ホロウェイ論その6 政権を取れば社会が変わるか

▼バックナンバー 一覧 2009 年 11 月 18 日 四茂野 修

沖縄・普天間基地の移設問題は発足したばかりの鳩山政権の大きな試練となりました。鳩山政権は、新自由主義構造改革が生み出した社会のひずみを批判し、国民の支持を得て登場しました。従来路線からの転換が注目されるなか、前政権から引き継いだこの厄介な問題への対処は、新政権の今後に大きな影響を及ぼすことになるでしょう。
 

◇ 無傷のままの企業中心社会

 
この問題は、政権を取ることによってどれだけ社会を変えることができるのかという、より普遍的な問題としても考えることができます。言い換えれば、政治の次元で起きた政権交代が、社会にどれだけ影響を与えうるかという問題です。一般論でいえば、社会のなかで利害が対立する問題に対処する際、政権が公約や理念・目標を大事にするすることは言うまでもありません。しかし同時に、社会のなかに現にある力関係、あるいは社会構造からもたらされる圧力によって大きな制約を受けることも見逃すことができないでしょう。
いま日本社会で圧倒的な力を持っているのは、経済活動の中心を担う大企業です。大企業は、膨大な情報、潤沢な資金、巨大な組織を保有しています。政治献金を通じた政治家への直接の影響力は後退したとしても、大企業経営者と官僚の間には長い時間をかけて培われたコネがあります。広告を通じて大企業がメディアを操り、世論を誘導することも可能です。そして何より、圧倒的に多くの人々が大企業に頼って生活しています。その多くは、労働組合を含めて企業経営が順調でなければ社会が良くならないと信じています。企業中心社会と呼ばれる日本の社会構造の圧力は、新政権に重くのしかかっています。
政権交代が繰り返されてきたヨーロッパ諸国で、社会民主党政権が誕生したものの、時間とともにその政策が保守政権とさして変わらないものになった実例を私たちは数多く見てきました。日本と比べてはるかに強力な労働運動に支えられていても、企業が優位に立つ社会的な力関係を政権は無視できなかったのです。
貧困や格差など、社会のひずみに対する民衆の怨嗟の声が今回の政権交代をひき起こしました。そのひずみは、小泉政権以来の自公政権による市場原理を優先した構造改革路線がつくりだしたものです。そして、この路線を後押しし、そこから利益を得てきた勢力の中心に、日本を代表する数々の大企業がありました。新自由主義改革を進めた政権が退いても、背後でそれを求め、後押ししてきた大企業はいまだに強大な力を有しています。大企業を中心とした社会構造はなんら変化していません。この政治の次元と社会の次元との間に生じたねじれは、これからも鳩山政権を悩ませ続けるでしょう。
鳩山首相は、新自由主義への批判に際して「友愛」の理念を掲げました。「友愛」は労働組合が古くから掲げてきた言葉です。働く者が企業に抵抗する共同体、労働組合をつくる際に掲げた理念が「友愛」でした。企業中心社会の原理は「利益」です。その構造に取り込まれた労働組合は「友愛」よりも「利益」を重視するようになりました。組合員の賃金・労働条件の改善を求めるうちに、企業、産業の利害を利己的に追求するようになったのです。労働者間の競争を容認し、派遣労働者の悲惨な状態を踏み台にすることで「友愛」の精神は泥にまみれました。
企業利益の拡大に向けて突っ走ってきた社会からの転換は、それに順応し、依存してきた人々の行動様式、思考様式からの脱却なしには不可能です。ロンドン大学のロナルド・ドーア氏は「『日本オール中流』は通用しなくなっても、『日本オール体制派』は依然として当てはまるだろう」(『東京新聞』11月15日)と述べ、組織内、地域内の自治回復の必要性を語っています。なかでも労働組合は「友愛」というその本来の理念を取り戻し、企業からの自立を取り戻すことが求められているでしょう。
8月30日の「投票所の反乱」が政権交代を引き起こしましたが、この反乱を職場の反乱、地域の反乱に押し広げることが必要です。反乱といっても騒動を起こすことではありません。これまで当たり前と思いこんできた職場や地域のあり方を根本的に問い直し、企業中心社会をつくり変えていくということです。鳩山政権がどんなに努力しても、民衆レベルのそうした努力がなければ、「友愛」の理念は絵に描いた餅に終わるしかありません。
 

