わき道をゆく

2025.5.13.
わき道をゆく
第261回 現代語訳・保古飛呂比 その84

一 (慶応三年)六月二十四日、祇園の中村屋で会合があった。薩摩の脱藩者・田中幸助[中井弘(注①)]が来会し、建白書を修正した。田中は後藤と長崎で昵懇になった。すこぶる面白い人である。薩摩人には珍しい通人のように見受けた。 […]

2025.4.29.
わき道をゆく
第260回 現代語訳・保古飛呂比 その83

一 (慶応三年)六月十三日、執政の深尾丹波どの宅で、執政・参政・大監察が列席して、前日にひき続いての詮議があった。その際もとかく因循論で、朝廷と幕府の間に立って、ほどよく周旋せよとの事だったが、「今日となってはもはやそん […]

2025.4.14.
わき道をゆく
第259回 現代語訳・保古飛呂比 その82

一 (慶応三年)四月二十日、兵之助さまが上京された。 ただし、浦戸からご乗船の際の天気が良くなく、同二十三日に出船、火船(火輪船=蒸気船のこと)の名はシユリ舟。 一、この月、ご隠居様出発前のお考え。 ご隠居様のご上京ご尽 […]

2025.3.31.
わき道をゆく
第258回 現代語訳・保古飛呂比 その81

一 二月三十日、左記の通り仰せつけられる。 右の者は郡奉行・普請奉行、かつ、それに付随する役職をも仰せつけられる。これにより、外輪物頭を仰せつけられ、役領知百八十石を与えられる。万端入念に勤めるようにとの仰せである。 た […]

2025.3.17.
わき道をゆく
第257回 現代語訳・保古飛呂比 その80

一 弘田氏の書簡、左記の通り。 近江屋某の珍話(珍しい話)は下横目も誰も知りませんでしたので、明日までに探るよう言い聞かせました。そのようにご承知ください。 (慶応三年)二月二日 弘田久助 佐々木三四郞さま ついては、( […]