佐藤優の文章教室結論
「文章教室」を開設するにあたって。
今般、「魚の目マガジン」に「佐藤優の文章教室」というコーナーを開設することにしました。私は同志社大学で、学長直轄の「新島塾」、野口範子生命医科学部教授が責任者をつとめる「サイエンスコミュニケータ養成副専攻」などの講座で、学生の指導を担当しています。
学生の論文、レポート、発表用原稿などには、優れた内容のものがあるので、それをこのコーナーで、私のコメントを付して紹介します。
本コーナーの開設を認めてくださった魚住昭氏に深く感謝申し上げます。
2024年6月、佐藤優
三冊の書籍の読み解きを通じて、明治時代と現代社会が共通の側面を持つことに気づき、自己責任論に対する筆者の立場を形成できたと思う。当初、スマイルズ『自助論』を読んだ時、筆者は同署で展開されている自己責任論に対して共感を覚えた。自ら努力をせずに、成果がでる責任を他者や社会のせいにするような姿勢は無責任かつ卑劣だと思ったからだ。しかし、今になって振り返ってみると、このような見方は主観的な心情に偏っており、社会の構造や歴史的な文脈を無視もしくは軽視した浅はかな認識だった。この課題論文に取り組む過程で筆者は自己責任論に対して反対の立場をとるようになった。
今からその理由について順に述べたい。この立場は、人間が社会的な生物であるという前提に立った考察が重要だ。アトム(原子)的な個人の集団が社会なのではない。社会は有機体であり、その内部には相互に強固な結びつきがあり、個人に還元しても社会の構造を理解できるわけではない。例えば、夫と妻という役割が独立して存在してその結合が夫婦になるというのは転倒した見方だ。夫婦という関係がまずあって、そこから夫、妻という役割分担がされるとみるべきだと思う。実体ではなく、関係が第一義になるのだ。
現代社会において、個人は異なる役割や責任を担い、それに対応する生き方を模索している。教師、官僚、医者など、自身の適性に合った役割を果たすことが社会的に不可欠になっている。ここにおいてアトム的個人は存在しない。全員が何らかの関係において自らの機能を果たしているのである。同時に若者たちが生きている社会は資本主義システムをとっている。それは市場におけるアトムは個人、個別企業に競争原理を基本とする。社会の基礎を構成する人間が有機的関係を持っていることと競争心理を基本とする資本主義との間には矛盾がある。数値によって還元されるようになっているという現実がある。高度な資本主義社会に生きる私たちは、競争と評価のプレッシャーに晒され、自己評価を行うことに耐えられなくなる時が幾度かある。このような状況で重要なのは、他人からの評価は全て一元的なものであることを認識することだ。一元的指標の代表なものとして偏差値や点数、実績などが挙げられる。
明治時代においては当初、個人の役割や社会の在り方が不明瞭で、「自分とは何か」を探求する時期があった。「自助論」「学問のすすめ」においては、身分制などの束縛から人々を解放し、自由という価値を称提している。このような価値観は、学知を身につけ勤勉になることで誰もが成功することができるという通俗道徳と結びついた。その自己責任論が日本人の労働観、社会観なのだと思う。そしてこの労働観、社会観は21世紀においても大多数の日本人にとっての規範になっているだと筆者には思えてならない
現代でも、才能ある人々が筆者の近くに存在することが多く、自己評価に悩む瞬間がある。このような状況で、「負けたくない。絶対に成功したい」という情熱を抱くことは個人のレベルにおいてとても大事だ。なぜならこれは自身が成長するためには重要な感情になるからである。最も才能のある人にどう努力しても近づくことができないという
その強い精神は時に嫉妬や妬みに変わり、ネガティブな影響を与えることもあるから一概には良いとは言えないが、人が成長していくには必要な要素である。
