わき道をゆく

2025.3.31.
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第258回 現代語訳・保古飛呂比 その81

一 二月三十日、左記の通り仰せつけられる。 右の者は郡奉行・普請奉行、かつ、それに付随する役職をも仰せつけられる。これにより、外輪物頭を仰せつけられ、役領知百八十石を与えられる。万端入念に勤めるようにとの仰せである。 た […]

2025.3.17.
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第257回 現代語訳・保古飛呂比 その80

一 弘田氏の書簡、左記の通り。 近江屋某の珍話(珍しい話)は下横目も誰も知りませんでしたので、明日までに探るよう言い聞かせました。そのようにご承知ください。 (慶応三年)二月二日 弘田久助 佐々木三四郞さま ついては、( […]

2025.3.3.
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第256回 現代語訳・保古飛呂比 その79

一 (慶応三年)正月十二日より毎日出勤して、朝夕、俊姫のご離別案件について奔走した。藩政府も大いに疑い惑って、方針を決定しなかった。そのうち意外なことが起きた。離別の一件は勤王家の者たちみんなが大いに憂慮し、物議が起こり […]

2025.2.17.
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第255回 現代語訳・保古飛呂比 その78

[参考] 一 慶応二年十月、藩が楮幣(藩札のこと)を発行した。左記の通り。 このたび三支配(町・浦・郷のこと)に渡し遣わす楮幣、来る辰年までの三カ年間云々の布告のこと。 覚(おぼえ) このたび三支配に渡すことになった楮幣 […]

2025.2.3.
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第254回 現代語訳・保古飛呂比 その77

一 (慶応二年)九月十三日、曇り、未の中刻(午後二時ごろ)ごろ、豊後佐賀関に到着。高田屋文治方に泊まるつもりだったが、肥後(熊本藩)のもろもろの警衛が厳しく、みだりに上陸を許さなかった。(※佐賀関は熊本藩の飛び地だった) […]