わき道をゆく第132回 機密費は議会のボスたちに

▼バックナンバー 一覧 2018 年 8 月 14 日 魚住 昭

 日米開戦直前の第二次・第三次近衛内閣の書記官長をつとめた富田健治に対するGHQの尋問が2日目を迎えている。

 尋問の焦点は、陸海軍が近衛内閣に秘密裡に上納していた年間総額1000万円の機密費だ。

 今の80億~90億円に相当する金はいったい何に使われたのか。GHQのW・E・エドワーズ法務官はこう切り出した。

「昨日は予算で内閣に割り当てられた機密費10万円について話してもらったが、今日は陸海軍からどうやって機密費をもらったか、その手順を聞きたい 」

 富田は「そのつど、しかるべき額を陸軍省の次官から受け取った。こっちからもらいに行ったこともあるし、陸軍次官が副官を官邸に差し向けて金を届けてくれたこともある。手順は海軍省も同じで、受け渡しはつねに現金だった」と答えた。

エドワーズ「まず訊ねるが、当時の陸軍次官は誰だった?」

富田「阿南(惟幾)。自決した人だ。終戦時には陸相だった」

エドワーズ「当時の陸軍省の軍務局長は(東京裁判の)被告の武藤(章)だったと思うが…」

富田「そう。軍務局長は武藤だったが、彼は機密費とは何の関係もない。陸軍次官だけが機密費を直接扱っていた」

エドワーズ「そうかな。私は軍務局長が機密費の扱いに深くかかわったと思ってるんだが…」

ここに登場する武藤章は日本の運命を決めた軍人の一人である。1937年7月、盧溝橋事件が起きた際、事変不拡大の方針をとる参謀本部作戦部長の石原莞爾に反対し、中国に「一撃を加えるべし!」と唱えて拡大派の急先鋒となったのが、作戦課長の武藤だった。

 結局、拡大派が陸軍の多数を占め、石原は左遷される。やがて武藤は軍務局長になり、陸軍だけでなく政界の動向も左右する力を持つ。1940年、ナチスを模倣した一国一党体制(=近衛新体制)運動を強力に推進したのも、この武藤である。

エドワーズ「ま、それはさておき、さっき話に出た副官というのは高級副官のことか?」

富田「イエス。陸軍次官付きの高級副官のことだ」

エドワーズ「その高級副官が機密費を官邸に届け るとき対応したのは、昨日の話に出てきた佐藤という内閣官房の秘書官か」

富田「いや、佐藤が関与するのは機密費予算の10万円だけ。高級副官が金を持って来たときは私が応対して領収書を渡す。こちらから金を取りにいくときは、佐藤の上司を陸軍省に行かせ、彼が領収書を先方に渡す」

エドワーズ「結局、あなたが近衛内閣の書記官長だった約15カ月の間に受け取った機密費は実際に使われたのか?」

富田「ほぼ全部使われた。使途の一つは前に述べた接待だったが、相当な額が議会の操縦費用にあてられた。1940年9月ごろ大政翼賛会が立ち上げられたが、これは(議会主義を否定する)ナチズムに賛同するような目的でなく、単に議員らが内閣に敵対しすぎないようにするための組織だっ た。金はそうした議員らを(大政翼賛会が)コントロールするためのほか、軍の一部と結託した右翼テロリストの懐柔にも使われた」

エドワーズ「大政翼賛会の誰に機密費を渡したのか」

富田「有馬(頼寧)伯爵だ。彼はたしか先日、巣鴨プリズンから釈放されたはずだ」

エドワーズ「有馬は大政翼賛会のどんな役職に就いていたか」

富田「彼は事務総長だった」

 有馬頼寧は旧久留米藩主の長男で、近衛文麿らとともに「革新貴族」として注目を浴びた政治家だ。若いころトルストイや河上肇の影響を受けて農民組合の設立に尽力し、部落差別解消のための同愛会を組織した。

 中小企業や農民の保護・救済を目的とした産業組合(農協などの前身)振興にも尽くし、1936年、近衛新党計画に 参画した。翌年発足した第一次近衛内閣の農林相にもなった。競馬の重賞レース・有馬記念は彼の功績を記念したものだ。

 ここで読者に留意していただきたいのは、さきほどの武藤といい有馬といい、日本の複数政党制に止めを刺した近衛新体制運動(その帰結点が1940年10月に発会式が行われた大政翼賛会である)の中心人物だったということだ。次に登場する風見章もしかりである。

エドワーズ「あなたが有馬に内閣機密費を回すときは現金で渡していたのか?」

富田「そう。現金だ。が、金は直接、有馬に渡されたのではない。受け取ったのは風見章という男だ。風見は第一次近衛内閣の書記官長だった」

 風見は新聞記者出身で、信濃毎日新聞の主筆を経て衆院議員になった。彼は有馬と ともに近衛新体制運動を進め、1940年7月に発足した第二次近衛内閣では法相に就任したが、5カ月で辞任し、その後は大政翼賛会の総務になった。

エドワーズ「もしよければ、手短に、風見に渡った機密費が何に使われたか、知っていることを話してもらえないか」

富田「私は知らない。しかし、その金は大政翼賛会を作る際に議会のさまざまなボスたちに渡されたのだと思う」

エドワーズ「あなたは単に、首相の指示に従って風見に機密費を渡しただけなのか?」

富田「首相からしかるべき額の金を風見に渡すよう命じられるときもあったし、風見がやってきてしかるべき額を要求するときもあった。しかし、いずれにしろ私は首相に報告した」

エドワーズ「しかし、書記官長がその使途も知 らずに、風見にしろ誰にしろ、かなりな額の金を渡したりはしないはずだ」

富田「風見は近衛首相の側近のなかでも絶対的信頼を得ていた人だ。私は、金が大政翼賛会による国会操縦のため議会のボスたちに渡ったことは知っているが、金を受け取った者の名前など子細な事情は知らない」

 ここで疑問が浮かぶ。大政翼賛会は、さまざまな政党勢力が挙国一致体制をつくるため自発的に解党して作られた組織だったはずだ。その翼賛会がなぜ議会のボスたちに金を配らなければならなかったのか。(了)

(編集者注・これは週刊現代に連載した「わき道をゆく」の再録です)