◇ 「改良か革命か」

 
19世紀のイギリスでは、自由な競争を制限する〈共謀〉として取り締まられていた労働者の団結が、次第に権利として認められるようになり、〈脅迫〉として取り締まられてきたスト破りに対する説得も合法化されました。それらは最終的に議会の立法によって保障されたのです。
この流れのなかで、選挙を通じて議会に代表を送り、立法によって現状を改善するとともに、議会の多数を占めて、行政を通じて改善を進めようとする潮流が形成されました。彼らは次第に活動を政治の次元に集中し、選挙や議会活動を巧みに行うことに専念し始めます。改良派の登場です。
ここで彼らは重要な事実を見落としていました。団結権の承認は、逮捕され投獄されながらも労働組合をつくり、企業に抵抗してきた数知れない労働者たちの、長年の営為に支えられてはじめて可能になったのです。社会のなかにすでに存在する団結を、経営者も認めざるを得なくなり、既成事実を追認して法律がつくられたのでした。社会における力関係の変化、社会構造の変化があり、それが政治の次元にも及んだのです。
19世紀末に結成された第2インターナショナルには、様々な傾向の社会主義者と労働者政党が集まっていました。1907年にドイツのシュツットガルトで開かれた第7回大会に改良派は「本大会は原則的に、そしてあらゆる場合について、すべての植民地政策を排斥しようとするものではない。植民地政策は社会主義体制のもとでは文明の導き手たりうるのである」という決議を提出します。それは列強間の植民地獲得競争を是認する内容のものでした。
これに反対したのがローザ・ルクセンブルグやレーニンらの革命派でした。彼らは植民地争奪戦争の勃発を全力で阻止し、戦争になれば資本主義的階級支配を廃絶させるために闘うという決議を通すことに成功します。しかしその7年後、第二インターナショナルの中心勢力であったドイツ社会民主党がドイツ帝国議会で戦争予算に全員一致で賛成し、第二インターナショナルは解体してしまいます。そして第一次世界大戦のさなか、ローザは1919年1月、戦争に反対する水兵や労働者の蜂起のなかで、その鎮圧に当たった社会民主党員グスタフ・ノスケ国防大臣が率いる民兵によって惨殺されたのでした。
この改良派と革命派の間の激しい対立は20世紀を通じて続きました。しかし、21世紀を前にして、両者とも見るべき成果もあげることなく力を失います。ホロウェイは『権力を取らずに世界を変える』の第2章で次のように語っています。
 
〈「改良派」的アプローチも、「革命派」的アプローチも、どちらも熱烈な支持者の期待にまったく応えられない結果に終わりました。ソ連や中国などにおける「共産主義」政権は、みずから管理している国家領域の内で、少なくとも一時的には、物質的な保障の水準を高め、社会的な不平等を減らしていくことはなしえたかもしれません。しかし、自己決定できる社会を創り出し、自由の統治を推し進めていくという、コミュニストがつねにもっとも中心的に熱望していた点においては、なしえたことはまことに少なかったのです。社会民主主義政権や改良主義政権の場合も、それよりましだったとはいえないのが実態です。物質的な保障の点でよくなったことが認められる場合はありますが、そうした政権がおこなった施策は、実際のところは、公然と親資本主義を標榜する政権とほとんど変わりがなかったのです。また社会民主主義政権のほとんどは、根本的な社会改良を実行しようとする装いすら、ずっと前から放棄していました。〉(35-6頁)
 

◇ 社会的諸関係の網

 
改良派も革命派も、なぜ見るべき成果をあげることもなく、20世紀後半に衰退したのでしょうか。ホロウェイは「国家(政治)を通じて社会を変革する」という考え自身に原因があったと主張します。社会を変えるのに国家のコントロールを掌握することが最も手早い方法だというのは、ごく当然の考え方のように思えるのですが、ホロウェイはなぜそれを否定するのでしょうか。
選挙を通じて国政に意志を反映させて、社会を改良できると思うのは、国家を社会から切り離された、自立した存在のように見ているからです。実際の国家は社会の中に張り巡らされた諸関係の網の結び目の一つにすぎないとホロウェイは言います。この網は資本主義を基盤に編まれています。だから国家(政治)にできることは、資本主義の機構を維持する必要によって限定され、規定されているのです。もし「国家が資本の利益に反する方向で重大な行動をおこなうなら、経済危機を招く結果となり、資本はその国家の領域から逃げていくことになる」(37-8頁)というわけです。改良派が政権の座についたとしても、社会構造の圧力によって資本の利益という枠組みを逃れることができず、結局、海外の労働者や国内の非正規雇用労働者を犠牲にする道を選ぶことになるのです。
他方、革命派は、国家は資本家階級の道具であると考えます。ハンマーのような道具であれば、他の人が別の目的に使うことも可能です。大工が釘を打つのに使うこともできれば、泥棒が窓ガラスを割るのに使うこともできます。今、資本家階級によって資本の利益のために使われている国家も、労働者階級が手中に収めれば、これを労働者の利益のために使うことができると考えたわけです。このような革命派の道具的な見方も、改良派と同様、国家を、それが編みこまれている社会関係の網の目から切り離し、自立したものととらえるものだとホロウェイは批判します。
革命派が実際に国家権力を握り、国家を手中に収めたとき、何が起きたでしょうか。歴史が示したのは、民衆を監視し押さえつける抑圧政治と無駄の多い非効率な統制経済でした。そしてグローバル経済の網のなかで、資本主義とも折り合いをつけながら国家を運営せざるをえない現実でした。この奇怪な人工国家は、結局のところほとんどが内から自己崩壊し、資本主義の陣営に復帰したのです。
それだけではありません。革命派の運動は、権力の獲得をめざしたことによって大きなゆがみを背負い込みました。
 
〈権力獲得のもくろみが権力に対抗する闘争のなかに権力関係の場を拡大させていくのです。権力に対する、人間の非人間化に対する、人間を目的としてではなく手段としてあつかうことに対する抗議の叫びとして出発したものが、それとは反対のものに転化してしまいます。反権力の闘争の核心において、権力の論理と習性と論法を当然のものだとすることに転化してしまうのです。〉(45頁)
 
より良い社会を目指すことをあきらめることなく、私たちはこの悲劇の歴史からどうやって逃れることができるのでしょうか。その答えを得るためには、資本主義についてもう一歩深く考える必要があります。