わき道をゆく第146回「日本会議とNHK番組改変」(1)

▼バックナンバー 一覧 2019 年 11 月 30 日 魚住 昭

 日本会議について書いてほしいという依頼を受けて、少し迷った。私は10年ほど前に日本会議の成り立ちを取材する機会を得ただけで、現在の日本会議の動きについてはあまり知らない。日本会議の実態に詳しいのは、なんと言っても、ハーバー・ビジネス・オンラインで「草の根保守の蠢動」を連載している菅野完さんと、「子どもと教科書全国ネット21」の事務局長・俵義文さんらである。私が出る余地はない。

 しかし、まてよ、と思い直した。日本会議について、長期の取材をした経験を持つ者はたぶん数えるほどしかいない。日本会議の内実を伝える情報量は未だに少ない。だから 、日本会議は発足から約20年たっても、得体のしれない団体のままでありつづけている。

 そんな謎めいた団体に光をあてるのに、私の取材体験をお知らせするのも無駄ではないかもしれない。私はなぜ日本会議に注目し、どうやってその成り立ちを知ったか。それだけでも読者に伝えられれば意味があるかな、と思って原稿を書くことにした。

 私が日本会議と遭遇したのは05年初め、朝日新聞がスクープしたNHK番組改変問題がきっかけだった。同年1月12日の朝日は「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』 前日、幹部呼び指摘」の見出しでNHKに政治的圧力があったと報じた。

 ずいぶん前のことなのでお忘れのかたもあるだろうから、番組改変問題の概略を説明しておこう。NH Kで「女性国際戦犯法廷」を題材にしたETV特集「問われる戦時性暴力」が放送されたのはそれより4年前の01年1月30日夜だった。

 番組は旧日本軍の性暴力を告発する法廷に焦点をあてているにもかかわらず、肝心の慰安婦の証言シーンがわずかしかなく、日本軍の行為について法廷が下した結論にも一切触れないなど奇妙な点がいくつもあった。何より不自然だったのは、44分枠の番組が40分に短縮されていたことだった。これはテレビの世界でまずありえないことだった。

 なぜ、そんなことが起きたのか。実は放送4日前、番組内容を察知した日本会議が片山虎之助総務相(当時)に「(放送は)わが国の名誉を傷つける」ものだと抗議文を手渡し、片山大臣から「調べてみよう」という 返答を引き出していた。

 さらに日本会議と深い関わりを持つ日本政策研究センター(伊藤哲夫代表)もNHKの「暴挙を阻止すべく」「抗議と放映中止の要求活動」(機関誌『明日への選択』より)を活発に繰り広げていた。

 それと並行して、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(中川昭一代表、衛藤晟一幹事長、安倍晋三事務局長)がNHK側に「放送中止」の圧力をかけていた。

 番組放映3日前、NHKの伊藤律子制作局長は制作スタッフに、「若手議員の会」編の単行本『歴史教育への疑問 若手国会議員による歴史教科書問題の総括』(平成9年刊)を見せ、そこに登場する議員たち(=中川、安倍両代議士ら)を指さしながら「番組で騒いでいるのはこの人たちなのよ」と語っ ていた。

 ここで注目してほしいのは日本会議・日本政策研究センター・「若手議員の会」の3者の密接な関係である。政策センターの伊藤哲夫代表は日本会議の中枢であると同時に、中川、安倍、衛藤氏ら「若手議員の会」の面々と親交があり、同会設立に関わっていた。

 単行本『歴史教育への疑問』の中で「若手議員の会」の幹事長代理である高市早苗氏は「今後は、中川昭一会長はじめ仲間の議員達や、私達の会にお力添えいただいた日本政策研究センターの伊藤哲夫所長ら有識者の先生方のお知恵をお借りしながら、政府に対しては更に掘り下げた議論を挑みたいと思っている」と書いている。

 つまり前述の3者はほとんど同じ穴の狢であり、NHKの番組改変問題の核心は、日本会議グループ の存在にあると言ってよかった。もっと踏み込んで言うなら、日本会議と自民党右派の連合勢力がついに公共放送の番組内容を改変させる力を持ったことを端的に示す事件、それが番組改変問題だった。

 私は番組改変問題の取材を進めるうち、この問題についての朝日新聞の取材データをたまたま入手した。それには番組改変問題のキーマンともいうべき松尾武・元NHK放送総局長の貴重な「証言記録」も含まれていた。

 その松尾証言と、NHKの番組制作スタッフらの証言などを突き合わせると、「放送中止」の圧力は、日本会議グループなど右派団体・「若手議員の会」→NHKの国会担当職員→NHKの国会対策担当の野島直樹・担当局長→伊藤律子制作局長・松尾武放送総局長の順で伝わってい たことがわかった。

 折りからNHKの予算審議の時期だったこともあって、NHK上層部はこれに敏感に反応し、松尾総局長が野島局長とともに「説明」に出向くことになった。松尾総局長は安倍官房副長官らの対応を見て「つけ入るスキを与えてはいけないという緊張感」を持ち、「みんなが不安」になって番組改変が行われたことを朝日の取材に認めていた。

 これはもう、どう見ても、番組が政治的圧力で改変されたことは明らかである。しかし、NHKをはじめとするマスコミ界の大勢はそれを認めようとしなかった。安倍、中川両氏も政治介入の責任を取るどころか、朝日を攻撃した。

 私は松尾総局長の「証言記録」を含め、自分の取材結果のすべてを『月刊現代』に書いた。これだけ詳しく 事実を伝えれば、「政治介入はなかった」などという妄言は消えてなくなるだろうと思ったが、そのレポートは大勢に何の影響ももたらさなかった。

 ほとんど無視されたのである。私は事実がこんなに軽んじられるのかと呆れた。一記者として悔しく、情けなかった。何より、左遷や失職のリスクを冒してまで、取材に協力してくれたNHKの関係者らに対し、申し訳ないという気持ちで一杯になった。

 それにしても、である。いつから、こんなに右派が幅を利かせるようになったのだろうか。私の知る右派は「街宣右翼」だ。でなければ、一人一殺のテロに走る右翼だ。

 ところが、日本会議は、それらとは体質も戦略も明らかにちがう。そして、どういうわけか、日本会議の関係者には、昔、生長の 家と縁のあった人が多かった。

 伊藤哲夫・日本政策研究センター代表しかり、衛藤晟一議員しかり、椛島有三・日本会議事務総長しかりである。なぜだろうか?(編集者注・これは以前、朝日新聞の「月刊ジャーナリズム」に寄稿した文章の再録です)