しかし、社会の不平等、精神的健康の問題、社会的な役割等を考慮すると、自己責任論だけでは不足することが自明である。個人の努力だけが成功を保証するわけではなく、社会全体でのサポートと協力が不可欠だ。自己責任論は重要であると同時に、社会の制度と多様性を考慮した立場から、社会的な責任も含めて総合的に考えるべきだとの立場を支持したい。このことから筆者は自己責任を重視しながらも、個人における境遇や周りの環境を考慮することが大切だと考える。自己責任論は一面的なアプローチであるため、社会的な課題に対処するためには、より包括的な視点が必要であると考える。
[i] 先生は筆者のことを“生徒”ではなく“一人の人間”として扱ってくれ、英語に限らず、生活面における指導も熱意に溢れていた。英語を頑張ろうと思い直したきっかけを作ってくれたのも恩師である。彼は教師であるにも関わらず、夏休み期間は私たちよりも英語をよく勉強しており、結果で努力を証明していた。筆者は忙しいながらも目標や夢に向けて地道に努力している姿がとても新鮮に映り、これから勉強をしていく上でロールモデルにしたいと思えた。受験を終え、捻くれた部分のあった筆者は「努力」が形を変えて、他人を勇気づけ、インスピレーションを与えることを知った。そしてリーダーシップを期待される役職にもチャレンジしようと思い文化委員に立候補し、クラスの文化祭の統括を任されることになった。経験もなく、右も左も分からない状況だったが、恩師が最後まで支えてくれ、自分の役割を果たすことができた。クラスで何を大事にすべきか、リーダーが求められるものは何かということを学び、新しいことに挑戦することは楽しいことだと思えるようになった。そして「“ごめんなさい”と“ありがとう”は相手より先に言う」という当たり前のように思えてとても大事なことが現在筆者のバックボーンとなっており、恩師の言葉が今にも大きく影響している。
[ii] 筆者は高校二年生時に英語のスピーチコンテストに出場しており、月経にまつわるタブー意識をテーマに5分のスピーチを行った。先生が原稿を初めて知った時、「ハンマーで頭を殴られたような感覚になった」と言い、筆者のスピーチコンテストに出場する上での目標であった異性からの理解を深めることが部分的にではあるが、叶った。以来、大阪大学人間科学部の杉田映理先生とともにMeW projectの一員として活動してきた。先生や部員の協力を得、ワークショップを実施したり、月経のウェルビーイングの実現に向けて話し合ったりした。
[iii] ⅰ)三菱財団提供、認定NPO法人very50のプログラム“egg”に参加
⇒東京での宿泊研修 Entrepreneurship in the Global Ground
世界の事業家と全国から集まった高校生がタッグを組んでコロナで営業が落ち込む事業家さんの経営を回復させよう、というプロジェクト。「自立した優しい挑戦者を作る」という認定NPO法人very50のテーマをもとに筆者が彼ら、彼女らにできることは何か、ということをチームで約二か月間沢山ミーティングを重ねて考えた。筆者が所属したEグループは カンボジアで女性の自立支援を行っているハンドメイドジュエリーのブランドを立ち上げた事業家の担当となった。まず英語ができないと会話が通じないし訛りはきつくて意思疎通も難しい時もあった。しかし筆者はこのお店のコンセプトやバックグラウンドに惹かれてこのプロジェクトをしている。何とかこのブランドの経営を救いたいという一心で日本にいる私たちができることを必死に模索してきた。最終的には企業様と提携することができて、目標を達成できた。
⇒最後まであきらめないことの大切さを学び、自分の新たな弱みや強みに気づけた。
