読み物スクープした記者が明かす 恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか
文・立岩陽一郎(NHK記者)
大阪市の印刷会社の従業員や元従業員の間に、異様に高い率で胆管がんの患者が見つかっている事件については、すでに各メディアで報じられているのでご存じの方も多いと思う。これまでに17人が発症し、そのうちの7人が死亡している。
私はNHK大阪放送局に記者として所属していたとき、この異様な事実を知って取材を重ね、初めて報道した。その後も取材を続けている。
これは、これまでの番組で伝えきれていない内容をまとめて、講談社のウエッブ・マガジン「現代ビジネス」に前篇・後編として掲載されたものだ。
■両親も病院に呼ばれた
10月4日の朝、本田真吾(30歳)は、大阪市阿倍野区にある大阪市立大学付属病院に入った。
受付までにはまだ時間がある。1階奥にある喫茶店に入った彼は、コーヒーと菓子パンを買って話し始めた。
「今日これから入院して、明日から検査です。先生からは『ご両親にも来ていただくように』と言われました。両親は後で着替えなんかを持ってきてくれます。もう僕も30なのに、入院に両親の同意が必要なんですかねぇ……」
本田は不安そうな顔に、無理に笑顔を作って話した。彼も、入院の手続きのために両親が呼ばれたわけではないことを知っているのだろう。
検査の目的は、胆管がんの有無の確認だ。胆管とは、肝臓で作られる胆汁を十二指腸に送る細い管のこと。肝臓の内側から伸びており、内側を肝内胆管、肝臓の外に出ている部分を肝外胆管と呼ぶ。
本田はすでに胆管炎を発症している。そして腫瘍が見つかっている。カルテに「胆管がんの疑い」と書き込まれたときは、打ちのめされたような気持ちになったが、「今は落ち着いています」と言う。
「明日の検査が終わったら、連絡します」
コーヒーに軽く口をつけただけで、本田は入院の手続きに向かった。
■半端ではない洗浄剤の量、換気不十分な作業場
本田が大阪市中央区にあるSANYO-CYPという印刷会社に入ったのは2000年4月。高卒者向けの合同就職説明会で話を聞き、印刷業に魅力を感じたからだった。
この会社が専門にしていた「校正印刷」とは、ポスターなどの印刷物を刷る前段階の、色合いを確認するための作業だ。赤、青、黒、黄の4色のインクを順番に、ブランケットと呼ばれるローラーに伸ばして印刷する。赤を刷った後は、赤のインクを洗い落とす。そして青を載せる。青を刷った後は、青を洗い落として黒、黒の後は黄……という風に作業が続く。
こうして、数枚刷るごとに洗浄剤でインクを洗い落とす、という作業を繰り返す。そのたびに、洗浄剤をボトボトと布にかけて染み込ませ、それでブランケットを拭いていく。
作業場は地下1階。中は洗浄剤の強い刺激臭が立ちこめていたという。
「きつい刺激臭でした。洗浄剤を使うときは、息を止めてやっていました」
本田は当時を回想する。洗浄剤を使う頻度は半端ではなかった。
本田が働いていた100㎡ほどの作業場には、印刷機が7台置かれていた。それぞれの印刷機の下には大きな排気口があり、社長の自慢だった。別の元従業員は、社長がこの排気口を指して、「日本一の換気装置や」と自慢していたのを覚えている。
しかし、この排気口は十分な空気を吸い出してはいなかった。後の厚労省の調査で、この排気口の吸い出していた空気は、全てを合わせて毎時1200立方メートルだったことがわかっている。その4倍の空気を吸い出していたメインの排気口は、これとは別に壁などに設置されていたが、その空気は外部には排出されていなかった。吸い出された空気は、一部外気を取り込みつつも、部屋に戻されていたのだ。
これには理由がある。印刷業にとって避けたいのは紙の収縮だ。そのため、湿度と温度は一定でなければならない。排気口は、その湿度を取り除くための装置であり、空気を取り換えるためのものではなかったのだ。
■このままでは僕も死ぬんじゃないか
入社から6年経った2006年5月、本田は健康診断の結果を聞かされて驚いた。肝機能の状態を示す「γ-GTP」の数値が1000を超えていたのだ。γ-GTPの成人男性の通常値は50以下とされており、100を超えるとすぐに病院に行かねばならない。本田の数値は、さらにその10倍になっていたのである。
慌てて病院に行って検査を受けると、「胆管が炎症を起こしています」と告げられた。
そのとき、本田の脳裏に一人の先輩の姿が浮かんだ。
「そういえば、柳楽さんが……」
兄のように世話をしてくれた先輩の柳楽正太郎だ。その2年前にがんで倒れ、27歳の若さで死亡していた。
「確か、柳楽さんは胆管のがんだって言ってたっけ」
ショックに追い打ちをかけるように、さらに記憶がよみがえってくる。柳楽が亡くなった翌年にも、もう一人の先輩が死亡していた。その先輩も胆管のがんだった……。
「このままでは僕も死ぬんじゃないか」
そう思った本田は会社を辞めた。新たな仕事の当てはなかったが、とにかく死の恐怖から逃れたい。その方が先決だった。
それから6年。恐れていた事態が現実となってしまった。胆管がんの疑い。本田は横になった病室で、今後に大きな不安を覚えずにはいられなかった。