佐藤優の文章教室第二章:福沢諭吉『学問のすすめ』について

▼バックナンバー 一覧 2024 年 7 月 29 日 佐藤 優

「文章教室」を開設するにあたって。
 今般、「魚の目マガジン」に「佐藤優の文章教室」というコーナーを開設することにしました。私は同志社大学で、学長直轄の「新島塾」、野口範子生命医科学部教授が責任者をつとめる「サイエンスコミュニケータ養成副専攻」などの講座で、学生の指導を担当しています。
 学生の論文、レポート、発表用原稿などには、優れた内容のものがあるので、それをこのコーナーで、私のコメントを付して紹介します。
 本コーナーの開設を認めてくださった魚住昭氏に深く感謝申し上げます。

2024年6月、佐藤優


この章では福沢諭吉(1835~1901年)の主著『学問のすすめ』について検討したい。この本は福沢によって1872年に出版された哲学、思想書であると同時に自己啓発書の要素もある。実学をすすめ,自由平等と個人の自由独立に言及し,学問の必要性を強調している内容だ。1835年2月20日、福沢諭吉は長崎で生まれたが家庭は貧しく、父親は農業を営んでいた。若い頃、福沢は学問への興味を示し地元の漢学塾で学び始めた。その後彼は長崎奉行所の翻訳官として働く機会を得、西洋の文化と思想に触れる機会を持った。1858年、福沢はオランダの学校で西洋の学問を学ぶために留学し、多くの知識を吸収した。留学から帰国した後、彼は日本の近代化と文明開化を提唱する著作を執筆し始め、その中には「学問のすすめ」などが含まれていた。福沢諭吉の思想は明治維新後の日本社会に大きな影響を与え、西洋の知識と日本の伝統を結びつける役割を果たし、日本の近代化を推進した。また、彼の影響力は日本の教育制度にも及び、福沢の思想を受け継いだ人々が多くの分野で活躍した。今回は伊藤正雄の現代語訳を使い、本書を基に「学問のすすめ」の内容について考察したい。

「国民が各自の独立を確保してこそ、初めて一国の独立も全うできるとはこのことである。」([i])福沢は日本国が独立を確保するには国民一人一人が独立の精神を持つことが大切だと述べている。筆者はここで「独立」という言葉について考えてみた。国家としての独立は他国に精神的な依存がない状態を指すと考えた。グローバル化により国家間の境界が曖昧となった今、貿易や経済的相互依存が不可欠となっており全ての国が他国と関係を持つことで自国産業を成り立たせている。そこで精神的な依存があるということは日本を例に出すと、「何かあったらアメリカが助けてくれる。物資支援を行ってくれるだろう」という依存心があるために国際情勢に危機感を抱かない人が多い。このような後ろ盾がある状態では独立心を発揮することができない。よって個人の独立とは自分で物事の良し悪しを独自に判断して他人に迷惑をかけない、これに尽きると思う。筆者も高校を卒業し、大学生となり、自分の選択が自分の責任となる年齢となった。親から独立するという意味でも今までの環境から独立するという意味においても自分なりの軸を持つことの重要性を体感しながら生きている。一人一人の意識が日本の将来を左右すると福沢も述べている。自身が一人でも多くの人のロールモデルとなれるよう、これからも自己研鑽を継続していきたい。

「昔の政府は国民を支配する方法がまずく、今の政府ははるかに上手くなった。いつまでもこの調子でいけば、政府が一つの事業を興すごとに、文明の外観はだんだん備わっていくだろうが、民衆の方は、それだけ一段と気力を失い、文明の精神は衰退するばかりであろう。」([ii])福沢は過去と明治時代の政治支配の違いについて述べ、文明の側面においてどのような影響をもたらすのかについて説明している。昔、すなわち室町時代や江戸時代は暴力を剥き出しにして支配していたから民衆は政府に心から服従したのではなくただ暴力を行使されることを恐れ、従っていたに過ぎない。しかし明治時代はクーデターによる新体制の発足であったにも関わらず、抜かりがなかった。学校、鉄道、電通、軍備など民衆の日常生活と密接に関わるものから手をつけた。無意識的に政府に依存することが政府を心から服従することにつながっていった。いわば近代的な戦略で過去の支配体制とは異なる部分と言っても良いと考える。