メンターさんとの1 on 1で研修中に見えた筆者の弱みについて言われたときに何故かわからないけど、悔しくて涙が出た。今思い返したら多分自分の中で自信を持っていると自負していたけれど、自分より優れている人を見ると無意識のうちに委縮していた。自分の中で昔から軸として持っていた「絶対的な自信」に対して客観的な視点から指摘されるいい機会だった。本当は凄くもろくて、周りに流されやすいし、自信なんてあまり持てない。そんな私が理想にすがりたいが為に「自信がある」と勝手に思い込んでいただけなのかもしれない。そんなことを考えると夜も寝れなくなって、次の日は倒れて救急車で運ばれてしまった。でも、そんな時にメンターに「くるみは十分他の人に劣らない才能と能力があると思う、だから自信もって!!」「絶対輝けるから」と言われた。その時に、「あ、自分はちゃんと能力もあるんだな、輝いていけるんだな」って勇気づけられた。
⇒EGGの研修を通して圧倒的な経験を積むことができたと思う。他の高校生ができない様な経験、例えば企業へ電話したりメールをしたり、営業を行ったり。今までビジネスに関する知識や経験が何もなかった私にとってこの期間はとても新鮮で目まぐるしいものであった。色んなフィールドで活躍してる多くの仲間の中で疎外感を感じながらも必死に食らいついた結果最終的に商談が成功した企業を私が見つけることができた事に拍手を送りたい。東京都内でエシカルやサステナブルな取り組みをしている企業を100社あげろ、と言われたときに、まず無理だと正直思ったし何回も心が折れた。でも筆者が見つけた企業で実際に商談もとることができたのは90社目ほどであった。本当に数が大事なんだなということと、最後まであきらめない事の大切さを身をもって体感できたと思う。
⇒仲間と成功を喜び合える幸せ。100社にメールや電話を送った時に冷たい態度であしらわれたり、逆に高校生ブランドとして厚く対応して下さったり、色々なことがあった。その中でタスクを終えることができた喜びや企業様からメールの返信が来た時のワクワク感、実際に商談がうまくいったときの感動。このような感情の大きな起伏は全力で取り組んでいることのあかしだと思うし、友達の笑顔を見ることができる当たり前の事に大きな幸せと誇りを感じた。こんな素敵な仲間がいる環境に身を置けていることを嬉しく思った。悪いことや良いことがあってもお互いを助け合ってゴールを目指す事に対して色んな側面が見えてしんどくなる時もあった。結果何が言えるかというと、挑戦する楽しさを今回一番身に染みて感じられた。
ⅱ)スピーチコンテスト
このテーマを選んだのは筆者自身、月経に関して強い問題意識があるからである。
親しい友達が生理痛が酷くて休めないことを男性の先生に素直に言えないことに疑問を感じた。このような「言いにくさ」に始まり、女性が月経に関する悩みなどを女性のみで抱えてしまう問題、”生理”がタブー視される問題について調べて発表し、この経験が2022年6月に大阪大学主催のSDGsイベントでMeWプロジェクトと繋がった。7月のTEAMEXPOでは運営側として参加させてもらった。現在(高校3年生時)、高校には生理用品無償ディスペンサー設置に向け、大阪大学とタイアップし、MeWプロジェクトの一員として活動している。英語のスピーチで表現できたことが日本語では上手く表現できず、言語文化間の差異に気づかされている。
筆者は暗記することがとても苦手で、どのようなプレゼンの時もメモを必ず使っていた。だから5分のスピーチはとても辛かった。撮影は7時間ぶっ通しで行われた(コロナで動画提出だった)。途中諦めそうになったが、一度やると決めたことは最後まですると決めていたのでやり通したら結果がついてきた。
[iv] 私は新島塾で学んだことが大きく分けて3つある。
1トッド氏「後戻りすることは追いつくことよりも難しい」という言葉
2佐藤先生「主観、客観というけどこの立場は普遍的なものではない」という言葉
3西先生「読書をしないと自分の頭で考えるという力はつかない」という言葉が印象に残った。
1つ目のトッド氏の言葉を自分自身に置き換えて考えてみた。私はある目標を立て努力を続けることは好きだし、得意な方だと思う。成長したい、強い自分になりたいというモチベーションさえあればどこまででも頑張れる気がする。だが、過去を振り返るのはあまり得意ではない。良いところでもあり、悪いところでもあるのが忘れやすいところがあるということだ。どれだけ嫌なことがあっても美味しいご飯を食べ、寝たら大抵のことを忘れられるが悔しいことや将来絶対に忘れるべきでない感情なども自分の中から消えてしまう。それをトッドは歴史学の観点からも似たことをおっしゃっていたからこれはもしかしたらどの分野においても同じことが言えるのではないかと思った。
