読み物忌野清志郎とアジサイ革命

▼バックナンバー 一覧 2012 年 8 月 6 日 魚住 昭

 このところ忌野清志郎にハマっている。きっかけはセブンイレブンのTVコマーシャルだ。
 某夜、ウイスキーをなめながらテレビを見ていたら、番組の合間に彼の「デイドリーム・ビリーバー」が流れてきた。
 私と同年輩の方ならご存知のはずだが、原曲は1960年代後半に米国のモンキーズが放った世界的なヒット曲である。
 青春の甘酸っぱさを湛えたメロディに乗って、清志郎の伸びやかな声が響く。そのリズム感や、日本語の語感を生かすセンスは尋常なものではない。

♪Ah Ah Ah
  ずっと夢を見て
  いまも見てる  僕は
    デイ・ドリームビリーバー
    そんで 彼女はクイーン

日本のロックミュージシャンはただの格好つけたがりが多いから、清志郎もその類だろうと、これまで思っていたのだが、とんでもない勘違いだった。
「この歌、すごいよね。日本にもこんなロックシンガーがいたんだ」
 と妻に漏らしたら、彼女は「うん」と肯いて、「この歌は、清志郎さんが亡くなったお母さんを思って作ったものなのよ。生みの親ではなかったけれど、とってもいいお母さんだったらしいわよ」と教えてくれた。
 それで初めて、今ごろになってこの曲に私が反応した理由がわかった。私の母も3年前に死んだ。後を追いかけるようにして昨年、父が他界した。2人とも天寿を全うしたのだから嘆くつもりはないのだが、心の底に開いた穴がなかなか塞 がらない。清志郎の歌は、そんな人間の喪失感を透明なものに昇華する不思議な力を持っていた。
 それから数カ月後、金曜日の夜の官邸前デモに行った。参加者の年齢も職業も国籍もさまざまだが、若い女性の姿が目立った。彼女らを衝き動かしているのは、きっと幼子の、あるいはこれから生まれる子どもたちの未来を案じる気持ちだろう。
 原発に反対する万単位の人が思い思いのプラカードを掲げながら官邸を二重三重に取り囲む。3・11前には想像もできなかった光景だ。誰が名付けたか知らないが、これはまさに「紫陽花革命」だと思った。
 デモの人波の中に清志郎の遺影を持つ男性がいた。たしかに、この新たなムーブメントに清志郎ほどふさわしい人はいない。
 24年前、彼の反原 発ソング「サマータイムブルース」が入ったアルバムの発売を東芝EMIが中止した。原子炉メーカーである親会社への配慮だった。
 24年前の私は、この発売中止事件の背後にある原子力ムラと産業界の癒着構造に気づかなかった。あのころ日本は世界が羨む金満大国で、その経済的繁栄の背後に広がる黒々とした闇が見えなかったのである。恥ずかしいとしか言いようがない。
 だが、清志郎は私のように凡庸な人間ではなかった。

♪恐ろしいことが
  起こってしまった
    もうだめだ 助けられない
    もう遅い
    Ah メルトダウン メルトダウン メルトダウン
    取り返しのつかないことに
    なってしまった
    もうだめだ 助かりゃしない 誰も
    神様 仏様 お医者様 お月様 キリスト様
    科学の力を信じていたのに
   Ah メルトダウン

これは「サマータイムブルース」と同時期に彼が作った「メルトダウン」という曲だ。最近この曲を初めて聴いて、鳥肌が立った。清志郎の嗅覚は、二〇数年前にフクシマの破局をはっきりと捉えていたのである。
 官邸前に集まる人々の多くはそんな清志郎の歌を聴いて育った世代だろう。その意味で彼のまいた種が新しい風に乗って、いま開花していると言ってもいい。子供たちの未来を守ろうという人々の動きは誰にも止められない。私も彼らと一緒に官邸前を歩きたい。大好きな清志郎の歌を口ずさみながら。

(編集者注・これは週刊現代「ジャーナリストの目」の再録です)(了)