わき道をゆく第151回 政治と検察

▼バックナンバー 一覧 2020 年 12 月 26 日 魚住 昭

政治と検察の関係がどういうものか。韓国を見るとよくわかります。検察の権力肥大化を抑えようとする法務部長官と、それに抵抗する検事総長が真っ向からぶつかりあっている。
政治と検察の関係って微妙なんです。検察が無力だと、汚職が摘発されず政官界の腐敗が進む。しかし、逆に検察が強すぎると、露骨な政治介入をして健全な民主主義が育たない。韓国はいま、その微妙なバランスをどこでとろうかと苦悩しているのではないでしょうか。
では、日本はどうか。表面だけを見ると、韓国のような政治と検察の衝突は起きてない。でも水面下では、政治と検察の隠微な攻防がつづいている。少なくとも私にはそう見えます。
検察は、安倍長期政権が終わった途端「桜を見る会」の政治資金規正法違反の捜査に着手した。なぜ、この時期に、しかも問題発覚から1年数カ月もたって着手したのでしょうか。
立証が難しい事件だから?そんなことはない。ホテル側が明細書や領収書を提出すれば証拠は十分。安倍氏側が前夜祭の費用を補填していたことが証明できる。安倍氏自身が関与していたかどうかを除けば、単純な事件です。
検察側は、安倍氏の首相在任中は本人の取り調べができないので、退陣を待っていたのだと言うかもしれません。それはその通りでしょうが、もし黒川弘務検事長が賭け麻雀で失脚せず、検事総長になっていたら、この捜査にゴーサインを出していたでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
逆に言うと、黒川氏が総長にならないと、安倍氏が退陣後に今のような窮地に陥る恐れがあったからこそ、閣議で無理やり黒川さんの定年を延長したのだと考えることができます。
実は、官邸は4年前にも、当時法務省官房長だった黒川さんの地方検事長への転出人事を覆して法務事務次官に昇格させています。このことと言い、今年の定年延長と言い、検察にとっては、長い間後生大事に守ってきた組織の人事の自立をぶち壊しにする暴挙でした。
でも、官邸がその暴挙をあえてした理由を、ただ単に黒川氏と官邸の個人的な関係の深さだけで捉えたら問題の本質をつかみ損ねると思います。検察人事の主導権を握ることは実は昔から自民党政権の悲願だったのです。今に始まったことではありません。
一例を挙げましょう。昭和51年のロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されました。田中元首相は逮捕後も「闇将軍」として政界に君臨し、法務大臣に自らの息のかかった人物を次々と送り込んで検察に圧力をかけ続けましたが、検察側の防御が固くて首脳人事に手を触れることができませんでした。
1995年にも吉永裕介検事総長の後任に、自民党に近いと言われていた根来泰周・東京高検検事長を押し込もうとする動きがあったと言われています。根来さんが63歳の定年を迎える前に吉永さんが総長を辞めれば、その目論見通りになったのですが、吉永さんは辞めず、根来さんは検事長で定年退職を余儀なくされました。
そうやって検察は外部からの圧力をことあるごとに退け、組織の命ともいうべき人事の自立性を守ってきたのです。
それに1990年代から2000年代はじめまでは検察は毎年のように政官界汚職や政治家の脱税、巨額闇献金事件を摘発していましたから、政治家たちは検察を恐れ、検察と政治の力関係は圧倒的に検察優位の時代がつづきました。それに伴い、検察の驕りとか組織的な腐敗、露骨な政治介入が目立つようになりました。
その典型例が2010年の陸山会事件です。あれは煎じ詰めると、小沢一郎氏側が2004年に4億円の不動産を買ったのに、翌年の政治資金報告書に載せたという「期ズレ」の問題です。それをさも悪質な犯罪であるかのように言い立てて立件した事件です。
そのため民主党は小沢氏という「要石」が身動き取れなくなって混乱しました。私は民主党が3年で政権を失った最大の理由は、肥大化した検察権力による政治介入だと考えています。
ところが、2010年、こうした検察の暴走状態を一変させる事件が起きます。朝日新聞の調査報道が暴いた大阪地検特捜部の証拠改ざん事件です。これで検察の威信は地に墜ち、特捜部廃止論が湧き起こりました。
それに対し、笠間治雄検事総長は特捜部の独自捜査部門の縮小を打ち出します。それまで二班あった「特殊直告班」を一つにして、国税局と一緒にやる脱税事件とかに重点を移すと宣言しました。これは平たく言うと、とかく問題の多い政官界絡みの事件は当面やらないよということです。それから何年も特捜部が政官界に踏み込まないという”異常事態”が続きました。
つまり検察は牙を失った狼のような存在になり、相対的に政治の側の力が大きくなったわけです。それを象徴するのが甘利明・経済再生相側が建設会社から数百万円を受け取っていた事件を不起訴にした件(2016年)や、森友事件での公文書改ざん立件見送りですね。どちらも検察はもっともらしい理屈を言ってますが、検察が政治に切り込む力を失ったことを露骨に見せつけたケースでした。
話は戻りますが、検察が独自捜査の縮小を打ち出してまもない2012年に発足したのが第2次安倍政権です。安倍政権が目指したのは官邸主導政治です。
2014年には内閣人事局を設置して各省庁の幹部の人事を官邸サイドで決定するシステムをつくりました。
あと残すところは法務検察人事です。検察庁法25条には検察官は「その意に反して、その官を失わない」という身分保障がありますから、ほかの省庁のように人事に手を突っ込むことは簡単ではない。しかし、いま検察は弱っていて怖くない。いまのうち人事権を奪って、二度と検察の捜査に官邸が振り回されるようなことのないよう制度設計をしよう。そう考えたのではないでしょうか。
そこでまず黒川さんの地方転出阻止、それから定年延長、そして検察庁法の改正と手順を踏みながら、外堀を埋めながら検察の人事権を我がものにしていこうとしたというわけです。
でも、賭け麻雀問題の発覚で官邸側の目論見は一頓挫しました。安倍長期政権も終わりを告げました。検察は何をやってるんだという世論の声も強くなってきました。それにIR汚職や広島の選挙違反事件と小粒ではあっても検察が政界に迫るケースもちらほら出てきました。 ここから先は私の推測になりますが、検察首脳陣が「桜を見る会」の捜査にゴーサインを出したのは、黒川検事長の定年延長問題で検察人事に手を突っ込んできた官邸に対するリスポンスの意味があったのではないでしょうか。下世話な言い方をすれば、なめんじゃねえよ、検察の人事にこれ以上手を突っ込んでくるのなら、こっちにも考えがある、と言いたかったのではないかということです。
実際、安倍氏本人も検察の事情聴取を受ければ、たとえ不起訴になったとしても、深刻な政治的打撃を受けるでしょう。私は十年ほど前までは検察の腐敗を批判してきましたが、いまは検察頑張れと言いたい。政治と検察はどちらが強くなりすぎても具合が悪い。微妙なバランスをとっていくことが健全な民主主義を育てることになると考えるからです。