2つ目の佐藤先生の言葉は自分の主観、客観という言葉遣いを考えさせられた。初めて聞いた時は何を言っているのか理解することができなかった。のちに先生からの解説があり、塾生とも話し、結論を出した。それは<自分の主観、客観が自己決定から生まれるとは限らない>ということ。トランスジェンダーについてどう考えるかという議題で討論を行った時、社会の多数派意見が客観的な視点となり得ることがわかった。だが、それは時代とともに移りゆくものであり流動的なものである。普段使うような言葉を改めて見つめ直すことの大切さが身に染みた。
3つ目の西先生の言葉は今まで読書をしてこなかった私には尚更響いた。レジュメにもある「読書は自分で考えるための武器」は新島塾が終わった今でも私の中で大事な考え方として生きている。Z世代は携帯や電子機器を見る機会が多く、本を読む重要性や自分の頭で思考することを諦めている人が多くいると思う。しかし、それをしないと世の中の情報を全て鵜呑みにしてしまう可能性がある。本も同様、本になっているからと言って全てが正しいわけではないことを学んだ。自分の知識を武装する手段として読書があるならば色々な考え方に触れ、柔軟な考えを持てるようになることは大事なことだと考えた。
[v] 事前課題は5つあった。
1トッド氏の著書を2冊読み、重要だと思う部分を各章ごとに3箇所抜き出し要約
2植木学長の著書を読み、中世の自然観をまとめること
3中世人へのマイノリティへの視線についてまとめること
4佐藤先生の著書を読み、中世のヨーロッパの価値観は、現代の価値観にどのような違いがあるかまとめること
5課題図書を読むこと
上記の課題全てにおいて自分の考えを表現することが求められ、1つ目の課題では人類学という触れたことのない分野の内容であり、読破することさえ難しかったがこの全ての課題を終えれたことは自信に繋がった。
[vi] スタディサプリとはパソコン・タブレット・スマートフォンで、オンライン上に配信された先生からの宿題や課題の提出、アンケート回答が行えるオンライン教材であるのと同時に小中高校生向けに、分かりやすいと評判のプロ講師の授業動画を配信するオンライン学習サービス。伊藤賀一先生はスタディサプリの社会科の先生である。
[vii] 福沢諭吉『学問のすすめ』岩波文庫 1942年 11頁
[viii] 出典https://www.kasikoikandora.com/profile#gsc.tab=0
[viii] ミュエル・スマイルズ (竹内均訳) 『スマイルズの世界的名著 自助論』三笠書房(知的生きかた文庫)、2002年 19頁
[x] 29頁
[xi] 86頁
[xii] 守破離とは日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方の一つであり、それらの修業における過程を示したものである。「守」は師や流派の教え、技を忠実に守り、身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
[xiii] 112頁
[xiv] 133頁
[xv] 148頁
[xvi] 179頁
[xvii] 197頁
[xviii] 247頁
[xix] 福澤諭吉(伊藤正雄訳)『現代語訳 学問のすすめ』岩波現代文庫、2013年 31頁
[xx] 66頁
[xxi] 89頁
[xxii] 110頁
[xxiii] 163頁
[xxiv] 出典:research map,慶應義塾データベース
[xxv] 松沢裕作『生きづらい明治社会――不安と競争の時代』岩波ジュニア新書、2018年 ⅷ頁
[xxvi] 26頁
[xxvii] 36頁
[xxviii] 104頁
[xxix] 136頁