東郷和彦の世界の見方第十七回 ウクライナ和平の動向(その17)
中東危機で見えにくくなったウクライナ戦争は今、嵐の前の静けさか?
魚の目16号は6月9日を執筆の期限とした。それからすでに18日がすぎた。
この間、6月13日にイスラエルのイランに対する猛攻が発生、イランとの核協議を進めていたトランプは徐々に方針を転換、6月22日イランの核施設三か所(フォルドウ、ナタンズ、イスファン)に空爆を加え、世界の注目は一挙に中東に集まり、ウクライナ問題に関する報道自体が激減するという事態が生じた。
しかし、それだけではない。以下に見るように、ロシアとウクライナをめぐる重要な動きがなくなったわけではないのだが、各プレーヤーの立ち位置が固定化してきた結果、ウクライナ戦争をめぐる動きの振幅が小さくなってきているのではないか。
その中で、この状況を根本的に変える唯一のプレーヤーたるトランプが、いま、動から静に立場をとり、次の一手を見極めようとしているように看取される。そういう全体状況の中での、ウクライナ戦争の動きを見ていきたい。
第一幕 ヨーロッパとトランプ
まずは、ヨーロッパを中心とする動きがめだった。6月15日から17日までカナダのカナナスキスで、G7首脳会議が開催された。ウクライナ問題ももちろん議論された。
その全体像は、議長国カナダが6月18日付けで発表した「議長声明(議長サマリー)」に最もよく集約されていると思う。国際会議における「議長声明」は、参加国全部の同意を必要とする「共同声明」は発出できないが、議長が自分の責任においてとりまとめ、それなりに参加国全体の雰囲気を反映させようとして作成される文書である。ウクライナ関連部分の日本語訳は以下の通り(筆者責任)。
参考:議長声明
「G7首脳は、ウクライナに正義にかない永続的な平和を達成しようとするトランプ大統領の努力を支持する。首脳は、ウクライナが無条件の停戦を約束したことを認識し、ロシアも同じことをすべきだと合意した。G7首脳は、財政制裁を含めて最大限の圧力をロシアにかけるため、あらゆる選択肢を探求する決意を有している。G7は、ゼレンスキー・ウクライナ大統領及びマーク・ルッテNATO事務総長と会談し、財政面からの防衛支援及び復興・再建支援を含め、強固なウクライナ主権を支持するためにどうしたらよいかについて議論した。」
日本外務省も、セッション5「強く、主権を有するウクライナ」概要を発表し、石破総理大臣がこのセッションに参加したこと、「ロシアによる攻撃に日々勇敢に立ち向かうゼレンスキー大統領、ウクライナの人々に敬意を表すると述べた」旨を発表した(外務省ホーム・ページ)。
「トランプの努力を称賛している」というくだりはあるが、「カナダ議長サマリー」は、バイデン時代に発表された諸文書とほとんど変わらない内容となった。第二次世界大戦終了時にナチスとともに戦ったガリツィアウクライナ人が戦後大量にカナダに亡命し、その一部が、冷戦の終焉とソ連邦崩壊のあとガリツィアに帰還し、ウクライナの中での強固な反プーチン勢力となった。彼らの動きを支持せざるを得ない議長国カナダの取りまとめとして、理解できるものがある。
他方、トランプ大統領は、16日現地でカナダのカーニー首相と会談し、「2014年にロシアによるクリミア併合を批判してG8からロシアを排除したのは間違いだった。ロシアを排除していなければ、いま、戦争は起きていなかっただろう。」と発言した(NHK6月17日5時5分)。
また、カナナキスで記者団から対ロシア制裁に踏みきらない理由を問われ、トランプ大統領は、「(ウクライナと停戦に)合意できるか見極めている」「制裁を科せば米国に多額のコストが生じるのを忘れるな。一方通行ではない」と答えている(日経電子版)。
このあたりが現時点でのトランプのバランス感覚なのかもしれない。
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この流れの続きとして、6月25日オランダ・ハーグでNATO首脳会議が開かれ、トランプ大統領も参加。グループ写真では、アレキサンダー国王とマクシマ王妃に向かって正面左側の席に満面の笑顔を浮かべて収まった。
会議は従来のNATO首脳会議とくらべれば極めて短い会合となり、議論の唯一の焦点は、NATO国防費を2035年までにGDP比5%まで増額する、これまでと同じ定義の国防費3.5%、有事に必要とされる道路などインフラやサイバー防衛関連を含む広義の安全保障分野への支出に1.5%をあて「計5%」とすることで合意が成立した(日経電子版)。
諸論評では、欧州NATO諸国は、NATO首脳会議にトランプが参加すること自体が今後の欧州NATOにとっての重要利益であり、従ってトランプがかねてから要求していた「欧州の防衛は欧州自身で」「防衛費はGDP比5%で」という議題に集中した。
どのくらいロシアにきつく、また、ウクライナにやさしい政策をとるべきかというデリケートな問題には入らないように、格別に気を使っていたとの見方が多い。
