ホロウェイ論『権力を取らずに世界を変える』を読む その2:息の詰まる社会からの脱出

▼バックナンバー 一覧 2009 年 8 月 7 日 四茂野 修

 前回ちょっと触れたのですが、ホロウェイはこの本の終わり近くでこう言っています。
〈それでは、どのようにして、権力を取らずに世界を変えるというのでしょうか。この本がいま終わりに来たというのに、始めのときと同じで、それはわからないのです。〉(P.414)
 この言葉に読者は面食らわされるのですが、ホロウェイが「わからない」と言うのは知識や能力が足りなくて「わからない」ということではありません。ホロウェイの考えからすれば、そもそも世界を変える道筋は、誰か優れた人が「わかって」皆に教えてくれるものではないのです。今回は、そのあたりから話を進めてみたいと思います。

◆ 所有者を代えても世界は変わらない

 かつて、社会主義が大企業の国有化だと考えられていた時代がありました。世界を変えるには大企業を国有化すればいいと考えられたのです。ところがソ連などでは、国有化によっても「する力」が「させる力」に従属している現実がなんら変わらず、ますます息の詰まる社会となり、ついに国家が自壊したのでした。国有化の仕方に問題があったという議論もあるでしょうが、ホロウェイは「私たちの闘いは、生産手段の所有を私たちの手に移すための闘いではありません」(P.404)ときっぱり結論づけます。そして、「じゃあどうするんだ」という問いに次のように答えます。
<社会関係が商品に変換されてしまう状態に立ち向かいながら、友情、愛情、仲間の絆、協同自治( communality )の関係を織り上げていくこと、これがコミュニズム運動の実質なのです。>(P.407)
 これだけでは抽象的でよく分かりません。別のところで、もうちょっと具体的な説明をしています。
〈闘いを共有するという経験のなかに、資本主義の社会関係とは質が違う関係をおたがいに結び発展させていくことが、すでに含まれているのです。多くの例が実証しているように、ストライキやそれに類する闘争に参加した人たちにとって、もっとも重要な成果は、直接掲げた要求の実現ではなくて、闘争の共同の輪が発展することなのです。この闘争共同体( a community of struggle )の発展とは、資本主義的形態をとった社会関係と正反対な特徴をもった集団的行為を表しているのです。〉(P.402)
 これは『共産党宣言』の「労働者はときどき勝利するが、それはただ一時的にすぎない。彼らの闘争の真の成果は、その直接の結果にではなく、ますます広がる労働者の団結にある」という言葉に重なります。「広がる労働者の団結」がここでは「闘争共同体」と表現されています。闘争の共同体というのは、例えば日比谷公園にできた派遣村を考えればいいでしょう。そこには、個人の金銭的な利益の追求という資本主義的な社会関係とは違う、連帯、相互扶助の関係があります。このような関係の上になりたつ闘争の共同体が、資本主義社会のなかに、その原理に対抗しつつ広がるなかから世界は変わる——ここにホロウェイの考えの核心があると思います。
 この考えは、20世紀の正統派マルクス主義、レーニン主義に対する次のような反省から導き出されたものでした。
〈正統マルクス主義の系譜、もっともはっきりしているものとしてはレーニン主義の系譜は、革命を目的に対する手段として道具のように考えています。こうしたアプローチがはらんでいる問題点は、闘いがもっている無限の豊かさを権力奪取というたったひとつの目標に従属させるところにあります。その無限の豊かさのためにこそ闘いがあるというのに。〉(P.411-2)
 人としての叫びから発する運動は、人と人との新たな結びつきを生みます。そこには限りなく豊かな創造の可能性が秘められています。ホロウェイが言いたいのは、このプロセスにこそ価値があるのであって、それを手段や道具におとしめてはならないということです。ホロウェイが「コミュニズムの運動は、英雄的なものとは反対のもの」と言うのも、同じ理由からです。
〈革命の目標は普通の日常生活を変えることにあります。そして、普通の日常生活のなかからこそ革命が生まれ出てこなければならないということも確かなのです。コミュニズム革命の理念は、私たちがだれかに率いられることのない社会、私たちすべてが責任を負っている社会を創り出すことにあります。〉(P.406)
 大きなピラミッドや宮殿をつくるように、あらかじめ誰かが描いた設計図をもとに、指導者の命じるまま動くというのでは、面白くもありません。普通の人たちが、日常生活のなかから生まれる叫びを出発点に、自分で考え、自分たちの責任で進むところに豊かな創造性が開花するのです。息の詰まる社会からの脱出は、息の詰まるやりかたでは実現できません。「闘いというものを、不断に更新される実験のプロセスとして見ること、創造的なものとして」見ること(P.411)が大切なのです。「それは線形的な蓄積として考えられるべきではなく、逆に線形的方向性の破壊を積み重ねていくものでなければならないのです」(P.412)。
 おわかりでしょう。どのように世界を変えるかは、わかってしまったらダメなのです。芸術作品が構想を繰返し破壊することを通じて生まれ出るように、この世界の変革は次々と構想を破壊しながら進む、普通の人たちの集団的な創造の過程なのです。この創造過程は、世界の変革へ向かう通路というより、いま・ここにおいて世界を変えることそのものなのです。

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