わき道をゆく第156回 政治と検察(その6)
前回につづきGHQ文書の内容を紹介します。1948年8月、米軍東京地区憲兵司令部で司令官(准将)のC・S・フェランと、東京地検次席検事の馬場義続の間で交わされたやりとりです。フェランはこう言います。
「さて、占領軍関係者の名前はこれで全部出そろったかね?」
馬場はその問いに直接答えず、東京地検の捜査力を誇示するかのように言いました。
「将軍、われわれの捜査は昭電が占領軍関係者の接待に総額5000万円をつぎ込んでいることを突き止めました。この金の中から昭電は箱根に占領軍接待用の別荘も購入しています」
5000万円といえば現在の40億円にも相当する膨大な金額です。フェランの驚きは尋常ではなかったでしょう。
「誰がそうした一連の事実を供述しているのか。君は知っているか」とフェラン。
「これは昭電の総務部長である藤井氏の供述によるものです」
藤井孝は日野原の腹心で、昭電の常務取締役総務部長。日野原の指示で政界工作に携わり、GHQ関係者の接待にも同席しています。
「現時点で事件にかかわりのある占領軍関係者はこれで全部だな?」
フェランが改めて念を押しました。馬場が「はい」と答えると、フェランは次の質問に移りました。
「君は『押収した帳簿類を昭和電工に返し、捜査を中止せよ』という電話を一度ならず受けたそうだが、それはどこからの電話かね」
「はい、終戦連絡中央事務局からです。『捜査を中止し、帳簿を昭電に返せ』と言ってきました。憲兵司令部のバーンズ大尉にはその旨報告しています」
「電話の主は誰だ?」とフェラン。
「名乗りませんでした」と馬場。
終戦連絡中央事務局(終連)は、GHQの指示を日本政府に伝えるため設けられた外務省の外局です。その指示にはかんたんに無視できない重みがありました。
終連の不可解な動きの背後には、汚職のもみ消しをはかるESSの意向が働いていると考えて差し支えないでしょう。たぶん、ESSはGSとの関係上、直接帳簿類の返還を要求できなくなり、終連を動かしたのでしょう。
帳簿類という物証がなくなれば捜査はつづけられません。この後、帳簿類は一時、第一生命ビル6階のGSのオフィスに持ち込まれます。ESSや終連の手から守るためです。
憲兵司令官フェランは馬場とのやりとりを次の言葉で締めくくりました。
「これで君たちが提供できる情報はすべて受け取ったようだ。ここでくりかえしておきたいのだが、君たちはじつに素晴らしい捜査をしている。ホイットニー将軍の部局(GS)とわれわれが君たちの後ろについているのだから、君たちは捜査をつづけなければならないということを知っておいてほしい」
おそらくフェランと馬場のやりとりを記したこの文書ほど昭和電工事件の真相を伝えるものはないでしょう。日野原社長のGHQへの贈賄工作の対象はESSに絞られていて、GS次長ケーディスの名は文書の中にまったく登場しません。検察庁を自由に動かせたケーディスに後ろ暗いところがあったなら、捜査はとっくに中止されていたはずです。しかし、ケーディスは一貫して東京地検を支援しています。というより、東京地検の捜査を通して自分にかけられた濡れ衣を晴らさざるをえない立場に追い込まれていたのです。
GHQ文書の中から見つかった参謀第一部(G1=企画・人事など担当)の次長バイデルリンデンと、GS局長コートニー・ホイットニーとの間で交わされた手紙(10月7~8日付)がそうした事情の一端を物語っています。
「ホイットニー将軍へ。憲兵隊が、昭和電工事件に関与した占領軍関係者がいるかどうか見きわめる捜査をしています。現時点ではGSスタッフの関与をしめす明白な証拠や信頼度のある情報はありません。捜査は続行中です」
「バイデルリンデン将軍へ。教えてくれてありがとう。その件の捜査はもう終わったとばかり思っていた。私はGSの人間がこの事件に関与したなどとはこれっぽっちも考えていない。しかし、GSを中傷するうわさが市中や日本政府側で広まっているのは事実だ。これはGSの政策が恨みを買っているからだ。こうなったらうわさを流す連中を摘発するしか方法がない。捜査の過程でうわさの出所が突き止められるよう願っている」
GSが恨みを買った政策の最たるものは公職追放だったでしょう。1946年はじめから軍人、政治家、官僚、企業人ら20万人以上が戦争犯罪人・軍国主義者への協力者としてその地位を追われました。それに内務省廃止をはじめとする警察制度の改革や、ESSと一体で進めた財閥解体などで、GSへの反感は戦前の旧支配層を中心にうずまいていました。
GSの権威失墜をねらう人間はGHQ内部にもいました。参謀第二部(G2=情報・治安担当)部長のチャールズ・ウィロビーです。ウィロビーは、スペインの独裁者フランコを崇拝した反共主義者でした。彼は占領初期の民主化政策を主導したGSのケーディスやESS幹部らを「日本をアカ(共産主義者)の手に売り渡す連中だ」と激しく非難しました。彼の著作とされる『知られざる日本占領』にはこんなくだりがあります。
「(昭和電工事件を)摘発したのは、主として、ほかならぬG2であった。被告日野原の陳述によれば、金品の贈与は日本の政界ばかりでなく、占領軍筋にも及んでおり、GSもその例外ではなかった。いや、GSが主な対象だったといってもいい」
一読すればわかりますが、『知られざる日本占領』という本は、どこまでウィロビー自身の手になるものかはっきりせず、一部信頼度に欠けるところがあります。「GSが主な対象だった」という記述も事実とちがいます。しかし、事件が摘発されるよう仕向けたのはG2であり、その目的はケーディスら幹部の追い落としだったという意味なら、真相からそうはずれてはいないでしょう。後で触れるようにG2がケーディス追放を画策した事実を裏づける証言があるからです。
ここで少し、複雑なGHQ内部の関係を整理してみましょう。GS(民政局)とESS(経済科学局)はもともとGHQによる民主化政策の車の両輪として近い関係にあります。しかし、昭電事件に関してGSとESSの利害は対立していました。ESSは事件をもみ消そうとし、GSは東京地検の捜査を通じて自らの潔白を証明しようとしました。
反共主義者ウィロビーのG2にとって昭電事件はGSやESSの「アカ」たちを追い落とす絶好のチャンスでした。G2と関係の深い警視庁が昭和電工事件の内偵を始めた、その背後にはウィロビーの意向が働いていたと見て間違いないでしょう。
GS、ESS、G2の三者から少し離れた位置に憲兵司令部がいます。司令部とGSの立場は東京地検を後押しする点では同じです。司令官のフェランが「われわれとGSが後ろについている」と言ったのはESSの妨害に負けるなという意味だったのでしょう。
しかし、その一方でフェランの耳にもGSをめぐる疑惑は届いていたはずです。彼が二度も「これで全部か」と念を押したのは、ケーディスらGS幹部が関与しているのではないかという疑念を完全には払拭できていなかったからでしょう。(続)