「政府は人民の委任を受け、人民との約束に従って、貴賤上下の別なく、彼らの権利を満足させなければならぬ責任がある。」([iii])福沢は本書で有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉を敷衍し、政府の役割は人民を満足させることである、と繰り返し述べている。筆者もこの意見に賛成である。日本国民は政府から一定の恩恵を受けるために税金を納めたり規則を守ったりしている。一人一人の安全安心を確保することが政府の役目である。この観点から今の政策の一部については見直すべきだと考える。次章でも述べるが日本で生活保護を受ける資格がある人で実際に受理している人は全体の20%である。これは貴賤の上下の別なく権利を満足させていることにはならない。政府の役割は時代の移り変わりとともに変化していくものだと思うが、変わってはならないものもあると思う。一人でも多くの人が文化的で最低限の生活を送れるよう取り組むべきだと思う。

 「素性の卑しい妾といえども、一個の人格を備えた人間である。男性が、自分勝手な情欲のために、この弱い女性をあたかも動物のように支配するとは何事であるか。」([iv])福沢は古来より続く男尊女卑の悪習を妾の問題と関連させて説明している。生物学的に差が生まれてしまうことや権力の相違を述べた上で男と女は同じ人間であるから優劣をつけたり女卑の秩序を規定したりしてはならないという考え方には筆者も賛成である。外国では女性は運転が下手、数学や化学が苦手というようなレッテルが貼られている国も多くあることを留学生が話しているのを聞いて知った。周囲の人間に日本で男女差別があるか感じるかと尋ねてみても強く感じないという人が多く存在する。身近には感じなくても日々の小さな積み重ねが日常となり、間違っていることでも当たり前へと馴染んでいくのかと考えると恐ろしくなった。多様化が進み、自己のアイデンティティの確立が難しくなってきた現代であるが、昔はこのような悩みが贅沢に感じるほど女性が罪人扱いをされていた事実も決して忘れてはならない。

 「およそ人間には、よくない性質がたくさんある中でも、社会に最も害のあるのは、他人の幸福を妬む怨望の心、すなわち僻み根性より大きなものはあるまい。」([v])福沢はひがみ根性は様々な悪徳の根本であり、少しも利益になることはないと非難している。世の中の事象はほとんどが二面性を持つが僻み根性だけは不善中の不善だとして紹介している。筆者は今まで誰かを僻んだ経験は少なく、僻まれる経験の方が圧倒的に多かった。その経験から語れることは、自分でも気づかないうちに恨みや妬みを買うことがほとんどだということだ。前書きでも紹介したように高校の時、筆者は人前に立つことも多く、課外活動にて他のクラスメイトより目立つ立ち位置にいた。それは誰にでもできる経験ではなかったし、受験期は特に総合型選抜の強みになるとしてライバル視してくる人もいた。筆者自身は新しいことに挑戦したい、平凡で退屈な高校生活を自分で変えたいという意志のもと活動しており、肩書きや受験などは視野に入れてこなかった。だから陰口を言われても平気だったし周りの目など全く気にならなかった。他人を客観的にみて感じたことは妬みや嫉みは心を狭くし、自らの自由を束縛するということだ。彼、彼女らは自分の不平を癒す方法として自分にプラスを与えようと努めるのではなく、他人にマイナスを与えて快感を得ようとする。そのような言動は知らず知らずのうちに自身の自由も制限しているのである。ネガティブな発言をするくらいなら対象者を敬い、切磋琢磨できるよう気持ちを切り替えられたら自分だけでなく周囲にも良い影響を与え、成長していけるのではないかと思う。

 終わりに学問のすすめを読んだ上での考察を論じようと思う。本書を読む前は題名

と有名な一節しか知らず、明治時代になり学問の重要性が高まりそれを宣揚するための書物を政府に書くよう催促されたものだと思っていたがとんだ勘違いであった。生きていく上で大事なこと、気をつけるべきことなど学問、分野を問わず教えてくれる一冊であった。最終章に自他ともに認められ、自己と社会を益する方法を提示していた部分があり筆者にとって一番印象的な部分であった。それは三つある。

一つ、弁舌を学ぶこと。

二つ、顔つきを明るくすること。

三つ、交際を広く求めることである。

これらは全て大事なことであるが意識していないと実行に移すことが厳しい。私たちは同じ人間として日本という国、地球という惑星に住んでいるのだから共存しているという意識を常に持つことが大切である。その中で自分自身をどのように成長させていくかを考え続けること、それこそが生きるということではないかと福沢は暗に示しているように思えた。

後世に受け継がれるような偉業を成し遂げていてもその方法を文章化し、他人に伝えることは簡単なことではないと思う。しかし福沢はそれを実践し、その後彼のベストセラー作として語り継がれている。何が正しくて何が間違っているか取捨選択を行う責任は学生にあり、その判断材料として読書と経験が必要である。論文を執筆する上において読書をする意味を考え続けている筆者であるが、今回新しい気づきを得ることができた。昨日まで信じていたことが今日は大きな疑問になり、今日の疑問が明日には解決するというような学びの多い生活を送りたいと強く感じた。

