ホロウェイ論『権力を取らずに世界を変える』を読む その2:息の詰まる社会からの脱出

▼バックナンバー 一覧 2009 年 8 月 7 日 四茂野 修

◆ 網野とホロウェイをつなぐもの

 私は網野とホロウェイの間に、ある共通性があるように思えてなりません。網野はある時期の自分を次のように痛烈に批判しました。
〈…自らは真に危険な場所に身を置くことなく、会議会議で日々を過し、口先だけは“革命的”に語り、“封建革命”“封建制度とはなにか”などについて、愚劣な恥ずべき文章を得意然と書いていた、そのころの私自身は、自らの功名のために、人を病や死に追いやった“戦争犯罪人”そのものであったといってよい。
 そして、当然の重い心の疲労の中で、そうした許し難い自らの姿をはっきり自覚したは1953年の夏のことであった。これが現在にいたる私の歩みの出発点であり、このような“戦犯”が当然負って償わなくてはならない“重労働”のはじまりであった。
 それから現在までの四十余年間の私の人生は、自己を全く見失っていた約4年間をきびしい“反面教師”としつつ、二度とそうした誤りはくり返すまいという一念に支えられてきたといってよい。〉(『歴史としての戦後史学』洋泉社P.12)
 網野史観と呼ばれる独創的な歴史認識が成立する背後に、このような己の過去への厳しい反省があったことに、私は驚くと同時に何か納得するものを感じました。別の本では、こうも言っています。
〈私は、1953年、それまで観念的な「マルクス主義」にもとづいた運動を行っていたことに気づき、運動から落ちこぼれて身を引いたあとに、マルクス・エンゲルス選集をあらためて読み直していましたが、その中で、晩年のマルクスの「ヴェラ・ザスリッチへの手紙」などを読んでみて、マルクス自身が単純な「進歩」史観ではないことを知り、自分自身の考えの一つのよりどころにするようになりました。…「原始共同体」と、「コミューン」がどこで結びつくかですが、そんな問題を考えながら資料を読んでいる過程で、いろいろなことを思いついたということになりますね。〉(対談集『「日本」をめぐって』P.147-8)
 観念的な「マルクス主義」からの転換に「コミューン」あるいは「共同体」との出会いが絡んでいたことには、深い意味があるように思えます。中沢新一は前掲書のなかで、中沢の父親らとの会話のなかで網野が語った次のような言葉を紹介しています。
<兄さんたちの話を聞いていて、ぼくはマルクスとザスーリッチの往復書簡を思い出します。ご存知でしょう。ロシアの革命家だったザスーリッチがマルクスに質問状を書いた、その返事です。ザスーリッチはマルクスに、ロシアに真実の変革がおこるためには、あなたがいろいろな本の中で書いてきたように、ロシアもまずは西欧のような近代社会に生まれ変わって、その上で革命を進めていくという道をとらなければならない、と今もお考えですか、私にはそうは思えないのですが、と書いたわけです。それにたいして、マルクスはもう晩年でしたが、こう答えています。ロシアのミールという農村共同体について自分も少し詳しく研究をしてみた。そしてそれがとてもすばらしい要素をたくさんもった社会的組織体であることを知った。このミールを破壊して、その廃墟の上に立つことによってしか、ロシアの革命は進めることができない、という考えを私は今では否定する、とマルクスは書いた。ミール共同体の中から、人類が望んでいる新しい社会が生まれ出てくる可能性というものを、マルクスはここで語ろうとしていたんですね。この手紙の内容を、みんなもっと深く研究しなくてはいけないと思うんです。マルクスはここで、ミールを破壊して、その先へ進んでいくという考えを否定しています。じゃあ、彼はミール共同体へ帰れと言っているのかといえば、そうではないでしょう。ミール共同体の中には、原始・未開以来の人類の体験と知恵が生き残っている。それを破壊してはいけないと言っているんじゃないでしょうか。ミールという農村共同体の中に保存されている、原始・未開の要素を取り出してきて、それを新しい社会を構築していく原理にすえることが必要だ、と言おうとしているんだと思います。〉(P.41-2)
 ホロウェイはサパティスタという「闘争共同体」との出会いから「正統派マルクス主義」批判の多くの着想を得ています。網野の政治活動と歴史研究に転回をもたらしたのも共同体との出会いでした。20世紀の観念的な「マルクス主義」の行き詰まりを前に、網野は中世史の研究において、ホロウェイは革命の構想において、「共同体」を足場にして新たな視点を獲得したのだと思います。
(網野は「私は『コミュニズム』を『共産主義』と訳したのは、歴史上最大の誤訳の一つではないかと思う」(対談集『「日本」をめぐって』P.186)と言っています。たしかに「共産主義」では「コミューン」「共同体」とのつながりが見えてきません。本書でも「共産主義」の訳語を避け、「コミュニズム」と訳しました。)

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