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しかしハーグでは、25日、トランプとゼレンスキー両大統領の会談が行われ、ウクライナ・メディアは会談が約50分行われたと報道。
終了後の記者会見でトランプは、ウクライナが求める地対空ミサイル「パトリオット」の追加供与を検討すると述べた(日経電子版)。
更に会談あとの記者会見でトランプは、「ゼレンスキー氏は終結を望んでいる」と述べ、「ウクライナ戦争の終結について、近日中にプーチン大統領と協議する予定だ」と述べた(ロイター編集6月26日)。
第二幕 ロシアからの発信
それではこの間、ロシア側からは、どのような情報発信が行われたか。
今回発信の中心にはプーチン大統領がおり、その主要な場は、6月20日、サンクト・ぺテルスブルグで開催された「国際経済フォーラム」に関連するものが多い。
最初は、会合の前日6月19日01:35、恒例となっている由のタス主催で行われるモスクワ駐在記者からの質問に対し、主に欧州からの記者に対し、プーチン大統領は、以下のように答えた。
① ドイツの通信社DPAのマーティン・ロマンチック氏から「ドイツがウクライナ戦争に関して調停者としてアメリカよりも機能できると思うか」との質問に対し、「そうは思わない。調停者は双方に対して中立的な立場に立つ必要があるが、ドイツの今の政策は、ロシアと戦っているウクライナを支持している」と率直に回答。
② スペインの通信社EFEのマヌエル・サンス・ミンゴテ氏からのウクライナ戦争に関する質問に対しては、「戦争が始まった端緒は2014年のマイダン革命によってNATOの脅威が直接ウクライナ内のロシア語話者に及ぶことが明らかになり、国民投票によってクリミアがロシアの主権下に入ったときにさかのぼる。そのときミンスク2によって、ロシア語話者多数が住むドンバスについて特別区設置が合意され、爾後8年間話し合いを続けてきたにもかかわらず、米及びNATOは、2021年約束をまもらず、2022年ドンバスの権利擁護のために「特別軍事作戦」をはじめざるをえなくなった」という、ロシアの見方を明確に述べた。戦争の完全終結のために、現下の「根っこの原因除去」が必要とする論理に直結する立場である。
③ イギリスのロイターのサイモン・ロビンソン氏からは、イランとイスラエル間の戦争が過激化しないよう、双方との仲介をするつもりはないかとの質問があり、プーチンからは、双方にチャネルを持つロシアは、双方からその要請があればその用意があり、アメリカと相談しながら対処するという返事をし、会場からの拍手をあびていた(本稿文責筆者)。
参考:ロシア大統領府HPプーチン大統領記者会見(英語または日本語〔必ずしも読みやすくない〕への同時翻訳で内容を把握できる)
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しかし圧巻は、6月20日行われたサンクト・ぺテルスブルグでの、国際経済フォーラム全体会議自体における質疑応答の中でプーチンが述べた、ウクライナ戦争の現状に対する評価である。
会議が開始されプーチン大統領を筆頭に、現下の参加国の経済発展上の諸問題についてのプレゼンテーションが一通り終わった後、司会者の誘導で様々な問題についての質疑応答が始まり、2時間45分が経過したころから、ウクライナ戦争の「根っこの原因」についての従来よりも厳しい語調を使った説明が行われた。英語または日本語(必ずしもレベルは高くない)同時翻訳によってプーチンの議論を読むことができる。
参考:ロシア大統領府HP プーチン氏によるウクライナ戦争評価
① 何回も述べてきたように、ロシアとウクライナは一つの民族である。その意味でウクライナはロシアである。
② もちろん、91年のウクライナの独立によって、ウクライナが別個の国家として存続することになったことはよくわかっている。しかしその時にウクライナがロシアに対して中立を維持することを約束してロシアはその独立を認めたのである。
③ そのあと、ロシアは、特別軍事作戦開始前の一年間の交渉、軍事作戦開始後の2022年3月から4月にいたるイスタンブール合意が仮調印によりあと一歩で本格調印に至るところまでこぎつけた。
④ これがボリス・ジョンソンとバイデンによって「いまだ十分にロシアを弱化させていない」としてウクライナは戦争継続にコミットさせられ今日にいたっている。
⑤ 我々はウクライナに降伏を求めていない。ただ現実を認める必要がある。
⑥ 自分はこれまで何回も、「今戦争をやめれば、ウクライナが失うものは少なくて済む」ことを継続予告してきた。そのたびにウクライナは(その守護国のバックアップを得て)、戦争の範囲を広げてきている(本稿文責筆者)。
第三幕 ロシア・ウクライナ間の戦争と交渉
それでは、ウクライナとロシアとの間の、実際の戦闘と二国間交渉の現状はどうなり、トランプはそれをどう見ているのだろうか。
まずウクライナ・ロシア間の事務的な接触は続いているようである。
6月11日ウクライナ政府はロシアから遺体1212人の引き渡しを受けたと発表した。ロシアのメジンスキー大統領補佐官はウクライナから27名の遺体が返還されたと明らかにした。双方は、9日及び10日手当が必要な負傷兵の交換を行った(日経電子版)。