第三章:松沢裕作『生きづらい明治社会』について

 この本は松沢裕作(1976年-)によって2018年に出版された歴史書である。日本が近代化に向けて動き出した明治時代を不安と競争をキーワードに読み解いている。松沢裕作は1976年に東京都で生まれ、麻生中・高等学校を卒業後、東京大学文学部に進学。その後同大学院に進んだ。彼の研究テーマは大きく分けて3つある。1つ目は近代日本の貧困、労働、家族についての研究だ。日本の近世から近代への過渡期における混乱が貧困を引き起こし、個人がその貧困から逃れるために取った労働形態について調査している。同時に、これらの労働形態が家族構造にどのような影響を与えたのかを研究している。この研究では、地方制度の構造を社会の編成原理の表現として取り上げ、ジェンダー史の視点を用いて分析を行っている。2つ目は近世、近代以降期日本の村落社会史の研究だ。主として関東農村を対象範囲として、近代社会形成期の日本における政治権力のあり方を検討してきた(2009年単著)。その後、個人にまとわりつく社会関係の諸相が、近世の「村」から近代の「部落」へと引き継がれるか否かの研究をおこなった。3つ目のテーマは歴史学方法論、史学史の研究だ。近代日本における歴史学が形成される過程を、明治政府の歴史編纂事業や、記録管理(アーカイブズ)の歴史の研究を通じて調査している。また、そうした 史学史研究を踏まえ、「歴史を書くとはどのような営みなのか」という視点から、歴史学の方法についての研究をおこなっている。現在は慶應義塾大学経済学部の教授をしており作家としても活躍している。以下より本書を踏まえ、「生きづらい明治社会」がどのような本なのかを記していきたい。([vi]

 「この本で、私は大きな変化のなかを不安とともに生きたであろう、明治時代の人びとの経験に目を向けてみたいと思います。」([vii])松沢は本書でどのようなテーマを中心に、「生きづらい明治社会」をどのように描写するかを簡潔に説明している。筆者はまず本文を読んだ時、明治社会に生きた人が大きな変化、不安を感じていたことに対して具体的なイメージが湧かなかった。今生きている時代の方が目まぐるしい変化があると思っていたし、科学技術が進歩している現代ではそうでなかった昔と比べて比較しようがないと考えていた。しかし第1章を読む前に自身で考えてみた結果、それは間違いであったことが分かった。明治時代の歴史的な出来事といえば明治維新、日清、日露戦争、大日本帝国憲法の制定など、日本国家と国民の将来を大きく左右し、現代も政治の中核となるような仕組みが導入され始めた時期である。国民一人一人、明日がどうなるかわからないような漠然とした不安の中で過ごす日々は、もしかすると現代よりも先の読めない時間だったかもしれない。筆者にとって本章に入る前に自分の考えを修正できた重要な一文であった。

 「しかし、現在では、このような以前から存在する日雇い労働者の貧困とは異なる形での貧困が、都市の中に広まりつつあることが注目されています。それは「ネットカフェ難民」と呼ばれる人たちです。」([viii])松沢は貧困が過去と現在でどのように変化してきたかを2016年から17年にかけてのデータを用いながら説明し、同時に現代の日本に発生している貧困も指摘している。今回この本を選んだ理由として筆者が貧困に対する認識が低いことを佐藤先生と話していて気づいたからだ。日本は過去に一億総中流という言葉や思想が定着し、現代にも引き継がれている節がある。改めて「ネットカフェ難民」とは何かということを明示しておくと、住居を持たず、ネットカフェを生活の場とする人たちのことである。住居を失った理由として家賃滞納、失職が挙げられるが彼らの大半は仕事が全くないわけではなく、非正規雇用として働いている場合が多い。非正規雇用が増えた理由として考えられるのはある程度労働時間を自分で管理することができる点に魅力があるからだ。今は育児をしながら正規で働く女性は少なく、非正規雇用が増加傾向にある。非正規雇用の増加が貧困率の上昇にも少なからず因果関係があることがわかった。

