わき道をゆく第131回 その機密費は、どこから? 

▼バックナンバー 一覧 2018 年 7 月 10 日 魚住 昭

 GHQのW・E・エドワーズ法務官による尋問の模様をひきつづきお伝えしたい。
 答えるのは第二次・第三次近衛内閣(1940年7月~1941年10月)の書記官長だった富田健治である。富田はすでに近衛内閣が陸海軍から年間500万円ずつの機密費を受け取っていたと明言している。
 官邸にわりあてられた機密費予算は年10万円。その百倍の計約1000万円(今の80~90億円相当)が陸海軍から上納されていたというわけだ。
 これは内閣の実質的な運営費が陸海軍の金で賄われていたことを意味する。近衛内閣が軍部の意のまま対米戦争に流されていったのもむべなるかなと言うべきだろう。なぜ、こんな歪な上納システムができたのか。
  富田は その問題の核心を知る男だった。もし彼がすべてをしゃべるなら軍国日本の秘密のからくりを解き明かせる。エドワーズはそう思ったにちがいない。彼は「まず10万円の機密費のほうだが、この金はどんな経路であなたのもとに届いたのか」と訊いた。
 富田は「書記官長の下にそういう役目の秘書官が一人いた。その男が内閣官房の会計係から年に2~3回、分割して受け取って届けてくれた」と答えた。
エドワーズ「官房の会計係はその機密費をどこから?」
富田「大蔵省から」
エドワーズ「あなたが機密費を受け取るとき、引き換えに領収書か何か渡したのか」
富田「イエス。書面に捺印してね。受け取った金は金庫に入れ、必要なときに取り出した」
エドワーズ「これも10万円の機密費 に限って聞きたいのだが、その金はどんな目的に使われるべきだと思っていたか?あなたの認識を教えてほしい」
富田「日本では機密費はどの役所にもある。警察、県役所とか外務省や内務省といったところにもね。業務を効果的に行うための金だから、使途が決められているわけじゃない。私は機密費の使い道を書いた備忘録を持っていて、それを近衛公にしょっちゅう見せていた」
エドワーズ「それは当座勘定の記録のようなものだったのか」
富田「いや、手帳だった。そこに一万円程度の大きな出金を書きとめておいた。2000~3000円ぐらいの金はいちいち記録しなかった。私はとても忙しくて時間がなかったから」
 富田はそう答えたあとで使途についての質問に答えてないことに気づい たらしい。「機密費は接待に使われた。官邸で開かれる公式の宴会の費用も機密費から出した」と付け加えた。
 エドワーズはこの答えに満足せず、「10万円の機密費の使途についての認識をもっと具体的に聞きたい。そうすれば、私もこの相当な額の出費の性格をつかめるんだが…その手帳は今もあるのか」と訊いた。
 富田は「いいや。私の東京の家は空襲で焼けたので手帳も灰になってしまった」と言った。
 エドワーズ「わかった。前の質問に戻ろう。もう少し詳しく10万円の機密費の使途についての認識を話してくれないか」
富田「10万円の内閣機密費と、陸海軍から受け取った機密費はまぜこぜになるので、どの金が何の目的に使われたか正確に説明できない。全体としての機密費の使 途についてなら、もう少し言えることがあるけど」
エドワーズ「それは明朝(の再尋問で)訊くつもりだ」
 ここまでの二人のやりとりはうまく噛み合っていない。エドワーズは法律家なので2種類の機密費を厳密に区別し、まず10万円の機密費の使途についての富田の認識を糺している。
 しかし富田にしてみれば、同じ金庫に入った金を分けて考えろというのが無理な話だった。
 エドワーズは質問の角度を変える必要を感じたらしい。「頭を整理するために訊くんだが」と言って、こう切り出した。
「私の理解だと、陸軍の機密費は国会の承認を受けた、いわゆる臨時軍事費から支出されている。だが、臨時軍事費のうちいくらが機密費なのかは国会でも知らされなかった。内閣機密費の場合 もそうだったのか」
 いきなり臨時軍事費という言葉がでてきたので補足させていただきたい。当時の軍事費は国会のチェックを受ける一般会計の陸海軍省費のほかに、戦争が起きたときの戦費にあてる臨時軍事費特別会計があった。
 この特別会計は概要しか公表されず、機密費などの内訳は国会にも秘密にされた。何に、いくら使うかは軍の裁量に任されていて、その総額は戦争を重ねるごとに無際限に膨らんだ。
 たとえば日清戦争の臨時軍事費は2億円。日露戦争は15億円だったが、日中戦争・対米英戦争(1937~1945年)では、臨時軍事費は8年余で1554億円に達した。
 エドワーズの質問は10万円の内閣機密費も陸軍機密費のように臨時軍事費の闇に隠れていたのかという趣 旨だった。が、富田は否定し「(機密費10万円が)内閣予算の明細にあったのは間違いない」と答えた。
 ちぐはぐなやりとりにもどかしさが募ったのか。このあと富田は一気にしゃべりだす。
「内閣に割り当てられた機密費は極めて少なかった。たった10万円だった。内閣の接待費はその何倍もかかる。首相公邸の宴会費だけで月3~4万円。だから歴代内閣は企業家や財閥から献金を受けるのが慣例だったが、近衛内閣は財閥から一銭ももらわなかった。たとえば東條は首相になるとき財閥から巨額の献金を集めたと言われた。事実かどうかは知らないが…」
 富田が本当に重要な事実を漏らすのはこのあとだ。「陸海軍から500万円ずつもらう慣例ができたのは日中戦争が起きたころからだと聞 いた」という。
 日中戦争が始まったのは1937年の第一次近衛内閣の時代だ。しかもその年に臨時軍事費特別会計が組まれた。陸海軍からの上納金システムの誕生の背後には、近衛と軍の密接な関係+臨時軍事費特別会計があったのではないだろうか。エドワーズの尋問はつづく。(了)
(編集者注・これは週刊現代に連載された「わき道をゆく」の再録です)