わき道をゆく第150回 選評
私はいま「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」の選考委員を務めさせてもらっていますが、以下に掲げるのは今年の最終候補作品6作に対する選評です。ご参考までに。(ちなみに受賞作は『ふくしま原発作業員日誌』と『孤塁』です)
選にもれた常井健一著『無敗の男 中村喜四郎 全告白』(文藝春秋刊)についてまず語りたい。私も昔、政治家の評伝を書いたことがある。だから、この作品の完成までにどれほどの労力が費やされたか想像がつく。
よくぞここまで調べ上げたものである。作者の取材力は尋常ではない。筆の運びも躍動感があって、異様にストイックで強固な信念の政治家の素顔を克明に描いている。
一点、気になるのは、取材対象との距離のとり方だ。対象との緊張感を保つのはノンフィクションの要諦だが、作者は対象に寄り過ぎている。その結果、客観的視点が揺らぎ、知らず知らず相手の色に染まってしまう。そんな危うい個所があちこちあった。
竹内明洋著『殺しの柳川 日韓戦後秘史』(小学館刊)は題材としては申し分ない。ここに目をつけたセンスは評価されるべきだ。が、事実を究明していく執念が足りないように感じた。今からでも遅くない。もっと取材を尽くせば、かつて書かれたことのない日韓関係史を編むことができるのではないか。
次に森功著『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』(文藝春秋刊)は、安倍一強政治の内実に迫る立派なノンフィクションである。にもかかわらず受賞作にならなかったのは、登場人物の思想や心情、息遣いが十分に伝わってこなかったからだろう。作者の力量は誰もが知るところなのだから、次回作に期待したい。
濱野ちひろ著『聖なるズー』(集英社刊)は、性暴力に苦しんだ作者が動物性愛者たちと寝食を共にしながら、人間にとって愛とは何かという問題を考察しようとした作品だ。作者の探求心は高く評価されてしかるべきだが、肝心の考察が深まったと言えるのかどうか。物足りなさが残った。
吉田千亜著『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店刊)は双葉郡消防士たちの苦難と葛藤を淡々と描き、よくある体の英雄物語に仕立てていない。絶妙の距離感だと思う。だからこそ読む者の心に響く物語が生まれたのだろう。66人もの消防士に地道なインタビューを重ねた作者の努力にも最大限の敬意を表したい。
片山夏子著『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実 9年間の記録』(朝日新聞出版刊)を読んで、私が感じ入ったのは取材に臨む際の作者の謙虚な姿勢である。それは「取材というよりも、一人の人間として(生き方を)教えてもらっている」という作者の述懐に最もよく示されている。取材の厚み、丁寧さ、複眼的な視点、どれをとっても文句のつけようがない。長く読み継がれる作品になるだろう。(了)