第16号で筆者は、子供の交換について、従来の数とは桁数が全く低い数字が発表され、メジンスキーはこれでウクライナ及びバイデン政権が行った「茶番」が証明されたと述べたにも関わらず、一切の報道がないことが奇異だと書いた。
6月10日になってIan Proudという本件を長く研究してきた人がようやくそのブログに大筋の数字を認めるとともに、本件は、戦火を逃れる必要性、二重アイデンティティなど慎重に考慮しなければいけない事情がたくさんあることを書いた。
参考:Ian Proud氏ブログ
しかし11日のウオール・ストリート・ジャーナルには、著名なウクライナ人とアメリカ人が「本件は、プーチンのなした人道上絶対に許しがたい犯罪だ」と述べる激烈な意見広告がのった。プーチンを嫌う政治勢力にとって、旧来の主張を堅持することほど適切な政策はないことが、この意見広告を見るとよくわかる気がするのである。
筆者として気になるのは、次回の二国間交渉をどうするかについて、「ウクライナはロシア側に今月内に高官級の直接協議を改めて開くよう提案したが、めどはたっていない」(日経電子版)という情報があるのみで、情報不足感があることである。ひき続き、注視していきたい。
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他方ロシアとウクライナの間の戦闘は激化の一途をたどっているようである。
ロシア軍は8日夜から9日未明にかけて、479機の無人機と20発のミサイルでウクライナを攻撃した。ウクライナ軍は大半を撃墜したと発表し、一晩の攻撃に使われた無人機の数として2022年2月の侵攻開始以来最大規模との見方をしめした。ウクライナ軍参謀本部は、9日、ロシア西部、ニジニー・ノボゴロドの飛行場を攻撃し、軍用機2機を損傷させたと表明した(日経電子版)。
ウクライナ政府当局は、18日、ロシア軍による17日未明の首都キーウへの攻撃で少なくとも28人が死亡したと発表した。440機のドローンとミサイル30発で攻撃を受けたという。
19日ゼレンスキーはこの攻撃の現場を訪問し献花、「ロシアが停戦を拒否して殺戮を選んだことを示した」と述べた。AP通信によると、プーチン大統領は、キーウで攻撃を受けたのは、住宅街ではなく、軍事施設だったと主張した(日経電子版)。
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プーチン氏がイランとイスラエル、アメリカ他関係国の仲裁に入る意向をもっていることは6月19日国際経済フォーラムの前の晩のプレスとの懇談でも明らかにしていた。
しかし、それ以前の6月14日、プーチン・トランプの電話協議で中東情勢などが協議されていた。両者は、イスラエルとイランに停戦を求めてゆくことで一致。プーチンは、仲介に意欲を示した。
14日トランプはSNSに、「彼は私と同じようにイスラエルとイランの戦争は終わらせるべきだと感じている」と投稿した。14日はトランプの誕生日にあたり、トランプは「プーチン氏が非常に親切にも誕生日祝いを伝えてきた」とも投稿した(日経電子版)。
ゼレンスキーは一方、「ロシアによる仲介提案はごまかし」と主張した。すでに15日には「欧米のパートナー諸国の情報機関の分析として『ロシアは世界の関心が中東情勢に集中しているすきを突き、ウクライナのエネルギー施設への攻撃を計画している』」と批判した(日経電子版)」。
18日トランプ大統領は、「プーチン大統領からイランとイスラエルや米国の関係を仲裁するとの申し出があったが、これを断ったと記者団に伝えた」との報道が伝えられた(日経電子版)。
最終幕:現状総括
冒頭に述べたように、過去18日間のウクライナ戦争の動きを見ていると、この戦争は、イラン・イスラエル・アメリカを全面的に巻き込んだ大波が訪れてきたからだけではなく、ウクライナ戦争をめぐる各プレーヤーの立ち位置が固定化してきた結果、戦争をめぐる動きの振幅が小さくなってきているように見える。
すなわち、トランプ・プーチン・ゼレンスキー・英仏独他欧州NATOという各アクターの動きが、それぞれの国益観・利益観によって固定化してきているのではないか。
この状況を根本的に変えうる唯一のプレーヤーたるトランプが、今、動から静に立場をとり、次の一手を見極めようとしていることが、現状を単なる「振幅の鎮静化」ではなく、「嵐の前の静けさ」の感を与えているのかもしれない。
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そういう締めくくりとして、筆者は偶々過去18日の間に何回かウクライナ戦争を内容とする講演をしたところ、その最後の講演が主催者の方により「ユーチューブ」にアップされたので、主催者の方のご厚意を得て、以下にそのリンクを紹介しておきたい。
何らかのご参考になれば、幸甚である。
東郷和彦氏講演会『ウクライナ和平の行方』
主催: 英霊の名誉を守り顕彰する会(佐藤和夫代表)2025/6/22 アカデミー文京(まほろばジャパン04)