ホロウェイ論『権力を取らずに世界を変える』を読む その2:息の詰まる社会からの脱出

▼バックナンバー 一覧 2009 年 8 月 7 日 四茂野 修

◆ 網野善彦の「アジール」論

 歴史家の故網野善彦が日本の中世社会を読み解く際に用いたキー概念に「アジール」(避難地)というのがあります。網野は中世社会には、権力の手の及ばないアジールの領域がさまざまな形で存在したと考えます。網野の話を聞きながら育った宗教学者・中沢新一はこのアジールの意味を次のように説明しています。
<…根源的自由が、さまざまなアジールの形態をとおして健全に作動している社会は、風通しがよい。そういう社会では、権力がいたるところを一色に染め上げていくことを許さない。法や権力の絶対に侵入していくことのできないアジール空間が、そこここに実在していることによって、社会はたくさんの穴の開いた平面としてつくられることになる。その穴をとおして、根源的な自由が社会の中にすがすがしい息吹を吹き込んでくる。
 ところが国家を立ち上げる権力意志は、自分に突き付けられている否定性をあらわす、このアジールを憎んでいる。こうして権力とアジールとの、自由をめぐる永遠の闘いが発生するである。近代に生まれた権力は、法にも縛られず、警察力の介入も許さず、租税を取り立てることも許さないこのような空間が、自分の内部に生き続けているのを容認することができなかった。そのためにアジールとしての本質をもつ場所や空間や社会組織は、つぎつぎと破壊され、消滅させられていった。
 しかし、そのことを「進歩」と言うのはまったくの間違いだろう。アジールを消滅させることで、人間は自分の本質である根源的自由を抑圧してしまっているのである。根源的自由への通路を社会が失うということで、「文化」は自分の根拠を失い、自分を複製し増殖していく権力機構ばかりが発達するようになる。ひとことで言えば、世界はニヒリズムに覆われるのだ。>(中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』P.95-6)
 中沢によれば、言語や法や規範をつくることによって人間は自然による決定からの自由を獲得するのですが、同時に自ら作り出した社会的規則の体系によって束縛されて生きることになります。するとこの社会的規則の体系をのり越え、否定する欲望が生まれてきます。この根源的自由の欲望がアジールを生み、社会のすみずみまで支配しようとする国家権力との緊張関係を伴いながら、自由をめぐる永遠の闘いを続けてきたのが日本の中世の歴史だったというのです。
 おそらく、その歴史は中世をこえて現代に連なるものだと思います。そして、21世紀日本社会は、権力機構に覆われつくしたニヒリズムの極限にあるのかもしれません。
 自立性をもった共同体はみな、その内部で法よりも掟が優先されるアジールの性格をもってきました。ところが地域のコミュニティーや職場の労働組合が自立性を失い、アジールたりえなくなったことによって、「自分を複製し増殖していく権力機構」に覆われた息の詰まる日本社会が生み出されているのではないでしょうか。
 派遣村がそうであったように、ホロウェイの言う「闘争の共同体」もまたアジールです。権力機構から自立した共同体を甦らせることこそ、この息の詰まる社会から脱出する道であり、そのためには労働組合が賃金・労働条件の改善のための便宜的な結社を超えでて、アジールとしての共同体ににならなければならない——私は今そのように考えています。

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