどうなるか。
明後日5月9日は、モスクワの赤の広場で、プーチン政権が力を入れて準備し、17カ国の首脳が集まる軍事パレードが行われ、ゼレンスキーが猛反発をしている経緯は、本稿に詳述した。
これまで入手した英語情報では、まずはそのような攻撃は起こらないだろうというのが多数である。
ウクライナによる攻撃が起こらないことを祈って、今週もまた「交渉の継続を見守りたい」で本稿を閉じることにしたい。