 「それでも、横山のこの報告は、少なくとものちの時代に平均的で普通とされる家族の在り方が、この時代の都市下層民にとっては「普通」でもなんでもなかったことを示しています。それは、ある時代の、ある人々にとっての「当たり前」が別の時代、別の人々の「当たり前」とは限らない、という大事なことを教えてくれます。「日本の伝統的な家族」などという表現に出会った時には、よほど注意して、それが本当に昔から変わらない伝統であったのかを考えてみる必要がありそうです。」([ix])松沢は前文にて明治の都市下層民の家族が安定した形をとっていないことに触れたのち、現代に定着している偏見をルポルタージュの描写の歪みの表れとして表現している。筆者は新島塾の合宿にて全ての物事には二面性があることを学び、主観、客観も同様、容易に決定することはできないことも知った。自身の立場から客観的なものに見えてもそれが相手からしたら客観的な意見でない可能性もあるからだ。この文章は都市下層の人々の視点から見た家族概念に焦点を当てており、社会の異なる階層の人々が異なる価値観や家族の在り方を持つことを示唆している。社会的な立場や状況が家族に与える影響も考慮することが重要であることを学んだ。

 「歴史を通じて(いつからなのかに関しては議論の分かれるところですが)男性は社会の表舞台に立ち続け、女性は後世の歴史家からは見えにくい位置に置かれ続けていました。これは日本に限ったことではなく、また過去に限ったことでもありません。現代の世界は、全体として、これまでの歴史上の社会の大部分と同様、男性に有利な社会です。」([x])松沢は女性が売春の対象とされかねないような立ち位置に置かれやすい状況にあることを公娼制度や芸娼妓会報令などを引用しつつ説明している。筆者はこのようなシステムが現代にも存続していることを最近まで知らなかった。コロナ禍において職業を失い、お金と働き手を探している女性(特に若者)が現在でも性産業に従事しているケースが多くあることをニュースで知った。その結果東京の歌舞伎町や風俗街では梅毒が流行したり、女性を買うために東南アジアから日本に来る人も増えたりしている。一昔前は日本の男性がアジア圏の女性を買うということを聞いていたが、円が弱くなり立場が逆転していることにも驚いた。“日本に限ったことではない”事実であるならば解決に向かうには相当な時間と努力が必要なのではないかと考える。

 「つまりこういうことです。明治時代の主流の価値観とは、これまで私たちが見てきたように「通俗道徳」的な考え方です。頑張って働き、倹約して貯蓄すれば、必ず経済的に成功を収めることができる。貧困に陥るのは、頑張っていないからだ。これが明治時代のメインストリームの価値観、「通俗道徳」でした」([xi])松沢は人が貧困に陥るのはその人の努力が足りないからだ、という考え方を通俗道徳と呼び、明治時代においてはその考え方が蔓延っていたことを繰り返し述べている箇所である。この主流の文化に対する「対抗文化」に筆者は注目した。明治時代においても“あえて”通俗道徳に逆らうことがかっこいい、または男らしいという思考が男性労働者の間に広まった傾向に関して、現代においても同じ現象が起きていると感じた。自身が少し周りと違うことに対して優越感や満足を覚える若者が多いように思う。承認欲求が強い人間は斜に構えたり普通ではないことに対して自己のアイデンティティを見出したりすることも珍しくない。どの時代も人間が考えることは変わらないのかと残念な気持ちになった文章だった。  終わりに「生きづらい明治社会」を読んだ上での考察を論じようと思う。結論から述べると明治社会も現代社会も基本的構造に関しては何も変わらず歴史が繰り返されていることがよくわかる一冊であった。貧困、都市下層社会、女性の立ち位置など、一般的に改善されたと解釈されがちな事象が全て名前や形を変え、現代にも引き継がれている。相違点を挙げるとするならば、明治時代にあった不安や競争に加え、現代は他人の目を気にするという性質が加わったと思う。SNSの普及などによって自己を不特定多数の人間に見られる機会がここ数年で大きく増加した。他人にどう見られるかを重視しすぎるあまり偽りで固めた発信をし、本来の自分のありたい姿を見失った結果に終わるという悩みを持つ人のためにカウンセラー業が重要な役割を担う時代に突入している。体系上の根本的な解決は難しいが個人が打開策を模索することで不安から解放される日が近づくのではないかと考えた。明治時代の生きづらさを知ることで「自助論」と「学問のすすめ」がなぜ人々の精神を支える著書となったのかを理解するための手掛かりとなった。


[i] 福澤諭吉(伊藤正雄訳)『現代語訳 学問のすすめ』岩波現代文庫、2013年 31頁

[ii] 66頁

[iii] 89頁

[iv] 110頁

[v] 163頁

[vi] 出典:research map,慶應義塾データベース

[vii] 松沢裕作『生きづらい明治社会――不安と競争の時代』岩波ジュニア新書、2018年 ⅷ頁

[viii]  26頁

[ix]  36頁

[x] 104頁

[xi] 136頁